39話 夕食
「奥様。夕食の準備が整いました」
「ッ! 今行くわ、」
扉が叩かれて、奥からエルザの声がした。
どきりとしたわたしは急いで立ち上がり、スカートの膝部分をバサバサと叩いて灰を落として返事をする。
夕食は、厳格なマナーも求められない穏やかな憩いの時間。けれどお義父様、エドワード様、わたし、と屋敷の管理者全員が揃う情報交換の場でもあった。
わたしは礼を失しないタイミングで「お昼に騒がせてしまった件についてですが、」と口を開く。
「あの馬車はベネディ商会の新型……機械式の馬車だったそうです。無事に彩雲糸の納品を終え、物資も受け取りました」
まずは要点だけを伝え、それから向かいのエドワード様へ視線を向けた。
「エドワード様。警備隊の方々も、陣形を乱すような騒ぎになってしまい申し訳ありませんでした」
「いや、義姉さんも知らなかったことでしょう。気になさるな」
小さく首を振った彼は、ジャガイモが入ったスープに視線を落としてふっと表情を緩める。
「だが……ふふ。私がいた山の詰所からは、あの機械車が猛烈な雪煙を上げているところがよく見えていましてね。隊の皆が、『雪崩が逆走して村を飲み込もうとしている!』と本気で騒ぎだしたものですから……。なだめるのが、それはもう大変でした。ふふ……今思い返せば、なかなか愉快な光景でしたが」
「愉快なものか……」
重々しく、けれどどこか力のない声でお義父様が割り込む。
「こちらからはあの、奇怪な鉄板がこちらを睨んでいるように見えておったのだぞ。てっきり王国の……『強制調査』が来たかと思って……。はぁ、まだ足が震えるようだというのに……」
やはり、ご無理をさせてしまった。わたしはスプーンから手を離し、食事中とはいえきちんとした謝罪をしようと椅子からお尻を浮かせる。
「あ……もッ、申し訳――」
「いや、冗談だ。そんな顔をするんじゃない、アナスタシア」
謝りかけたわたしの言葉を、お義父様は片手を挙げて遮った。
「秋から死に物狂いで頑張ってきたのだろう。それが報われて、本当によかったではないか」
「――は、はい。皆の協力のおかげです」
遮られたので、大人しく座り直す。お義父様の表情は、よく見れば――現在一番暖炉に近い席にいるというのもあるのだろう。血色もよく、本当に冗談だったのだと分かる穏やかな表情だった。
「父さんは、いつも磨くだけだった家宝の剣を久々に帯刀できて、本当は嬉しかったはず。ね、そうでしょう? 父さん」
エドワード様が、茶目っ気たっぷりに横目で見やる。すると、お義父様は露骨に視線を逸らしてスープを啜った。
「……言うな。私のお喋り癖がついにうつったか、エドワード。まったく……」
「――、……んふ、ふふ……っ」
意味を理解したわたしはこらえきれず、口元を覆う。
エドワード様が隊をまとめ笑い話にできる余裕。お義父様の恐れと冗談も、わたしの為のからかいも。すべてが温かくて心地いい。
そして――あらためて小さな干し肉の入ったスープを眺めながら、わたしはどうしても思ってしまう。
この場に旦那様がいたら、どれほど幸せだっただろう。と……。
………
……
…
村には、例年よりも早い春の仕入れと国への雪糸献上が行われていた。
姉さまの馬車――砕氷の銀蜂が馬車道を切り開いてくれたおかげで、『馬車が通れるようになるまで、春を待ちながら雪解けを待つしかない』という状況を省略することが出来たからだ。
とはいえ、すべての物資が軒並み値上がりしている。例年よりも早く交易が復活して安心。とは素直に思えず、領民たちの表情が明るくなることは無い。
火薬の匂いを嗅がずとも、戦争の足音が聞こえてくるようだった。物理的には遠くにあったそれが、振り返れば真後ろにいる。そんなじっとりとした恐怖と焦りが頭の隅に居座って離れない。
――補給線が狙われている。防備と備蓄をさらに固めておきなさい。
姉さまの忠告を、また噛み締める。
去年の冬の備蓄の時期、まだ男手はあった。けれど今年はその分が――二十二人の男手が――ごっそり抜けている。戦争が終わらない限り、圧倒的に人手が足りない。
もう少し気温が上がれば――それこそミーナの土還の儀が執り行われる頃になれば、農作物と霜麻の種まきが始まる。でも今年は耕せる畑も、収穫量も、備蓄もきっと十分には用意できないだろう。
わたしは今日も彩雲糸を紡ぎながら、二つの選択肢をそれぞれ天秤に乗せていた。
彩雲糸の生産を抑え、皆と農作業に励むか。
彩雲糸の生産に全力を注ぎ、姉さまから食料を得るか。
勿論どちらにも全力を尽くせればいいだろうと思う。
でも――心の天秤が軋む音がする。重たい決断だからこそ、〝中途半端〟はダメだ。
どちらかに完全に賭けなければ、きっとどちらも上手くいかない。ただでさえわたしは、姉さまほど器用ではないのだから……。
わたしは糸車を止めて、手袋をはめてボビンを掴む。工房隅の手回しかせ上げ機の前で――雪の塊が浮かんだ水面を見つめながら、この一年は何が何でも糸車に齧りつく覚悟を固める。
とにかくわたしは、わたしに出来る全力を。
そうじゃないと、旦那様に顔向けできないから。




