38話 初めての納品
去年の秋に姉さまと契約をして、初めての納品。そして初めての対価。
馬車を誘導し、屋敷前に止める。本当に、その姿は馬が繋がれていないただの荷車に見えた。
動力が見えないのに、車輪は恙なく回ってこの雪道を難なく進んでいる……いかにも錬金術らしいというか、夢を見ているかのような、不思議な気持ちになる。
工房に戻って状況を説明し、若くて力のある女性四人に付いて来てもらう。
比較的綺麗な木箱に布を敷いて、その中にしまい込んでいた彩雲糸――その数、十束。
わたしが怪我をしなければもっと紡げたし、怪我をしたからこそ――やかんに金具を追加したり、水車式のかせ上げ機の導入にもつながったから――これだけ紡げたともいえる、努力の結晶。
「試作よりもさらに虹が強く出ていますね。アデレナ様もお喜びになるでしょう」
まずは重さを測る。それから基準として秋に姉さまに提出してきた試作の彩雲糸を、今回納品の束に翳した。そうして最低限の虹具合を見て、合格か判断する。
一束一束、『合格』として木箱へ納められていくたびに、わたしは熱いものが込み上げてくるような興奮に包まれていった。
これまで生きてきて努力が報われたことなど、ほとんどなかったのだ。
一生懸命覚えたマナーも挨拶も、発揮するべきところでいつでも躓き踏み出せない。あんなに頑張ったのに、沢山教えて貰ったのに……。
でも、これだけは。
箱の中で誇らしげに煌めく糸を改めて見つめる。
今回だけでも、指を焼いた甲斐があった。
それに〝姉さまが喜ぶ〟。その予想を聞くだけでも、顔がだらしなく弛緩してしまいそうになる。
「彩雲糸十束。納品確認しました。それではこちらの木箱を五箱、ええと」
「はい。こちらで運びます。ソフィアさん! こちら、屋敷の中までお願いします。二人一組で持って、丁寧に扱ってくださいね。けれど無茶はしないで」
「はぁい、みんな、いくよ」
待機させていた女性陣で木箱を運び出す。「よいしょ」「重いね。足元、気を付けな」なんて声を聞きながら、その動線から外れたわたしは、ゴドウィンさんから板の上の紙とペンを差し出された。
「こちら、受領書とその控えです。ここと、こちらにサインを」
「は、はい」
「それから、こちらアデレナ様からのお手紙となります」
「えっ、あ、姉さまから、ですか」
金縁の手紙を差し出され、サインした紙と交換するみたいに受け取る。
飛び上がりそうなほど嬉しかった。でも同時にわたしの中に広がったのは色濃い焦り。
現在時刻は昼と夕方の丁度中間。帰りは下りで、行きと違って道も開けているとはいえ……日が沈む前に麓町には帰さねばならない。
馬車の外で警戒する警備の手には、ホカホカと湯気を立てるスープがあって、ゴドウィンさんもこれから振舞われるだろう。飲み終わればすぐ出発だ。
――手紙を書く時間はない。
「あの、ゴドウィンさん、先ほどの受領書は、姉さまも確認なさいますか」
「ええ、そうなるでしょうね。あの方は自分の目で見たものしか信用しませんから」
「もう一度、受領書とペンをお貸しいただけないでしょうか。あの、不備はなかったのですけれど、一言だけ添え書きを」
「いいですよ」
「ありがとうございます」
〝アナスタシア・ヴァルデリウス〟
今さっき自分で書いたそのサインの下にペン先を据える。
溢れんばかりの書きたいことを、頭の中で選別して……。
感謝。これからも頑張ります。嬉しい。姉さま。……それから、それから……。
受領の証とともに、溢れる感謝を。火急につき略儀にて失礼いたします。
受け取った熱を糧に、次なる納品まで尽力いたします。姉さま、わたしは幸せです。
……やはり、落ち着いて事を成せないとき、焦りは思考を奪う。
最後は甘えた子供の手紙のようになってしまった。
姉さまの身を案じる言葉もないし……。
ペン先を迷わせて――けれど流石にこれ以上は書きすぎだと判断して止める。
「よろしくお願いします」
「はい。確かに」
「次回は春……でしょうか」
「そうですね、穀星が東に回帰する……そちらの……銀冠草。あの白い花が満開の頃。それが我らの、再開の合図かと思われます」
わたしは少しだけ目を見開いてしまう。
あの花は、わたしも嫁いできてから知った、ここヴァルデリウスでしか咲かない花。
薬にもなるから乾燥させて麓に卸しているけれど、コンメルタスにいて花の咲く時期をご存じだとは――この地の春を基準に答えてくれたのだろう。
その博識の上に乗った親切に、胸が温かくなるような気持ちになる。
姉さまのそばにいる人が、優秀で嬉しい。
「スープをありがとうございました。それでは、次回も期待しております」
「ええ、姉さまによろしくお伝えください。お気をつけて!」
こうして、来た時よりも幾分静かに、ベネディ商会は帰っていった。
………
……
…
木箱はエルザの指示で食糧庫まで運び込まれていていた。
わたしはしっかりと釘で止められている蓋を、鉄梃で丁寧にこじ開けていく。
中身は……食料品が主だけど、それだけではない。どの箱を開けても一通りの生活が整う、完璧な詰め合わせだった。
三箱をスープ用に、二箱を屋敷の備蓄に追加する。そう決めていたけれど、配分に困る小瓶の高級品や薬は抜き取って屋敷の備蓄へ回した。その分、屋敷の備蓄に回しても余りがちな乾燥豆や塩の塊などはスープ用に。
仕分けを終え、在庫表へ品目と数量を書き加える。
それからやっと、わたしは自分の部屋に戻って姉さまの金縁手紙を開封した。
親愛なるわが妹、アナスタシアへ
ヴァルデリウスの冬は、想像以上に厳しいのでしょう。息災にしていますか?
あなたを驚かせてしまったかもしれないけれど、今回送り込んだのは我が商会の意欲作、砕氷の銀蜂よ。
前方に展開した最新の錬金術由来・緋緋色金製の雪除け羽は、熱伝導率と硬度が極めて高いの。
ある程度の速度で雪原に突っ込み、雪を熱で割り力で蹴り飛ばしながら進む設計よ。……少しばかり、雪深い山道での試運転も兼ねさせてもらったわ。驚かせてしまったのなら、許して頂戴。
納品される彩雲糸、首を長くして待っているわ。木箱の中身は、あなたの生活を支える助けになるかしら?
次の便は、春頃に向かわせるわ。 それまで、どうか体に気を付けて。
ベネディ商会・筆頭執任 アデレナ・ベネディ
あの地響きと雪崩を思わせる雪煙、それがこちらへ向かっている恐怖を思い出す。
驚いたけれど、試運転を兼ねていたなら――この地まで問題なくたどり着いたのだからきっと成功したのだろう。姉さまのお役に立てたのなら、少しだけ誇らしい。
と、その時。手紙が手の中で滑って驚く。二枚目があったのだ。
ただの紙切れのようで、便箋と違って装飾もなく、走り書きのような横に伸びた文字が綴られている……。
この紙は読んだら必ず燃やすこと。
戦況について。港町は奪還。けれど西の草原では膠着状態が続いているわ。 敵軍に新型兵器の噂あり。以前、私が冗談だと言った「移動要塞型」の兵器も、もはや笑い話では済まされなくなってきた。
補給線が狙われている。ヴァルデリウスへの道が閉ざされる前に、そちらの防備と備蓄をさらに固めておきなさい。
さぁ、読んだわね。今すぐ暖炉に突っ込んで燃やしなさい。
「ひぇ……」
最後の一文は、後ろから姉さまに囁かれたかのような実感があって、背筋が伸びる。もちろん、念押しされなくてもちゃんと処分するつもりだった。でもここまで徹底するということは、それほど貴重で危ない情報を提供してくださったということ。
小さな紙に燃やせ燃やせとせっつかれながらも、暗記するためにもう一度じっくり読み返す。
港町奪還、西で膠着、新型兵器と補給線のこと。防備と備蓄。よし、覚えた。
暖炉の前に膝を付いて……しばらく部屋を開けていたから、中に横たわる黒ずんだ薪は赤い線をチラリと残す程度になっている。
薪の上にそっとのせて火打石を近くで擦ると、火花の付いた紙に炎は上がらなかった。けれどみるみる穴が開いていき、最終的にはほんの小さな黒い燃え残りになる。念のために、火掻き棒で黒く柔くなった薪を割って混ぜておく。




