43話 変わり者
風が微かな重低音を運んできた。灰色の夜に目を凝らせば、鈍く光る甲車の影が揺れている。
わずかな逡巡のあと、握り締めていた手を解く。
叱るのは――作戦が終わった明日の朝にしよう。
そう決めて、ジュリアンは近くの輝石ランタンのスイッチを回して光を灯す。
暗闇の中でキャンプ地を見失わないよう、甲車へ向けてゆっくりと、祈るように明かりを振った。
やがて地響きと共に現れた甲車が、泥を跳ね上げてジュリアンの目の前で急停車する。
昼に別れた甲車には、補給物資と強化部隊用の薬、それから上層部から派遣された〝変わり者〟が乗っているはずだ。
勢いよくハッチが跳ね上がり、中から絞られた雑巾のようにくしゃくしゃになった人影が滑り降りてきくる。
高い甲車から、おぼつかない足取りで滑り降りる元研究者。
かつてジュリアンが強化隊に入るための手術を受けた時。病院で寝食を共にし、その後しばらく戦場を駆けた男――オスカー軍曹。
「はーッ! あれに乗るぐらいなら、王都で流行りの全自動洗濯機に放り込まれた方がまだマシですね! 眼鏡が割れるかと思いましたよ。帰りは自分で走りますからね!……おや、ジュリアン少尉――おっと失礼、今は大尉になられたんでしたっけ? 第十防衛線で別れてから、随分と出世されたようで。大尉。お元気でしたか」
鉄の塊に蹴りを入れかねない勢いで文句を飛ばし、それから目の前の上官になれなれしく挨拶をする。
「……お前は相変わらずだな、オスカー」
呆れ混じりに応えるジュリアンに、オスカー軍曹はびっくりしたように目を見開いた。
それから顔のパーツを真ん中に集めるようにして、抗議の声を上げる。
「聞いてくださいよ!〝変わった〟んです! ほら、ここ。見てくださいよ!」
再会の握手より先に、オスカーはあろうことか自分の尻を突き出した。
「……そういう趣味に目覚めたのか? 私には妻がいる。他を当たれ」
「違いますよ! 僕にもついに、しっぽが生えてきたんです。ほらふくらみが分かりませんか? 出しますか? 触りますか?」
「やめろ、止めろ。ドックはもともと生えていただろう。それに……カイルが言っていたが、立派な耳と尻尾は陛下から賜った勲章だそうだ」
「はぁぁぁ~ッ! これだから前線の連中は! 非合理的で無根拠な価値添加も大概にしてください。狼の皆さんはいいじゃないですか。格好良くて、しっぽだって冬場は温かいでしょう。僕のなんて、櫛すら通らないバサバサの馬の毛なんですよ」
オスカーは本気で心外だと言わんばかりに、眼鏡の奥の垂れ目を吊り上げて早口にまくしたてる。
「待て。もうやめろ、頭が痛い……。テントの中に、副作用で苦しんでいる奴らがいる。先に彼らを診てくれ。特に豹が……、一睡もできていないように思う」
これ以上は無駄話が過ぎる。そう判断してジュリアンは手のひらを見せて止めさせた。
とにかくあの痛々しく輝く瞳を早く何とかしてやらなければ。
そう思ってジュリアンは現状をオスカーに伝える。すると先ほどまで甲車やしっぽの不満をまくしたてていた変わり者は、すっと表情を落とした。
人懐っこい垂れ目が、ふっと冷たい光を宿す
彼は指先で眼鏡の蔓に触れ、定位置に押し戻して。
「そうですか。相変わらず『子猫』は壊れるのが早い。……もはや、この個体群は作らないように進言した方がいいかもしれないですね。非効率が過ぎる」
その言葉に、ジュリアンの背筋に薄寒いものが走った。
同じ石を埋め込まれた戦友を、出来の悪い工業製品のように切り捨てる物言いだった。
「……早く看ろ」
「はい了解しました――よいしょ、と」
不快感を隠せず、ジュリアンは思わず顔をしかめ声を低くして命令する。だが、オスカー軍曹はそんな視線に怖気づく様子もなく、重い機材鞄を肩にかけ直すと、迷いなくテントの中へと消えていった。
それから、しばらくして。
頭痛を癒すための短い休息を終え、ジュリアンが再びテントの布をめくった時、そこには予想外の静寂が広がっていた。
生臭かった化学臭は清涼な消毒薬の匂いに塗り替えられ、テント内は不思議と落ち着いた空気に包まれている。
隅を見れば、あんなに苛立たしく跳ね回っていた豹たちの尻尾が、今は静かに止まっていた。
彼らはオスカーによって施された的確な処置により、深い眠りに落ちている。
膝を抱えるようにして身を丸め小さくなり、すうすうと呼吸を繰り返すその姿は――狂いかけた獣ではなく、ただの年若い少年兵そのものだった。
幼い身でしか石を受け入れられない豹の適応者たち。
拡張された視野で夜を切り裂き、音もなく敵を屠る彼らは、より早く自我を削り切り、化け物として『処理』される。
その寝顔に少年の面影を見出すたび、ジュリアンの胸には泥のような嫌悪がせり上がった。
「……猫は寝かせましたよ、大尉」
声のした方を見ると、オスカーが馬の兵士の鎖骨に埋まった金属部品に電極を突っ込みながら、計器を眺めている。
「今回の活性剤はとことん豹と相性が悪いようですね。強めの鎮静剤と睡眠薬を投与しました。二時間は起きないでしょう」
眼鏡の奥の目は、先ほどの冷たい言葉とは裏腹に、眠る――あるいは副作用に今も苦しむ――彼らを慈しむような、ひどく穏やかで柔らかな色を湛えている。
もともとそういう顔立ちではあるが、その手つきは、壊れた玩具を直す技術者ではなく、傷ついた者を介抱する医者そのものだった。
「さ、あなたも。これで楽になりますが、この薬剤は血液を焼くと噂のもの。数秒は痛みますよ――」
針を通じて石に流される微弱な電流。
弾き出された紫色の最適解が金属から伸びるチューブに流し込まれた瞬間、青ざめていた大男の体がビクンと大きく跳ねる。
石を生かすための『適切』は、人を生かすための『適切』ではなかった。
「ぁ゛ッ?! 痛゛ぁぁ゛ッ――ぁああ゛ゔゔッ!!」
「おおおッ、暴れ馬はやめてくださ、痛いな! あ、ちょっと! コードが切れる! じっとして下さい!」
暴れる馬をその細腕でしっかり押さえつけるオスカーに、ジュリアンは小さく溜息をついた。
言葉は最悪で、態度は不遜。けれどその指先が、この絶望的な部隊の命を一番長く繋ぎ止めていることを、ジュリアンは知っている。
「二時間か」
「は、い。ッこら大人しく! ――それぐらいは安静にして、いないとッ、意味がありません、から、ね!」
「……そうか。ならば、空いた枠はお前が埋めろ」
「拳を処方してやろうかッ、……ぉ? はぁ、どうどう……。楽になってきたでしょう……――はい?」
馬らしい筋肉質な大男を、馬乗りになって押さえつけていたオスカー軍曹。その動きが止まり、驚愕の表情がぐるりとジュリアンに向けられる。
「『子猫』が出られなくなった。戦力に数えていた分、穴が空く。……代わりに私が前に出るから、お前は真ん中あたりの荷物持ちをしろ」
「ちょっと待ってください大尉、僕は今回非戦闘員ですよ! このバサバサで貧相なしっぽと枯れ枝のような細腕を見てください、あなたたち『優』の個体と違って引き出せる力なんて皆無だ。……一番後ろ、いえ、一番最後尾から二キロくらい離れた位置にしてくださいよぉ!」
ジュリアンはオスカーの泣き言を背中で聞き流しながら、天幕の出口へと歩を進めた。
劇薬を撃ち込まれたあの馬の隊員は、あの馬の隊員は隊一番の剛腕だ。
そのパニック的な暴走をその細腕で抑え込んでおいて「力が無い」など、冗談も大概にしてほしい。
星空ばかりが明るいテント外では、伝令から戻ってきたカイルたちが合流した仲間と共に、既に装備の最終点検を始めている。
「皆のデータをッ誰が! 理論的に! 対策方法も考察して! 上に報告するんですかッ! 損失ですよッ国家的な損失だッ! ジュリアン! 聞いてるんですか大尉殿!」
小賢しい正論を並べつつ文句を言いながらも、ジュリアンが皆で出発の準備している所に向かえばオスカーはそのまま合流した。
手際よく医療鞄を背嚢に括り付け、散らばった予備の弾倉をせっせとポケットにねじ込んでいく。
口では最悪の事態を並べ立てながら、その体は既に、馬としての役割を受け入れ始めていた。




