19話 お見舞い
「はぁ……」
私室へ戻ると、エルザは無言で火傷用の軟膏を取り出した。
蜜蝋にハーブを塗り込んだそれは、肌の乾燥を防ぎ、包帯が傷口に張り付くのを防ぐものらしい。
包帯を変えるときの、あの瘡蓋がはがれる拷問じみた痛みからは解放される。
そう思うと、逆立った背中から力が抜けていく。
「大旦那様の言いつけなら守れると信じておりますよ」
「分かったわよ……分かったわ……」
軟膏を塗られテラテラと光を返す手に、手際よく包帯がまかれていく。
エルザのお怒り節はまだ収まらない。
けれども、わたしでもさすがに突っ走りすぎていたと理解した。
明るいテラスと、凛々しくも優しいお義父様。その陰に隠れた、倦み疲れた老人の顔。
その二つは、まだわたしの目の奥に張り付いている……。
「さぁ。お休みなさいませ」
「ん……」
ベッドまで追い立てられ、仁王立ちのエルザの目の前で腰かけ、そしてとりあえず横になる……そこでやっと、エルザは眉を下げ困ったような笑顔になった。
右手以外どこも悪くない。だから横になりつつ、思考だけは止めないでおこう。
そう思って目をつむった。その瞬間。ここ数日溜まりに溜まった疲労が鎌の形になって、わたしの意識を即座に刈り取っていった……。
赤い夢を見た。糸車とやかんの蒸気。
金属を叩いたかのような、耳鳴りとなっていつまでも残るような甲高い音がして……目が覚めた。と思っても、次の瞬間に意識は落ちていく。
何かを探していた。見つからなくて、ずっと焦っていた。
意識が浮上しかけるたびに「まだ見つかってない」とその空間にしがみつきたい気持ちになって――。
何度目かの胡乱な葛藤の末、わたしは目を覚ました。
エルザがカーテンを閉めて行ってくれたのだろう。薄暗い部屋の中で暖炉はパチパチと音を立て、薪がくべられている。
部屋がきちんと暖かい事を「幸せだ」と同時に「悪いな」と思う。
包帯の中は軟膏のせいでヌルついているけれど、先ほどまでの焼けるような熱くて鋭い痛みは治まっていて、いまは熱を持っているな。という程度だった。
べたつく瞼で瞬きしつつ、喉が渇いていたからベッドサイドの水差しを取ろうと起き上がったけれど……そこに水差しはなかった。
「……?」
水の代わりに、大きなかごが一つ。
中から覗くのは、溢れんばかりのお見舞い品。
「これ……」
立ちあがって――ずいぶん体が軽い――中を見てみる。
雪を割って咲くユキヒカリ草の花束、小さな皮袋に入った丸薬。ここよりももっと標高の高い所でしか生えない、熱さましの薬草……鮮度を保つために、根っこごと土と一緒に布でくるんであった。
それから小さな人形。納品出来ない雪糸で作られるそれ。よく見る幼児用のものではなく、顔と体、髪型や服まできちんと『わたし』を模っていると分かる、緻密なもの。
その人形が「見て」とアピールするかのように、その隣に詰め込まれているのは木片と白樺の皮。それと紙の切れ端。
まず縞模様の美しいそれを手に取ってみると、その白い裏面には、
ユキヒカリがたくさんさいている みつけました
おくさまも こんどつれていって あげる
だからはやく げんきになって
ルカ、テオ、ミーナ
――器用に剥ぎ取られた白樺の大きな皮の裏に、沢山のユキヒカリの絵が描いてある。垂れるような花弁の特徴をよく捉えたその花の隙間に、詰め込むみたいに綴られた幼い文字。
みんなが『早く治れ』って言ってました。もちろん私も、そう思っています。
袋の薬はゲルダの婆さん、花束と人形は子供たちです。
私は、奥様の糸が一番好きです。お大事に
工房一同
おくさま おだいじに みんなまってます
でも ちゃんとねなさい
マルタ
――納品用の古びた木札。そこに書かれたソフィアさんの文字の隣、空いたスペースに不格好な文字が並んでいる。きっと教わりながら書いたのだろうマルタさんの真摯な言葉が並んでいた。
奥様へ 白透草です。煎じて飲むと熱が下がります。
俺の子供も、これで治りました。煎じ方はエルザに教えました。(はい。しっかり教わりましたのでご安心を)
ゆっくり休んでください。
警備隊のバルト
――紙の切れ端には、綺麗な文字がつづられていた。注釈も含めきっとエルザが代筆したのだろう。
奥様 無茶をなさったな。こういう時はとにかく肉を食うことです。
あんたが戻ってこねぇと、工房の活気が半分死んだようになっちまう。
面倒な仕事は全部俺たちが引き受けておくから、安心して寝てな。
ガウス
――二十二人の出兵前から、生産棟の道具番から警備に回ってくれている元気なお爺さんだ。数字と文字を読み、帳簿に正しく記入できる人は限られているから、きっと警備の隙間で雪糸の在庫管理作業を手伝ってくれてるんだろう……。
視界がぼやけ、みんなからのメッセージが見えなくなる。
頬を伝う熱い涙は工房を追い出された時のような、心がぐちゃぐちゃになるようなものではなかった。
白い木の皮に、木片に、紙に。木炭やペンで書かれた文字。
文字は読めるが書けないものが大半だ。だから文字の大きさはバラバラで文法も拙い。けれど、でもきっと――このカードを囲んで、皆で一生懸命、書きにくい木炭で書いた……。そんな様子は容易に想像できた。
皆が、他でもない、わたしのために。
笑顔が浮かんでは消えていく。その中心にいる――わたし。そのイメージが暖かな涙になって、溢れて止まらない。
衝立の中で一人っきりの作業は寂しく、痛くて、苦しかった。
けれどすぐ隣には、いつでも彼女たちがいたのに。
「お前は要になったのだ」お義父様の言葉を噛みしめる。
先頭で、ただ守ると叫びながら血まみれになってがむしゃらに進むんじゃない。
皆と手を繋いで歩いていけるような、そんな人に……。
領民を守り、道を示して、共に歩む。そんなヴァルデリウス男爵夫人になりたい。
あらゆる素材の手紙の束を胸に抱いて、わたしは心にそう誓う。
包帯の巻かれた手を押し付けるようにして涙を拭い、なんどもメッセージを読み返してはスンスンと鼻をすすっていると。
バン、と強く部屋の扉が開いて、エルザが息を荒げてやって来た。




