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最果てより、愛をこめて。  作者: すの
第四章:兆し
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25話 短い晴れ間


 ハンドルを握ったマルタさんは、わずかに口角を上げた。白く平べったい息が漂う。


「……ああ、本当だ。これなら巻き取っていく糸の張りが、よく伝わってくるだろうね」


 彼女のこの力強い声を皮切りに、工房は新しい道具を受け入れ、いつも通りの雰囲気に戻っていった。

 ボビンを持つ方の手はいまだ冷水に漬けて糸を引っ張らないといけないし、衝立の位置はやはり改善の余地がありそうだけど。


 生産速度は徐々に上がり、ノルマも少し早く終わるようになった。


 ノルマを超えて生産することもできたけれど、女性たちには雪かきも家事もある。

 だから少しでも早く帰して、各々の家のことをする時間に当ててもらうことにした。


 そして――「少しだけ長く寝れたのよ」なんて声をちらほら聞くようになったころ。水車式かせ上げ機を導入してから一か月が経った、久々の晴れの日。


 わたしは工房裏の森の入り口の、日が差して、けれど周囲からは少し隠れた場所に彩雲糸(ルクシア)を吊るして干していた。

 いつもは風通しの良い廊下や、ストーブの近く、暖気の溜まる工房の天井付近で干していたけれど。雪糸含め、本当は日光に晒して干した方が不思議と白くなる。

 だから貴重な晴れ間にはみんな外に出て、乾燥途中の糸束を吊るしたり、雪の上に晒したりしていた。


 時々吹く風は強く、頬を裂くみたいに冷たい。

 それでも、閉ざしの冬を忘れてしまうほど今日の空は青く広く、陽光が暖かかった。


 日の元で白く輝き、虹の分光を返す彩雲糸の束は、息を呑むほど美しい。

 山の方から細かな風花が降り注ぎ、そこら中でチラチラと光っていた。


 それはまるで、極寒の山にも降り注ぐ太陽の祝福のよう。

 

 切り株の上に積もった雪を払い、腰かけて景色を堪能していた。呼吸のたびに白い息が辺りを漂う。

 風が吹くたびにふわわふわわと束を揺らす彩雲糸は、そのたびに薄桃色になったり薄青色になったり、かと思えば薄緑色になって、目が楽しい。

 

 この景色は、皆で作り上げたもの。

 けれど最初の一歩を踏み出したのは、確かにわたしだった。


 今このひと時だけは、わたしはわたしを褒めてあげてもいいかもしれない。


 だって、人生で初めてだったのだ。

 自分の持っている手札を確認して、それを使って誰かを助けたい、守りたいと思ったのは。

 いつも苦痛や恥から逃げてきたわたしが、この四か月だけは胸を張って「頑張った」と言える……。


 さあさあと風が雪と森を撫でていく。


 キラめくものは、それだけで嬉しい。

 領民と歩むと決めた。それでも心のどこかで「褒めて」と幼い自分が囁く。

 そしてその感情を甘やかしてくれるのは、空想のリアン様。

 いつかお帰りになって、この景色をお見せできれば――「これを、君が一人でやったのか?」なんて言って笑いかけてくださるかも。わたしの隣に座る、ぼやけた男性の影が囁く「素晴らしいよ、アナ。私は君を誇りに思う」それから、「愛しているよ」と、そのお顔が近づいたり……。


「……――ッ゛、」


 干すときに手袋を外したまま、真っ赤になっている手で両頬を覆う。ブーツの足がざふざふと雪を踏み鳴らした。はしたない。はしたない。明るいうちからなんてふしだらな妄想をしているの。

 

 と、その時。吹いていた風がほんのわずかに弱くなったのを感じた。

 先ほどまでの乾燥して鋭い風とは違う。

 湿っていて、勢いがないから少し気温が上がったと錯覚する風。

 見上げれば、晴天はその半分以上が雲に喰われてしまって、太陽ももうすぐ餌食になるところだった。


「あぁ……、」


 わたしは空に向かって口を開けため息を零す。

 色の薄いあれは、分かりにくいけれど立派な雪雲だ。

 白く遠くにあるからといって油断しているとあっという間に空を黒灰色で埋め尽くし、晴れ間の穏やかさが嘘だったかのような豪雪をもたらす。


 せっかく、よく晴れていたのに……。

 けれどもこの土地で何よりも強いのは自然そのものだ。これ以上は干していられない。

 また雪が降り出す前に、彩雲糸を片づけなければ。


「……ん、なにかしら」


 すべてを抱えて山から下りていくと、下方に見える工房の、その入り口から走って誰かが出ていくのが見えた。

 その慌てっぷり――雪に滑って手を付いて、それでも這うように前に進むような――に、肺がつぶれるような危機感を覚える。

 糸を抱え直し、踵で滑るようにして降りていくと、悲鳴のような喧騒が聞こえてきた。


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