21話 慈心
それから三日。わたしは屋敷から出ずに過ごした。
毎晩エルザの報告を聞きながら、本当にわたしがいなくてもそこそこの生産をする彼女たちを素直に誇りに思う。
早く、あの輪の中に戻りたい。焦りからではなく……幼い寂しさに似たような感情から、そう思った。
ばたばたと風が窓を叩いている。
うめき声のようなそれが止んでもしゃらしゃらと聞こえるのは、容赦なく積もっていく雪の音。
領地はあのあと吹雪に見舞われ、壮絶で静謐な閉ざしの冬となった。
あのタイミングが、本当に最後だった――。
ベッドに横になり、時々ドスンと屋根から雪の塊が落ちる音を聞く。
右手の鈍痛を感じながら……どうしても頭の中は「この冬をどう乗り切るか」で満たされていく。
例年と同じだけの備蓄があれば、それでいいという訳ではない。
過去の記録から、火事や雪崩などの不幸が相次いで危機に陥ったこともある。
今は戦時中でもあるのだ。色々な可能性に目を光らせなくては。
糸車に向かい合ったままでは考えられない、深く考えて処理すべきことにも枝葉が伸びていく――例えば、冬季配給備蓄について。
現在生産棟では、紡いだ糸の量に応じて三分の一は食料、残りは銀貨。という買取をしている。けれど戦争の影響もあって、例年の冬よりも早く村唯一の商店で売られる食料が少なくなっているとのこと。
現金を貰ってもしょうがない状態になっている。
いつもなら閉ざしの冬後半で割合を変え食料と銀貨を半々にしているけれど、今年は例年よりもっと早く割合を変えた方がいいのかもしれない。
けれどもその判断は、やはり備蓄庫を書類と一緒に目で見なければ決められないな。と、天井を見ながら思う。エドワード様にも許可をもらわなければならないし……。
備蓄と言えば。わたしが寝込んだ四日間の薪は何処から捻出したのだろう。何かの形で補填しなければ……。
そんなふうに考えているといつの間にか寝てしまい、夕食に呼ばれて、エルザと一緒に火の元の確認をしたら夜は普通に眠り、朝になっても部屋から出られなければ結局寝てしまう。
そうしているうちに、三日なんてあっという間だった。
よく寝たからか、あらゆるお見舞い品と薬のおかげか。治りは早い……と思う。
お義父様に「休め」と命令されてから、約一週間が経っていた。
まだ不意に皮膚が裂けて出血するけれど、患部は全体的に質感が固くなって、キチンと包帯を巻けば糸巻き作業の前の梳櫛や、彩雲糸用の麻束に仕上げの整毛をすることぐらいはできる。
お義父様には「完治するまで雪糸に携わることを禁ずる」と言われたけれど、あれは、あの状態のわたしに向けられた言葉だ。今のわたしは、あの時何が悪かったか分かっている。
自分で正しい判断ができるし、お義父様もきっと頷いてくださるだろう。
きちんとエルザの用意してくれた目覚めの一杯を飲み、屋敷の玄関から堂々と雪を踏みしめて。
日が昇る前から雪かきがされて、灰が撒かれて黒くなっている道を進む。
軽い足取りで工房へ赴けば、大体の人はもう揃っていた。
「おはようございます」
「奥様! お早うございます」
「おはようございます、良くなってよかったですね。奥様」
「ありがとう」
入り口で声を掛ければ、麻束を抱えて近くにいた女性たちが眉を下げて笑いかけてくれた。
「あぁ奥様、おはよう」
「マルタさん。おはようございます。お手紙ありがとうございました。ちゃんと寝ましたよ」
マルタさんにも一礼をして笑いかける。そして、あの手書きの手紙を読みましたよ。と暗に伝えれば、マルタさんは恥ずかしそうに頬を掻いた。
けれどわたしがまだぐるぐる巻きの包帯をしているのを見つけて、ほんの少し前のめりになる。
「まだ包帯してるけど。大丈夫なのかい」
工房の現場監督としての責任を感じる声色。
わたしは笑って包帯の方の手を出し、軽く振って見せた。
「まだ少し痛みます……ですので今日は、左手で出来る整櫛作業を」
「そうかい……――そうだね、そろそろ整毛された霜麻が足りなくなってきたところだ。頼んだよ」
「はい」
そしてわたしは作業の前に、工房内の全員――特にお見舞いの手紙を書いてくれた人、薬を分けてくれたゲルダお婆さん、工房横の保育屋で過ごしている子供たちにお礼を言って回った。
工房一同として代筆をしてくれたソフィアさんは、自分が代筆をしたと筆跡だけで気づかれたことに驚いていたけれど。それでも「私もソフィアさんの糸、好きです。少し太いですが、繊維が揃っていて綺麗だと、いつも思っていました」と本心を伝えれば――少し迷う仕草をした後、わたしを抱きしめてくれた。
ゲルダお婆さんは、自身の貴重な薬を――丸薬なんて、本当に高価なのに――分けてくれた人。
目線を合わせるために膝を付いてお礼を伝えると、「お貴族様が膝を付くんじゃないよ。みっともないねぇ」なんて言って顔を顰めていた。
でもほんの一瞬、わずかに微笑んでいたことをわたしは見逃さなかった。
白樺の皮に絵を描いて、人形を作ってくれた子供たち。私が保育屋に顔を出すと、「おくさま」と無邪気に駆け寄ってきてくれて、愛おしい思いでいっぱいになる。
母親が糸をつむぐ間、集まってお留守番をする乳離れしたばかりの幼児から七才までの十二人の子供たち。「ありがとう。おかげで元気になったわ」と小さいけれど秘蔵のキャンディを渡してお礼を伝えれば、久々の甘味に目をキラキラさせて喜んでいた。
特にあの精巧な人形を作った、最年長のミーナとは少しお喋りをした。見れば見るほどあの人形には――積み荷用の縛り方を連続して使い、柄のように見立てた服や、レース飾りなど――小さな工夫が凝らされていて驚いたのだ。
子供の発想力と、この村の未来を担っていく存在を誇らしく思うと伝えると、少し難しかったのか真っ黒の瞳を見開き、きょとんとしたあと……やがて、自分が褒められたのだと気づいたらしい。飴玉で膨らんだ頬をもごもごさせながら、可愛らしい照れ笑いを見せてくれた。
……バルトさん、ガウスさんは、朝ということもあって見かけない。警備隊が帰ってくる昼過ぎにでも一度探して、あとでお礼を言いに行こうと心に決める。
職人一人一人目線を合わせ、手を握って、「とても嬉しかった。ありがとう。もうあんな無茶はしないから、これからもどうかよろしくお願いします」と、感謝と誠意を伝える――すると、皆わずかに表情がほころぶのが分かった。
要として皆に慕われていたことを、改めて自覚する。
誰しもが少なからず不安を抱える冬の時期に、なんて愚かな振る舞いをしたのだろう。そう思うと、感謝のたびに心がチクリと痛むようだった。
けれど、私はこの痛みを決して――生涯、忘れない。




