52話 隔たり
お出迎えすると、なんと馬車からは途中で乗り合わせてきたらしい配達人ラフェンさんがひょっこり降りてきて、照れくさそうに頭を掻く。
「いやぁ、ふもとで商会の御者さんに捕まりましてね。『最近、配達の仕事はどうですか。お話聞かせてください』って、荷台に放り込まれたんですよ」
彼は手紙と新聞がはみ出た郵便カバンを弄りつつ、私に耳打ちする姿勢で話しかける。
「顔覚えられてンのも怖ぇけど、俺ァあんな綺麗な荷台に乗ったことなかったから……話してて、正直生きた心地しなかったですよ」
男性がこんなに近いのは少し嫌悪感がある。
けれどラフェンさんに悪気があるわけではない。商会の手前、こっそり愚痴を零したいだけなのだ。
だからわたしは、傾聴の姿勢のまま――彼の手元の手紙の束を凝視しながら、じっと固まっていた。
ぺらり、ぺらりと指の隙間でより分けられていく紙筒の中、見慣れた赤と青銀の封蝋が――、
「はい。こちら旦那様からです」
「――ッ、感謝します。ラフェンさん。ありがとう」
差し出された封筒に、みっともなく縋り付かないように全神経を使わなくてはならなかった。
ずっと血の通っていなかった体の芯へ、ようやく温かな血が流れ出すようだった。
その熱が、嬉しさとなって頭の先まで満ちていく。
本当は、今すぐ手紙の端を破って、この夏の沈黙の間何があったのか一番に確かめたかった。
けれど――溢れんばかりの嬉しさは一定の基準を超えると花がしぼむように消えて、なぜだか感情が凪いでしまう。
……ああ。何を浮かれているの。
屋敷前の石畳の上で秤を出して納品準備をしてくれているゴドウィンさんを、これ以上待たせるわけにはいかないでしょう。
わたしは手紙をポケットの中にしまい、夫人の顔で挨拶をする。
「ご苦労様です、ゴドウィンさん」
「お久しぶりです。アナスタシア様」
「ラフェンさんから、何か有益な情報は聞けましたか」
「ええ、ええ。こういう辺境にこそ、商売の種は埋まっているものですからね。戦争中でも――だからこそ、小さな種でも拾って主人に届けなければ」
「そうですか。それは良かったです。こちら、今回の納品分です」
「はい。少々お待ちを――」
十二束の彩雲糸を納品し、木箱は六箱。
最期に受領書にサインと一言書き添えて、姉さまの手紙を受け取る。
けれどその便箋にはお馴染みの金縁が無く、わたしたちが使っているものと同じ乳白色をしていた。
次の納品は冬。可能な限り領地が閉じる直前に来てもらえるとの話に笑顔が漏れる。
今年の冬終わりに村中を驚かせた砕氷の銀蜂をまた使うことになるとのこと。
外界と隔絶される直前に物資の補給が出来るのは素直にありがたい。
きっと姉さまがそう指示してくださったのだ。ならばわたしは、その恩を虹の輝きで精一杯返せるように頑張らなければ。
馬車を見送り、振り返る。するとそこには小さな人だかりができていた。
家々を回り、帰る様子のラフェンさんを村の婦人たちが引き留めて取り囲んでいる様子。
何かを切実に、けれど声を潜めて訴えかける彼女たちに、わたしも力になれればと歩み寄る。でも――。
「あ、奥様……」
「ねえ、どうか、」
誰かが呟いた瞬間、蜘蛛の子を散らすように彼女たちは離れていってしまう。
「したの……、」
笑みを貼り付けたわたしの声は、ただ冷え切った秋の空気を撫で、そして地面に吸い込まれていった。
「……何か、秘密のお話だったかしら。邪魔をしてしまいましたね。ラフェンさん」
苦笑いを浮かべながら荷を背負い直す彼に、わたしは精一杯、毅然として尋ねる。
「いえ。皆……あー、腹が減って気が立っているだけですよ。……その、国から『戦傷除隊の知らせ』が届いたのに、一向に本人が帰ってこないと。どこか麓の街で行き倒れていやしないか、大きな病院に預けられてはいないか、って。……そんな、答えようのない話です」
わたしは目を見開く。
――怪我をして、除隊。まだ生きている人。
そうか。死ぬか無事かの二択ではないのだ。
どうして今までそんなことにも気が付かなかったのだろう。
「麓では見かけないのかしら? その、戦えなくなったけれど生きている方を」
「……まあ、見かけませんね」
ラフェンさんはフッと視線を上げて、秋空を眺めた。
散々探したのに、それでも見つからなかったとでもいうかのように。
「皆、もっと大きな街の病院で完治するのを待っているんでしょう。こんな山道を、怪我人が登れるはずもありませんからね。無理に帰ってこようとして、道中で行き倒れるのが一番馬鹿げていますし」
「……たしかに。そうね。無理をして、取り返しがつかなくなるのが一番怖い……」
わたしは小さく頷く。
この秋から完治を待っていたらあっという間に冬になるだろう。もし、生きている人が帰ってくるタイミングがあるなら、それは来年の春頃――。
「ラフェンさん。もし麓で、私たちの村の男を見かけたら……たとえその方が、自力で歩けないほど傷ついていても、迷わず連れてきて。背負ってでも、この坂を登らせてください」
ラフェンが少し驚いたように、わたしを見た。
帰ってこられるなら、たとえ今後一切労働力にならなくても、歯車にならなくても、温かく迎えるべきだ。
だってその人はこの国を守った英雄で、愛する人がこのヴァルデリウスで待っているのだから。
「ヴァルデリウス家から、貴方にも、その方にも、きちんとお礼と保障をします。……いいですね?」
「……ええ。奥様がそう仰るなら。見かけたら、必ず」
一つ頷いたラフェンさんは「ではまた!」と元気よく手を振ってこの村を去っていった。
………
……
…
細々したことを片付けている間に、家の屋根も道も橙色に染まる夕方になっている。
結局、玄関前の石畳に放置された木箱は、山から帰ってきた警備隊の手を借りて運び入れるしかなかった。
ポケットの中の手紙が重く熱を帯びている気がする。
早く開けたい、けれど在庫の記帳を済まさなければ夜の配分が狂ってしまう。
ジリジリと焦る心を必死に抑え、震える指先で帳簿を埋めて――そうして、やっとの思いで自室に籠り、封を切った。
姉さまの手紙には、彩雲糸製品が思惑通り上級貴族に好評であること、だから報酬である木箱一つ当たりの単価を上げたことが書かれていた。
確かに木箱には、いつもより大きな干し肉やチーズ、乾燥豆までぎっしり詰まっていたことを思い出す。
そして、戦況を伝える小さな紙には――
これは読んだら燃やすこと
西方面では変わらず膠着状態が続いている。
けれど〝砲台〟と呼ばれる兵器が一部地域で戦果をあげたらしいわ。これは王立天文審理府の弾道計算の元、超遠距離から敵を確実に撃ち抜く代物との噂。金属の値段は開戦直後からずっと高騰している。
もう一部貴族も手が出せないほど値上がりして、きっとその砲台とやらを作るためでしょう。
実際に運用されたとき、撤退が遅れた自軍を狙撃したとの報告もあるわ。でもこれは武器商人のプロパガンダの可能性がある。
……惑わすようなことしか書けなくてごめんなさい。フレデリックも出兵したの。貴女こんな気持ちだったのね。共に夫の無事を祈りましょう。
砲台。遠距離からの攻撃は、なんだかとても安全な気がする。
しかし今まで全線で戦っていた兵士たち諸共、と考えると、戦場は一気にむごたらしいイメージで埋め尽くされるようだった。
それに……姉さまの夫であるフレデリック様まで。
それは自ら志願したのか、それとも強制的なものだったのか。
わたしは――〝分かる〟からこそ、姉さまの心中を察して泣きそうになってしまう。
姉さまの方も、手放しで安全とは言えないのかもしれない。
あまり寄りかかりすぎないようにしなくては。
小さな紙片を小皿の上で燃やしてから、机の上に残った手紙を見る。旦那様の手紙。
ようやく届いたそれは、白く光り輝くみたいに見えた。
早く。早く。焦る気持ちのままペーパーナイフに手を伸ばした――その瞬間。
わたしはいつもとは違う決定的な違和感に気が付いた。




