24話 雪糸の魂
「これは……」
「ん。説明するから……巻き終わったボビン一つ持ってきてくれるか」
巻き上がりには足りないが、説明には十分な量のボビンを自分の雪糸用糸車から外して持っていく。すると、ガウスさんは「じゃあ、見てな」とパーツの組み立て方を説明してくれた。
「まず、かせ上げ機を中に。持ったまま、ここから真ん中にこの棒を通す」
「横に……!」
かせ上げ機と言えばコマのように立てて水中に沈めるものだと思っていたけれど。
まるで水車のように水桶自体にかせ上げ機を固定して、外についているハンドルを回せば、片手は冷水から出した状態でかせ上げることが出来る。
「仕組みは作ったんだが、これでちゃんと糸が仕上がるかはまだ分からん。やってみてくれるか」
「は、はい!」
感動で握りしめていたボビンを水中に沈め、糸端をおっかなびっくり骨に添わせる。取っ手を持ち――まさにこの棒は火掻き棒を曲げて作ってあった――ガウスさんを見ると頷いてくれたので、ゆっくりと回しだす。
「わ、ぁッ、あ、あ、すごい」
程度が分からず、水中のボビンを手放しそうになる。完全に水中を回っていた状態と違い半分が水面から出ているから、回すたびにぱちゃちゃ、ぱちゃちゃ、と音を出して水を撒き散らしてしまう。
顔に水がかかるのと、体の芯から満ちていく「これは成功なのでは」という明るい思いのせいで、中途半端な歓声が上がる。
「ん、……跳ねるな。板か……奥様。済まねぇがちゃんとやってくれないか。顔はどのあたりにくる」
「あ、はい。お待ちを……いつもはこう……ここでこう、前のめりに。今は取っ手がこちらにありますから……大体、この辺り。でしょうか」
糸が巻き付いていくにしたがって水撥ねはひどくなっていく。ガウスさんは長細い桶の真ん中あたりに衝立を付けることで、少なくとも顔に冷水が掛かることは防ごうと考えているらしい。
「結構速さが出ますね。仕上がった雪糸の強度を確かめなくてはいけませんが……これならもう片方の手も、凍傷にならずに済むかもしれません」
「ああ、俺ぁちょっと衝立用の板切ってくるからよ。奥様は、今日は、」
「はい。今日中に仕上げてしまいましょう」
雪糸の強靭さは、冷やしの工程で作られるものだ。
作業速度が上がったことで冷水に浸かっている時間が短く、つまり冷却不足の恐れがあったけれど……ガウスさんが衝立の位置を調整している間、薪ストーブ近くで乾かしていた第一弾の雪糸も、強度はいつもと大差ない。
視界が塞がる衝立の位置も、恐らく慣れがなんとかしてくれそうだった。一応、取り外しが出来る仕組みにしてもらったけれど。
長細い水桶の中央にかごの取っ手を思わせる衝立が付き――左側には水車のようなかせ上げ機とハンドルが付く。最終的にその形に収まった。
何度も雪糸をかせ上げて試したが、大きな問題は見つからない。
「……奥様、実はな。俺はずっと昔から、かせ上げン時はこうしたらどうか、って考えてた」
ガウスさんは、新しくなった横軸のハンドルを回しながら、苦笑混じりに零した。
「だが、桶を改造するなんて、大旦那様や――大奥様に怒られると思って言い出せなかった。それに、俺たちが『水が冷てぇ』なんて泣き言を言やぁ、『気合が足りん』で済まされるのが関の山だ……当たり前だろう。だって貴族様は……一緒にやったって、指先が紫になるまでは作業しねぇし。他のお仕事で忙しい」
水しぶきを上げながら軽快に回る水車を見つめる。
その細くなった瞳の中には、諦念の中でくすぶっていた熾火がぼっと炎を上げた時のような、暖かい光があった。
「でも、あんたが、あんなひでぇ火傷をして……それでも『なんとかしたい』って必死に走ってきた。……その熱意が、俺の眠ってた考えを叩き起こしたんだよ。こいつは、奥様。あんたが現場で俺たちの隣に、同じ場所に、ずっと立ってたから生まれた道具だ」
ガウスさんのその言葉に、わたしは〝いい子〟になると決めたのに少し泣きそうになりながら。それでもガウスさんと視線を合わせて力強く頷く。
これなら片手は凍傷やあかぎれから守れるかもしれない。
かせ上げが一秒でも早く終われば、もう片方の手も冷水に浸かる時間を減らせるだろう。
数日かけて追加で数個水桶を作り――ガウスさんの代わりに女性を一人警備隊に出した――工房の皆にも使い方を教え、正式に生産に導入する日が来た。
「――このようにして使います。……しばらくは使いにくいでしょうが、慣れてください。凍傷や、あかぎれになる可能性を少しでも減らし……さらに生産速度を上げていくことが目標です。あ、……み、皆さんからも、作業性向上のための意見を募ります。どんな小さなことでも……聞きます。実現できるかは分かりませんが、皆で力を合わせてこの冬を乗り越えていきましょう。せ……説明は以上です。質問がある方はいつでも声をかけてください。では、解散」
新しい水車式のかせ上げ機を前に、やはりマルタさんをはじめ熟練の職人たちは複雑な顔をしていた。
マルタさん一同が頷かないから、若手も興味は持ってもハンドルを握ろうとはしない。
「……冷たい水で腕を回してこそ、雪糸の魂が入るもんだと思ってたんだがねぇ」
誰かが漏らした言葉に、無言で数人が頷く。わたしは包帯の巻かれた右手をそっと、頷いた人に重ねた。
「ッ、ぉくさま、」
「わたしは、」
いきなり何。と訝しむ表情に少しだけ胃が痛くなる。それでも、わたしはその冷たい手を離さなかった。
職人らしい、毎年の地獄を耐えに耐えた細い指は、やはりしもやけを繰り返して暗い色に変わっている。この冬でまた新しく裂けたあかぎれの赤い痕が、ざらざらの瘡蓋になっていた。わたしはその手をそっと撫でながら、
「わたしは――雪糸の魂は、指先ではなく皆さんの『目』に宿っていると思います。手が凍えて感覚がなくなる代わりに、その鋭い目で、糸が一番美しく輝く瞬間を……今まで以上に厳しく、見極めてほしいのです」
「奥様……そうはいっても……」
皆の言いたいことは、わたしにも痛いほど理解できる。
自分たちはどれだけ痛くてもずっと耐えてきた。その苦しさに魂が宿ると信じて。
その誇りや矜持を――たとえ金輪際凍傷とおさらばできようとも――曲げることは、きっととても難しい。
真剣にこの冬の冷たさと、雪糸に向き合ってきたからこそ……。
と、その時。様子を見るために来ていたガウスさんが、豪快にハンドルを回して見せた。
「ガタガタ言うな。これで冬を越すたびに指が紫色になる奴がいなくなる。奥様のおかげで、俺たちは来年も再来年も、痛い思いをせずに糸を紡げるんだ」
凍てつく工房に、チャプチャプと軽快な水の音が響く。 職人たちの顔から強張りが消え、マルタさんがおそるおそるハンドルを握る。




