20話 雪前の便り
息を荒げたエルザはわたしを見ると驚いて、慌てて呼吸と身なりを整える。
「ぁ。お、奥様。お目覚めでしたか」
「どうしたの」
「旦那様からお手紙です。今すぐにお返事を。ひとたび雪が降れば、もう閉じてしまいます」
「そんな。昨日は――まだ冬の赤星が見えていたじゃない」
「奥様は、熱を出して四日間寝込まれておりました。二日前に赤星は山入りしております。さあお急ぎください。表でラフェンが待機しておりますから」
部屋を少しでも明るくするために、ジャッと音を立ててカーテンが引かれる。部屋が温かいから気が付かなかった。窓の奥に広がる曇天は、閉ざしの冬にふさわしい暗灰色でもって、雪をたっぷり抱え込んでいる。
かごに入った沢山の見舞い品――昨日の今日で、あんなに解熱系の薬が用意できるはずがない。
「ぁ――、許すわ。開けて」
「はい」
この手では手紙を開けることさえ手こずるだろう。机に向かいながら短くそう伝えれば、エルザは手紙を開封して私の目の前に――机の上に広げて置いてくれた。無傷の左手で、旦那様の文字に触れる。
親愛なるアナへ
長く返事を出せず、君を不安にさせたことを許してほしい。
君の尽力によってヴァルデリウスが冬の備えを終えたと聞き、心から誇らしく思っている。
私の留守を完璧に守ってくれる君は、やはり私の唯一の光だ。
アナ、以前の私は、戦場で君の名を呼ぶことで己の正気を繋ぎ止めていた。 だが、今の私は少し違うようだ。
選ばれた今の私は、かつてないほどに強く、鋭敏だ。まるで魂の皮を一枚脱ぎ捨てて、戦うための存在へ生まれ変わったかのような心地だよ。
私の隊に配備された「新しい力」は、驚くほど馴染んでいる。
肩にわずかな銀を添え、石を宿しただけで、戦場はこれほどまでに御しやすいものだったのかと驚くばかりだ。
押し寄せる敵を次々と鉄屑に変えていく瞬間、私はかつてないほどに静かな充足を覚える。
君が愛してくれた私よりも、今の私の方が、君と領地をより確実に守れるはずだ。
これを、君は「強くなった」と喜んでくれるだろうか。
もうすぐ帰るよ、アナ。この手で、以前よりもずっと力強く君を抱きしめられるはずだ。
どうか、変わらずに私の武運を祈っていておくれ。
君を愛している。
君のリアンより
前回の走り書きのような手紙「選ばれた、祈ってくれ」を読んだ時からずっと怖かったけれど、こうして大きな曲線の目立つ旦那様の文字で手紙が来たということは、まだきちんと生きていらっしゃる。
今日も、同じ空の下で。
――それだけで、胸の奥が熱くなっていく。
けれど、読み進めるほどに、その内容はどうにもキナ臭いとわたしの冷静な部分が囁いてくる。
姉さまに聞いた戦況が脳裏をよぎる――これまでの旦那様は、こんなに嬉々として戦果を報告なさらなかった。
強くなられて、生存率が上がり、戦果を手にして一刻も早くお戻りになる――良いことだ。
これこそ待ち望んだ輝かしい未来。けれど、でも――肩に銀を添えたとは? 石を宿したとは、どこに?
何かの暗号だとしてもさっぱり分からない。べったりとした不安が胸いっぱいに広がっていく。
こんなにも嬉しそうなお手紙なのに……。
「奥様、」
返信用の手紙を書く準備を全て終わらせたエルザが声をかける。
わたしは「ええ、」と返事をして、それから。
「ほどいて。……それから、針を」
この四日間。エルザはきっと懸命に看病してくれたのだろう。
包帯を解くと、赤く斑だった肌は少しずつ本来の色を取り戻していた。
軟膏を丁寧にぬぐい取り、シーリングワックス用に用意していた蝋燭で針を炙る。
そして、手のひらから指の付け根にあるいくつもの水膨れを針でつき、水を抜いてペンを握れるようにした。
べたつく体液を拭いながら、ペンに包帯を巻いて、指から染み出し続ける諸々が手紙に付かないようにする。
布が巻かれたペンはざらざらして、文字を書こうと力を籠めるたびに痛むけれど……それでもわたしは背を正し、戦地のリアン様と向かい合う。
愛するリアン様へ
お手紙、何度も読み返しました。
戦況が良い方向へ向かっているとのこと、わたしも心から誇らしく、そして貴方様がそれほどまでに強くなられたことを、わたしへの愛の証として嬉しく受け止めました。
こちらヴァルデリウス領は、もう時を置かずして閉ざしの冬に入ります。
空は重く、今にも最初の一片が落ちてきそうです。
備蓄は十分とは言え、今年の冬は例年になく厳しいものになると予想されます。けれど、どうかご安心を。この地はわたしが、皆と共に必ず守り抜いてみせます。
貴方様が強くなったのであれば、わたしも、貴方様の帰る場所を守れるよう成長しなければなりません。
早く帰ってきてください、リアン様。
貴方様に力強く抱きしめられる日を、壊れてしまうほどに強く抱きしめられる日を、心から待ち侘びております。
どうか無理をなさらず。貴方様の、そして私たちが共に生きる未来の武運を祈ります。
貴方様のアナスタシア
屋敷の前で、もう馬の鼻先を麓の方へと向けている配達人のラフェンさんへ、安全祈願も込めて手渡しする。
すると――もうすでにはらはらと綿をちぎったような雪が降っているのに、鼻先を赤くしたラフェンさんはニッカリと笑い「お任せください奥様。では――お大事に!」と、馬の背を叩き雪道を颯爽と下っていった。
領民に一番近いとはいえ麓の人間にまで知られている。狭い故の情報伝達の速さは我が領の強みだけれど……わたしは小さく苦笑して、雪の向こうへ消えていく背中を見送った。




