あの日の境界線
資料を読み終わると、大雅はなんとなくテレビを付けた。無機質な笑い声を背に、紙を何度も折る。ゴミ箱に入れようとして、やめた。不吉な感じがしたからだ。
ずっと、魔法少女の話だと思っていた。なのに全然魔法少女は出てこないし、どちらかというとホラー要素が強い。「しあわせになりませんか」という言葉が、頭から離れなかった。
大雅には幸せというものがよく分からない。
美味しいご飯を食べたとき、母親に笑顔を向けられたとき、テストで高得点を取ったとき、みんなに褒められたとき。どれも嬉しくて、心が一時的に満たされた。しかし、それが幸せなのかと問われたら、大雅は言葉に詰まるかもしれない。自信のなさそうな声で「しあわせです」と答えるのが容易に想像できる。
空はいつのまにか、黒をほんのり帯びた深い青になっていた。月も見えないこんな夜に一人でいるから、変な考えを持ってしまうのだと思う。
資料に書かれた、幸せを知っている人が羨ましかった。
別にそうなりたいわけではない。両親と手を繋ぐ子供を見たり、公園の遊具で元気一杯に遊ぶ子供、こう思うと子供ばかりだが、そういうもう自分には手に入らないもの、またはこれから手に入る可能性などないものを見て、ただ呟くだけに等しい。
満たされるとはどのような感情か。一時的ではなく、たとえ短い期間だったとしても継続して幸せだと言えるような感情とは、何なのか。
ただし、それを与えてくれる者は恐らく人間ではない。あるいは人間のなり損ない。そう考えると背筋が凍るのを、大雅は感じる。
テレビを消し、大雅は鍵と財布だけを持って近くのスーパーへと出かけた。車の騒音や、誰かの話し声がすぐそばにあると思うと、先ほどの感情がなにかに吸い込まれていくように感じる。
適当に弁当を選ぶと、大雅は袋を持ってこなかったことを後悔した。最近はずっとカイと食事をとっているため、弁当を買いに来ること自体懐かしい体になっている。大雅は仕方なく直で弁当を持つと、少し生温くなってきた風を受けながらゆっくりと歩いた。
◆◆☆◆◆
食事と入浴を終えると、大雅はまた課題に取り組む。やがて時計が二十二時を過ぎた頃、腰を上げて布団に入った。
車の通りすぎる音と時計の針が動く音がかすかに聞こえる。気付かないうちに大雅は眠りについたが、夜中にふと目を覚ました。こういうこともあるだろう、と思い寝返りを打ち、そこで大雅は凍り付いた。
窓が開いていた。ついでにいうとカーテンも。夜中だからか、風は冷たい。月が出ていた。
大雅は必死に、そういうことに意識を向けないようにした。なぜ窓とカーテンが空いているのか、自分がこんなタイミングで目を覚ましたのか、なぜ部屋の隅に白い服の女が立っているのか。
それでも、一度目を合わせてしまった。顔は陰で見えなかったが、絶対に目が合ったと直感が告げている。
大雅は恐る恐る目を開けた。窓のそばに座った白い服の女は、そこで微動たりともしていない。目を凝らすと、服は褪せていることが分かる。髪はまとまっていない。それでも、この人は綺麗だと思った。
女が顔をこちらに向ける。大雅は目を瞑った。そして耳を澄ます。
物音は一切しなかった。
大雅はまた、ゆっくりと目を開ける。大雅の喉が、ひ、と空気を吸い込んだ。
大雅の目の前に、女が立っていた。顔は良く見えない。それでも、息を吸う音がする。
『魔法少女ミヤビ』
その声に反応しないうちに、大雅は眠りに落ちた。
◆◆☆◆◆
目覚まし時計の音が鳴る。大雅はびくりと肩を震わせて跳び起きた。瞬時に窓を確認する。
「……閉まってる」
夢だったのだろうか。いや、夢じゃない。あのぞわりとした感覚はまだ体に残っている。
しかしそれよりも、大雅は女が言った言葉のほうが気になっていた。魔法少女ミヤビ。ポストに入れられた紙のことを思い出す。
なぜ自分の目の前に女が現われたのか、大雅はそう考え、2秒もしないうちに肩の力が抜けた。
知ってしまったからだ。
魔法少女ミヤビという存在を、白い服の女の行動を。もしかしたら違うのかもしれないが、今考えられるのはそれだけだ。
不気味な気持ちになる。大雅はベッドから降りると、窓際に黒いものが落ちていることに気付いた。液体かと思い、顔を強張らせる。
「ボイスレコーダー……?」
液体ではなく、小型の機械。大雅は詳しく調べてみたかったが、学校に行く時間が迫っている。ボイスレコーダーを布団の上に置き、慌てて準備を始めた。




