54話 間違い
その返信が届いたのは、信じられないほどすぐのことだった。
わたしが出した手紙が旦那様のもとへ届き、返事を書いて、この辺境まで戻ってくる。
その時間をまるで無視するように、それはわたしの手元へ舞い戻ってきた。
一週間と三日。
三の環に乗った冷気星が、拳一つ分も動いていないのに……何度指を折って数えても、それしか経っていないのに。
もしかしたら旦那様は案外後方の病院にいるのかもしれない。あるいは、奇跡でも起きたのかも。
……そう、ただ、会いたい。そんな願いの強さが時間を歪めたのかもしれないと、根拠のない確信だけが胸の中に沸々と広がっていくようだった。
だから封を切る手は、かつてなく穏やかだった。
相変わらずの黒塗りで傷んだ紙を、破らないようにそっと開く。そこに並んでいたのは――
アナ! 愛しいアナ!
君の手紙を読んだ。ああ、君が「共に戦う」と言ってくれたことが、どれほど私を突き動かしたか!
感謝する! あの言あの言葉が私の血を焼き、折れた骨を繋いだのだ!
安心してほしい。私はもう完治した! 信じられないだろう? 私も信じられない!
だが、痛みは消え去り、█████████████████████!
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見ていてくれ。君の望む栄誉を、勝利を、この手で掴んで帰る。君の覚悟に相応しい夫として、戦場を蹂躙してこよう。
待っていてくれ、愛してる。愛してる、アナ。愛している!
「な、……ッ」
なにこれ。と率直に思う。
封筒の表書き『ヴァルデリウス・ジュリアン』と、手紙の中の『アナ』と言う文字を指でなぞり、 過去の手紙を見比べる。
間違いなく旦那様の文字だった。
……だからこそ、おかしい。
だって自分の手のひら半分を焼いたあの火傷は、一か月はずっと痛かった。
今。水膨れがあったところの皮膚は赤いまま、触感もつるりとしていて見苦しい……完治を元通りとするならば、わたしの手は一年たってもまだ、治っていない。
リアン様はもっと重症だったはずなのに。
それをこんな短期間で、『完治した』としてしまう技術――肩に銀を添え、石を宿し、という一年前の言葉を思い出す。
たしかあの時も、お手紙では珍しく高揚していらした……。
コンメルタスで見た命の果実水が頭から離れない。
強い薬か、最新の錬金術か。旦那様を飲み込もうとする何かがある。
そう思うと、少し前の空白の二か月間よりも――穴に落ちたみたいに、怖くなる。
本当に、〝元通り〟治ったのだろうか。
……もしくは、わたしを安心させるための嘘だろうか。
何度も何度も始めから読み返して……ふと。
冒頭の『君が「共に戦う」と言ってくれたことが、どれほど私を突き動かしたか!』という文言が目に留まる。
脳裏に広がるのは、女性たちがラフェンさんに詰め寄っていたあの時の光景。『戦傷除隊の知らせ』。今のこの現状が、初めてわたしの中で繋がってしまう。
――もしかして、わたしは――
二か月も寝込み、代筆を頼むほどの怪我。もしかしたら、リアン様は「戦えない」として帰ってこれたのかもしれない。
それなのに、わたしが手紙で焚きつけたから……。
それに気が付いた瞬間。心臓が止まったかと思った。
体の中が雪を詰めたみたいに冷えて、首筋には異常に汗を掻く。
間違えた、間違えた、間違えた!
ああどうして「一度こちらに帰ってきて休みましょう」と言えなかったのだろう。
栄光なんていらない。
たとえ寝たきりでも、二人で静かに暮らしていければ、それでよかったのに!
息が浅くなる。
目頭が熱くなって、けれど涙は出ない。
消えてしまいたかった。
こんなに強い自己嫌悪を感じたことは無かった。
帰ってきてほしいと、あんなに何度も手紙に書いて、それは本当に本当の気持ちだったのに!
「は――はぁ、はぁ、……う、ぅぅ、」
手の震えがなかなか収まらなかった。なんと返したらいいかも分からない。
けれど……深呼吸を繰り返していれば、自己嫌悪まで心の底へ沈んでしまう。
苦しまなければならないはずなのに、それすら長く抱えていられない。
もう。終わってしまったことだ。
生きて――お元気なら。痛みがなくなったのなら、それはそれで、良いことかもしれない。
わたしはただ、どんな形になろうとも彼を温かく受け止めるだけ。
ペン先震えてしまうのを、叱咤するかのように握り締めて抑える。
伝えなくては。誰よりも一番に、お元気で嬉しい。と。
愛するリアン様へ
お便り、確かに受け取りました。早い返信、何より『完治した』と、そう力強く仰ってくださったこと……。それを読んで、わたしがどれほど安堵したか、貴方様には想像もつかないことでしょう。
お怪我が完治し、もう痛みもないのですね。 これほど嬉しいことはありません。
蹂躙、という言葉に、貴方様の揺るぎないお覚悟を感じました。
リアン様がそのように戦うと決めたのであれば、わたくは、もう何も申しません。ただ、ジュリアン・ヴァルデリウスの妻として、貴方様の勝利を信じるだけです。
こちらのことは、どうかご安心ください。わたしはこの冬の厳しさなど微塵も恐れはいたしません。
ですから、リアン様。どうか、その完治したお体で、どうか、わたしのもとへ帰ってきてください。
勝利の報せを、誰よりも、何よりも、首を長くしてお待ちしております。
愛を込めて。
貴方様のアナスタシア




