14話 工房
生産棟にて三人を選別し――雪山を難なく歩けるほどには、若い人員を出さねばならなかった――今日からはわたしも雪糸の生産に混ざる。
彩雲糸のノルマは、その後すべて一人でこなさなければならない。
ここ最近衝立の奥で一人だったから、皆と一緒に作業できるのが少し嬉しかった。
けれどその気持ちは、ボビン一つ出来上がる前に消え失せる。
わたしが参加していた時よりも、作業の流れがずいぶん早い。当たり前だ。献上ノルマも増えたのだから。
それでも、わたしも彩雲糸という少し難しく気を使う作業をして、腕は上がったと思っていたのに。わたしがボビンに半分ほど糸を巻いたところで、熟練者はもうボビンをひと巻き完成させ外へ向かっていく。
「遅いねぇ奥様。糸と喧嘩してるのかい」
「マ、マルタさん。け、喧嘩? 皆早いのです、どうやって」
全体を見ながら、自分でも糸を巻いている。 わたしが任せたのだけど、そんな壮絶を笑いながらこなしているマルタさんに、優しく背中を叩かれて泣きそうな声を上げてしまう。
「変わりな。よく見てるんだよ」
「……はい、」
「力を抜いて。指はただの通り道。ほら、こうやって引いて――少しだけ、扱いてやる」
ガタイの良いマルタさんはどっしりと椅子に座り、素早く霜麻を引っ張った。
そしてペダルを踏みこみ……信じられないほど滑らかな手さばきで細い糸を紡ぎあげてしまう。
束から引っ張った瞬間は確かに不揃いだったのに、マルタさんが少し撫でるだけで繊維が揃い、目にもとまらぬ速さで雪糸へと姿を変えていく。
太古の魔法も、きっとこういうふうだったに違いない。そうとしか思えないほど感動する。
「すごい……」
「は、アンタもすぐ出来るようになるさ」
「見てな」と言われ、穴が開くほど見つめているのに。指を添える位置も一緒だと思うのに……。
しなやかでもバサバサとした触感の麻束を――多めに引っ張ってしまった毛束を叱りつけるみたいに扱いて糸にしているわたしの雰囲気とは、全然違う……。
あんなに少ないのに、切れないのは繊維がきちんと整列しているからだ。整列しているから、毛羽立ちも少ない。
「ほら。やってみな」
「は、はいっ」
「もっと上から見るみたいに背中伸ばして。ほら、木箱に乗ってうちらに啖呵切ってたときみたいに」
「あ……あれは啖呵じゃないわ……」
「ははは。あれはあれで格好良かったよ」
マルタさんの指導のもと、指の加減を調節して試行錯誤していると……かせ上げ後に風通しの良い廊下に糸を干してから戻ってきたほか熟練者も集まってきた。
「なんだいマルタ。奥様につきっきりかい」
「ああ、リネット。奥様、筋はいいんだよ。リネットからも教えてやってくれよ」
「お願いします……指の加減……が、難しくて」
「指ぃ? うーん、そうだねぇ……」
さらに数人集まってきた先輩方に、しばらく「そんなに手元に持ってきても仕方がないよ」「足。もっと早い方がいいんじゃない」「切れやしないから、もっと少なくていい」「指はこっちでねぇか?」「力抜きな」と、囲まれながら方々に指摘され、必死に作業したけれど……結局ほんの少し早くなったかも……? という程度しか上手くならず、確実な成果には繋がらなかった。
けれど、こればっかりは経験がものをいうことをみんな分かってる。
結局は、「頑張りなよ」という温かい励ましの言葉に収束していった。
わたしの何倍も糸巻き歴がある先輩方の本気を見られて、教えを頂いて……昼下がりまで続いた雪糸作りは、大変だったけれどほんの少しだけ、楽しかった……。
そんなほくほくした思いを胸に、午後。わたしは一人衝立の奥へ向かう。
楽しかった反動でどっと疲れている。
誰もいない工房は、孤独と、崖縁に爪を立てるような危うさをさらに深めるようだった。
目の前の……皆の糸巻きとは違って鉄の塊が――薪ストーブとやかんを備えた糸車は、まるで異質な拷問器具のようだった。
けれど。どれだけ指を焼かれようとわたしはここから逃げるわけにはいかない。
彩雲糸二束で、クォーター・チェスト一箱。
今日二十二人を送り出したこの領地にとって、その一箱は何より重い。
エントランスで見た、リュックを背負って土気色の顔をした領民たち。エドワード様、マルタさんとリネットさんと……色々教えてもらった記憶が頭の中に浮かんでは消えていく。
この仕事を持ち込んだのはわたしなのだから。わたしこそが一番頑張らないといけないのは道理でもある。
「よし」
わたしは椅子に腰かけ、薪ストーブを避けつつペダルに足を掛けた。麻束を軽く引っ張ってひも状にし、糸巻きに掛けていく。
ピンと引っ張るようにして、一定の量が紙縒られていくように霜麻の量を調整しながら……糸状になったすぐそばから蒸気が当たるように、わずかに前のめりになって……。
パチリ、とストーブの中の薪が跳ねる音がした。瞬間。蒸気が揺らいで指を焼く。
「――ッ、」
作業を続けるうち、気付いたことがあった。案外「熱い」と思った瞬間のビクリとしてしまう、その反射さえ根性で乗り越えれば、少々の火傷なら指はまだ動くこと。
……今日は皆に沢山教えてもらった。それを彩雲糸に生かせるなんて、なんて素晴らしいのだろう。
きっと、もっといい糸が出来るようになる。わたしは火傷の恐怖を明るい気持ちで塗り替えて、ペダルを押し込み糸を巻いていった。
ボビンが出来上がる。シュウ、シュウと音を立てていたフライヤーが止まり、蒸気――お湯を吸って熱く重くなっているボビンを、厚手の布越しに掴んで外した。
そして部屋の隅にある、雪糸を冷やすために使っている大桶の中に入れる。
外へ出て、昨日か一昨日に積もって溶けずに固くなった雪を拳で割って、土を払ってこれも大桶の中へ。
骨を開いたかせ上げ機も一緒に沈め、袖をまくって息を止める。
「――ッ、」
ざぶん、と両手を勢いよく突っ込んで――こういう時に、時間をかけると逆に辛い――水中に沈んだボビンを掴む。
冷たい水は、両手のいたるところにできた小さな火傷を抉るようだった。
両手を動かすたびに、切り刻まれたかと思うほど痛い。
手の感覚がなくなる前に糸端を掴み、木の細い骨に巻き付けた。
急激に冷えた彩雲糸をピンと張る。
水中でコマのように立てたかせ上げ機を、感覚のなくなりつつある指で、ぐるり、ぐるりと回していく。
「――は、ぁぁ……」
手の感覚がすっかりなくなった頃。やっとボビンから糸が無くなって、かせ上げ作業が完了した。
湿った糸が凍ってしまわないように、廊下ではなく衝立の内側に吊るして、薪ストーブの熱でゆっくり乾いていくようにする。
そしてまた。手の感覚が戻ろうが戻るまいが関係なく、糸巻きの前まで戻り、ボビンをセットして麻束を引っ張る……。
「奥様。よろしいですか」
「!」
はっと顔を上げると、暗がりの中――衝立の隣にエルザが立っていた。




