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最果てより、愛をこめて。  作者: すの
第九章:屈折
54/89

54話 間違い


 その返信が届いたのは、信じられないほどすぐのことだった。

 わたしが出した手紙が旦那様のもとへ届き、返事を書いて、この辺境まで戻ってくる。

 その時間をまるで無視するように、それはわたしの手元へ舞い戻ってきた。


 一週間と三日。

 三の環に乗った冷気星が、拳一つ分も動いていないのに……何度指を折って数えても、それしか経っていないのに。

 もしかしたら旦那様は案外後方の病院にいるのかもしれない。あるいは、奇跡でも起きたのかも。

 ……そう、ただ、会いたい。そんな願いの強さが時間を歪めたのかもしれないと、根拠のない確信だけが胸の中に沸々と広がっていくようだった。


 だから封を切る手は、かつてなく穏やかだった。


 相変わらずの黒塗りで傷んだ紙を、破らないようにそっと開く。そこに並んでいたのは――



 アナ! 愛しいアナ!

 君の手紙を読んだ。ああ、君が「共に戦う」と言ってくれたことが、どれほど私を突き動かしたか!

 感謝する! あの言あの言葉が私の血を焼き、折れた骨を繋いだのだ!

 安心してほしい。私はもう完治した! 信じられないだろう? 私も信じられない!

 だが、痛みは消え去り、█████████████████████!

 █████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████!

████████████████████████████████████████████████████████████████████


 見ていてくれ。君の望む栄誉を、勝利を、この手で掴んで帰る。君の覚悟に相応しい夫として、戦場を蹂躙してこよう。

 待っていてくれ、愛してる。愛してる、アナ。愛している!




「な、……ッ」


 なにこれ。と率直に思う。

 封筒の表書き『ヴァルデリウス・ジュリアン』と、手紙の中の『アナ』と言う文字を指でなぞり、 過去の手紙を見比べる。

 間違いなく旦那様の文字だった。

 ……だからこそ、おかしい。


 だって自分の手のひら半分を焼いたあの火傷は、一か月はずっと痛かった。

 今。水膨れがあったところの皮膚は赤いまま、触感もつるりとしていて見苦しい……完治を元通りとするならば、わたしの手は一年たってもまだ、治っていない。


 リアン様はもっと重症だったはずなのに。

 それをこんな短期間で、『完治した』としてしまう技術――肩に銀を添え、石を宿し、という一年前の言葉を思い出す。

 たしかあの時も、お手紙では珍しく高揚していらした……。


 コンメルタスで見た命の果実水が頭から離れない。

 強い薬か、最新の錬金術か。旦那様を飲み込もうとする何かがある。

 そう思うと、少し前の空白の二か月間よりも――穴に落ちたみたいに、怖くなる。


 本当に、〝元通り〟治ったのだろうか。

 ……もしくは、わたしを安心させるための嘘だろうか。


 何度も何度も始めから読み返して……ふと。

 冒頭の『君が「共に戦う」と言ってくれたことが、どれほど私を突き動かしたか!』という文言が目に留まる。


 脳裏に広がるのは、女性たちがラフェンさんに詰め寄っていたあの時の光景。『戦傷除隊の知らせ』。今のこの現状が、初めてわたしの中で繋がってしまう。


 ――もしかして、わたしは――


 二か月も寝込み、代筆を頼むほどの怪我。もしかしたら、リアン様は「戦えない」として帰ってこれたのかもしれない。

 それなのに、わたしが手紙で焚きつけたから……。


 それに気が付いた瞬間。心臓が止まったかと思った。

 体の中が雪を詰めたみたいに冷えて、首筋には異常に汗を掻く。


 間違えた、間違えた、間違えた!


 ああどうして「一度こちらに帰ってきて休みましょう」と言えなかったのだろう。


 栄光なんていらない。

 たとえ寝たきりでも、二人で静かに暮らしていければ、それでよかったのに!


 息が浅くなる。

 目頭が熱くなって、けれど涙は出ない。

 消えてしまいたかった。

 こんなに強い自己嫌悪を感じたことは無かった。


 帰ってきてほしいと、あんなに何度も手紙に書いて、それは本当に本当の気持ちだったのに!


「は――はぁ、はぁ、……う、ぅぅ、」


 手の震えがなかなか収まらなかった。なんと返したらいいかも分からない。

 けれど……深呼吸を繰り返していれば、自己嫌悪まで心の底へ沈んでしまう。

 苦しまなければならないはずなのに、それすら長く抱えていられない。


 もう。終わってしまったことだ。

 生きて――お元気なら。痛みがなくなったのなら、それはそれで、良いことかもしれない。

 わたしはただ、どんな形になろうとも彼を温かく受け止めるだけ。


 ペン先震えてしまうのを、叱咤するかのように握り締めて抑える。

 伝えなくては。誰よりも一番に、お元気で嬉しい。と。



 愛するリアン様へ

 お便り、確かに受け取りました。早い返信、何より『完治した』と、そう力強く仰ってくださったこと……。それを読んで、わたしがどれほど安堵したか、貴方様には想像もつかないことでしょう。

 お怪我が完治し、もう痛みもないのですね。 これほど嬉しいことはありません。


 蹂躙、という言葉に、貴方様の揺るぎないお覚悟を感じました。

 リアン様がそのように戦うと決めたのであれば、わたくは、もう何も申しません。ただ、ジュリアン・ヴァルデリウスの妻として、貴方様の勝利を信じるだけです。


 こちらのことは、どうかご安心ください。わたしはこの冬の厳しさなど微塵も恐れはいたしません。

 ですから、リアン様。どうか、その完治したお体で、どうか、わたしのもとへ帰ってきてください。

 勝利の報せを、誰よりも、何よりも、首を長くしてお待ちしております。


 愛を込めて。

 貴方様のアナスタシア


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