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最果てより、愛をこめて。  作者: すの
第五章:損耗
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29話 灰色の夜明け


 一晩かけて、刻み付けるみたいに針を動かし続けていると、いつの間にかロビーの長窓は漆黒から明るい灰に色を変えていた――夜明けだ。


 手元を見れば、するべきことはすべて終わっていた。

 明るくなっていく室内で、彩雲糸のきらめきを眺めていると、逆立っていた毛が撫でつけられていくような安堵が薄膜となって心を覆っていく。


「奥様」

「ええ」


 仮眠させたエルザが戻ってきて、わたしに声をかけた。

 わたしは籠に諸々をしまい込み、マルタさんやロジーさんの体調を遠目で確かめる。

 憔悴している様子は変わらない。それでも致命的にふらついている様子はなさそうだった。


 それから、見送りの儀の最後の儀である『春待ちの眠り』の為の安置室を自分の目で確認しに行く。

 北の角にある窓のない部屋には、もうすでに眠りと封印のための道具が不足なく揃っていて、皆で寝台ごとミーナ抱えて歩く道にも障害物はない。


 ロビーに戻ると、もうすっかり朝日が上がっていた。

 お義父様とエドワード様も揃っている。

 わたしを見て、その視線で労い伝えようとして……わたしはそのすべては理解できずとも確信をもって頷き、ここからの儀式も夫人として完遂するべく背骨に力を入れた。


 お二人とも、きっとあまり眠れなかったのだろう。

 落ちくぼんだようにも見える目の下のクマが痛々しい。


 玄関扉から見て真正面にある大高窓から、暴力的なまでの白が流れ込んでいる。

 空から降る雪と、積もっている雪。

 その両方が薄雲越しの朝日を乱反射させて、冬特有の濃厚で重い白光が夜を超えた私達全員を照らしていた。


「これより、ミーナを春待ちの眠りへ就かせる。王国の一角を担いしその魂が、凍土の下、静謐なる安らぎを得んことを」


 儀礼通りの宣言をするエドワード様も、ミーナを運ぶために寝台に集まる私達も、大高窓からの光に照らされて静かで荘厳な輝きに満ちていた。けれど反対側に落ちる影は、底なしに暗い。


「――上げよ」


 短い号令で、カコ、と軽い木の音が鳴った。寝台は特別な作りになっていて、板の四隅には取っ手が付いている。

 そこを男性陣――お義父様、エドワード様、フーベルト、ベルトラム――が持ち上げると机部分の天板が外れ、担架のようになるのだ。

 ミーナにかかっている白いリネンが床を擦らないように布を持って歩くのは、わたしを含めた女性たちの役目。


 一歩、一歩。

 わずかに一拍止まりながら。

 雪が視界を覆うのと同じ速度で、ゆっくりと歩を進める。


 北角の安置室に向かうにつれて、どんどん皆の息が白くなっていくのに――ミーナからは何も立ち昇らない。

 それに衝撃を受けず、泣きそうにもならない自分自身にわずかに驚きながら、わたしはリネンを握り直した。


 安置室にて、リネンを敷いた石作りの寝台にミーナを寝かせる。

 彼女は春まで布に包まれて封印されるのだ。

 春まで、この部屋を訪れる者はいない。

 土還の儀の日まで、リネンの封印も解かれない。


 寝台の四隅に立った蝋燭の明かりの元、顔を合わせる――最期のお別れの時。


「ロジーさん、良かったら……これを。ミーナと共に」


 許された時間目一杯ミーナの髪を撫でることに費やそうとしているロジーさんに、わたしは昨夜のうちに作っておいたハンカチを手渡した。

 彩雲糸で悪夢除けの伝統的な刺繍が施してあるもの。

 本当は子供の枕に施すもので、春待ちの眠りに添えるものではない。

 ……それでも、こんな冷たい部屋で春を待つミーナの眠りが少しでも安らかなものになりますように。そんな願いを込めて作った……。


 ずっとぼんやりしていたロジーさんは、ハンカチを見て顔をくしゃくしゃに顰めた。

 けれどそれは怒りではなくて――悲しみの爆発だと、わたしは痛いほど理解できる。

 彼女自身の震える手で、ミーナの胸元に悪夢除けが添えられる。


「ずっとずっと愛しているわ……ミーナ……春まで、ッ春になったら、また……ミーナ……ッ」


 涙をぼろぼろ流しながら、最前列から離れるロジーさんは、マリアさんの腕の中に納まって声を殺して泣いている。

 わたしは、エドワード様と視線を合わせ、頷いた。

 協力しながら、儀礼通りの手順でミーナを封印していく……。


………

……


 春待ちの儀が終われば、皆それぞれの家へ帰っていく。

 雪の子供みたいな粉雪がちらりちらりと降り続く明るい玄関で、ロジーさんは最後に振り返って屋敷に残る私たちに頭を下げた。


「見送りの儀を、ありがとうございました。大旦那様、エドワード様。奥様も、あんなにきれいなハンカチを……。ミ、あの子を、どうか春までよろしくお願い、いたします……」

「しかと預かった。安心しなさい。ロジー、我が屋敷の唯一の良いところはその堅牢さと寒さだ。ミーナのこともちゃんと守ってくれる」

「ああ、あの子は冬の間も確かに我らを支えていた。……安らかに就かせてやりなさい」

「はい、大旦那様、エドワード様」

「ロジーさん。……貴女の悲しみはこの屋敷が、わたしも、共に背負います。今はただ、自身の熱を絶やさぬよう、温かくしてくださいね」

「はい……はい。奥様……」


 わたしは、そういいつつマリアさんを見ていた。ロジー家と比較的家が近いから、よく見てあげてと視線で伝える。

 遺体の整え手として、いい意味でも悪い意味でもこの寒冷地の理に慣れている彼女は、その意図を察したように頷いてくれた。

 それから、もう歩き出そうとしているマルタさんを呼び止める。


「マルタさん。マルタさん、怪我の具合をおし、……報告してください」


 言いながら、「大丈夫だよ、こんなの」と笑う未来が見えた。

 だから両手をお腹の前で組み、出来るだけ固い声で問いかける。

 マルタさんは少しだけギクリとしてから振り返った。


「ああ。奥様……」


 雪糸生産は今日このあともある。

 ロジーさんとマリアさんはともかく、立ち止まり続ければ、悲しみばかりが膨らんでしまうから。


 そしてわたしと同じ右手に怪我をしたマルタさんも、このあと無茶をしようとしていたのだろう。


「奥様ほどじゃ……あー……うう、そんな目で見ないでおくれよ。まったく……」

「マルタさん……」

「分かった。分かったよ。そうだね、まず、腫れてるが骨は折れてないってリネットのお墨付きをもらった。でも噛み傷が結構深くてね、じつは、ちょっとだけ縫ったんだ」

「ッ!!」


 体に対して、破れたから布のように縫うなんて初めて知った。そんなことが出来るものなのか。しても良いのか。

 しかし薬師の家系のリネットさんがそう判断し、処置をしたのなら、大丈夫なのだろう。


「それで……その、瘴気が入ったのか少し熱っぽいから、今日は休む。これでいいかい」


 照れたように頬をかきながら、自己判断の通り熱があるのだろう。汗ばんだ額に、前髪が束になって張り付いている。


 彼女の痛みを前に不謹慎だと分かっていても、胸が少し軽くなった。

 マルタさんは、過去のわたしのような無茶をしない。

 やはり彼女にに任せて良かった――そう自分ごと誇らしく思えれば、昨日から潰されたままの胸がわずかに楽になる。


「ッはい、はい。ぜひそうしてください。あの、熱があるのに、ありがとうございました」

「まぁ、こればっかりはね。任せてもらったから……じゃああたしは帰るよ。奥様も少しぐらい寝るんだよ」


 昨日積もった雪をのしのしと掻き分けながら、マルタさんは帰っていった。

 その轍を、ロジーさんとマリアさんが並んで続く。


「エドワード、アナスタシア」


 見送るわたしの後ろ。お義父様が玄関ポーチの影から手を招いた。


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