23話 新しい試み
あの時ガウスさんは――今思えば必死になって、なぜ「衝立の中に入るな」と言ったのか。
その答え合わせは、火傷から二週間ぶりに衝立へ入り、薪ストーブのやかんに取り付けられた金具を見た瞬間になされた。
「これは……!」
やかんの先を覆うような金具。蒸気が漏れないような構造になっているけれど、穴が二つ開いていて、そこに糸を通せば火傷することなく、糸に大量の蒸気を当てることが出来ると察せる。
ガウスさんは、戦争前は生産棟の糸車を作ったり、壊れた鍋ややかんなどの金属製品をよく直していた――村の道具番。
答え合わせはなされたけれど、わたしの思考は根っこまで及んでいた。
ガウスさんにこれを作れと命じることが出来る人。
わたし以外に唯一彩雲糸の作り方を知ってる――お義父様。
「――ッ、」
雷のような激情にまま走り出した。
工房を出て、灰が撒かれた黒い道で転ばないように気を付けながら。
「はぁ、はッ、」
左右にうず高く積もった雪が音の全てを吸収していた。
走り慣れていない足音。荒い息。
耳の中で暴れまわる鼓動ばかりが内反射して、屋敷の扉を開ける。
「お義父様!!」
「、アナスタシア。おはよう」
テラスに挨拶もなしに飛び込み、目覚めの一杯を台無しにしかねないわたしの姿を見て、お義父様は分かりやすく叱りも喜びもしなかった。
穏やかに、優雅に。飲みかけのカップを降ろす。
「お、はッ……は、――ッやかん、金具の、手配を……ッ!」
やはり慣れないことをするべきじゃない。
走るなんて貴族らしくないの極致だ。
心臓が痛いし、肺の奥まで冷え切って言葉が出てこない。
胸を押さえたまま挨拶も出来ていないし、きっと髪だって乱れている。
それでも、あの金具を見た瞬間。たまらなく嬉しかった。
誇らしかったし、どうしようもなく憧れた。
この二週間で――もうわたしが怪我をしないように、より効率よく彩雲糸が紡げるように。人を手配し道具を考え、設置して。
きっちり結果を出された。なんて貴族らしくスマートで、的確なのだろう。
「礼なら、ガウスに言いなさい。指示はしたが、あの金具を考えたのも作ったのも、ガウスだからね」
口を閉じ、荒い息を無理やり閉じ込めてから、背筋を伸ばして前を見た。
日が差していないから、お義父様の顔は逆光で影になることなくよく見える。
深い皺が刻まれたそのお顔は、仕方がない子だね。と言わんばかりの穏やかな表情がうかがえた。
酸素をよこせと喚き散らす心臓の鼓動を無視し、よろめきそうな足に力を籠めながら。
治った手でしっかりとスカートを持つ。右足を下げて、微笑んで……。
「ありがとう存じます。お義父様」
最大の敬意と感謝が伝わりますように。
渾身のカーテシーで思いを伝えると、それを受け取ったと言わんばかりに、お義父様は嬉しそうにカップを持ち上げた。
………
……
…
フシュ、フシュ、と薪ストーブを孕んだ糸車が回り出す。
拡散する蒸気を避けながら、遠い所で一生懸命糸を引っ張っていた前環境とは違う。
流石に蒸気は少し溢れているけれど、それでもやかんの近くまで指を持って行っても指先が焼かれることは無く、正しい姿勢で糸車に向き合えていた。
それだけで、驚くほど扱いやすく、作業速度も上がっている。
それに、局所的かつ糸にとって大量の蒸気を当てることが出来ているおかげで、巻き終わったボビンは前よりも高温になっていた。
閉ざしの冬となりさらに冷たくなった雪水を使って、より落差の激しい高温と低温に糸を晒せば、完成した彩雲糸はその名にふさわしく輝く様な虹色を放っている。
「これなら……」
もう体液も滲まない、最低限の防護として巻かれた包帯を眺めながら思う。
姉さまとの契約により、彩雲糸の機密は絶対に守らなければいけない。
けれど、それと作業の効率化は全く別の所にある。
考えることもなくそのはずなのに、どうして自分の効率の悪いやり方だけを頑なに信じていたのだろう。
小さな金具一つで、ここまで変わる。
いまだ雪糸を含め、この村の製糸は過酷なものになっている。
わたしも、お義父様のように職人の皆を怪我や苦痛から守護したい……。
巻き終わったボビンを厚手の布越しに掴んで外し、雪の塊が浮いた水桶に向かいながら。
わたしは「何か出来ることがあるはずだ」と思考を巡らせる――。
……と、鼻の穴を膨らませて一人で悶々としていたけれど。
何かあるはずだと思うのに、考えが凝り固まっているのか、良い考えは全く思いつかなかった。
蒸気を使わない普段の雪糸生産でも、血が出るほど辛いことは沢山ある。
麻束から引き出すのだってやりすぎれば血が出るし、稀に混ざっている固い繊維が、若年職人の指先を切ってしまう。なんてことはわたしも経験したし、きっとこれから生まれてくる職人も経験するのだろう。
そういった痛みを乗り越えて、みな指先を豆で固くしながら成長していくものなのだ。
けれど……痛い作業はない方がいいに決まってる。
それにもう一つ――冷水に漬けながら行う水中かせ上げは、常に凍傷とあかぎれとの戦いだ。
ボビンを冷水に漬けた瞬間の、バツン、と治りかけの皮膚が弾け裂けるあかぎれの痛みを思い出して――心臓がずんと重くなるような、経験済の恐怖で気分が悪くなる。
揺らめく血が糸に吸い込まれないようにと歯を食いしばり、それでもやるしかないのだ。と傷だらけの手にボビンを持って、もう片方の手で水中に立たせたかせ上げ機を回す、あの悲しい諦念……。
何とかしたいのに「では、どうする? どんな金具、どんな手袋、どんな装置が必要か?」と、いくら考えても具体的には思いつかない。先に進めない……。
以前のわたしなら、とにかく動いて成果を求め、糸車や水桶、あるいはわたし自身を壊していただろう。
けれども〝いい子〟になりつつあるわたしは、もうそんな勇み足は踏まない。
「――と、そういう訳で、長年工房の道具番をしてくださっていたガウスさんなら、何かいい案があるのではないかと思ったのです」
警備でお疲れの所、苦労を掛けます。とわずかに俯けば、ガウスさんは慌てたように「いいって、頼ってくれて嬉しいんだ、俺ぁ」と首を振る……。
………
……
…
悩み続け数日が経ち、今にも綿をちぎった雪が降り出しそうな曇天の夕方。
わたしは警備終わりで山から下りてきたガウスさんを捕まえていた。
屋根のある屋外で、何日考えても進展しない現状を説明し「どうにかしたい」と伝えたところ。
「そう、……さなぁ。まぁ、なんとかならねぇか。と思ったことは、俺もある……とくに、あのかせ上げだ」
「ッ! そ、そうなのです! あれが、現状一番辛く……なにか、改善の余地があると思うのです」
同じ考えに、身を乗り出して同意する。
するとガウスさんはしばし――過去の記憶か、頭の中の設計図か――何かを探るようにぼんやりとしたあと。自身のひげを撫でながら頷く。
そして、そのグレイの瞳をまっすぐこちらに向けた。
「ひとつ、水桶とかせ上げ機を貸しちゃくれねぇか。……俺に出来ることを、とにかくやってみるからよ」
警備隊のことは、当日の人員は分かっていても仕事自体はあまり知らない。
けれど決められた巡回ルートを警戒しながら歩いたり、その巡回で見つけた不審な足跡なんかの情報――盗賊が集まっていないか、危険な獣が冬眠から目覚めていないか――を統合して、後日エドワード様率いる戦力のある人たちで確認しに行く……。
そんなふうなことを、お義父様、エドワード様と共に取る夕食のときに伝え聞いていた。
ガウスさんは半日かかる雪山の巡回を終えた疲れた体で、それでも力を貸してくれた。
使われていない水桶とかせ上げ機をガウスさんに預けて数日。
工房が「最後のひと巻きだ」と気合を入れ直した昼過ぎ。
「出来たぞ」
ガウスさんの声に呼ばれ、エプロンで手を拭い工房裏へ向かうと……そこには、見慣れた道具が異様な形に作り変えられていた。
真ん中の芯が太くなった、かせ上げ機。
銀の金具で補強された穴が穿たれた、水桶。
そして――火掻き棒の先端を折り曲げ持ち手とした、長い鉄の棒。
それはまるで、新しい戦いに挑むための武器のように見えた。




