16:課長と山口
連休明けに出社したような気分の金曜日。
美優さんに言われたとおり就業規則を確認してみる。
「おはよう村上」
「おはようございます課長」
「ん? 就業規則を見てるのか?」
「はい、重要なことくらい知っておくべきかと思いまして。これ印刷して持ち帰ってもいいんでしょうか?」
「構わないぞ。出張規定あたりは知っておかないと損することもあるからな」
「損するんですか?」
特に俺のような平社員が損をしてしまうそうだ。
出張を例に挙げれば、出張手当の他に、六時以前の出発や二十時以降の帰着、更に二十二時以降の帰着には別途手当が支払われるとか。
出張手当はシステムが承認された出張旅程から自動計算するものの、早出や遅着は自分で時刻を入力しないと計上されないらしい。
「二年後に基幹システムが一新される話を知っているか?」
「いえ、存じません」
「規定を自動適用する仕様になるんだが、それまでは手入力しないといけない項目が結構ある。休日移動手当もその一つだな」
「なるほど、教えて頂きありがとうございます」
「構わんさ。課長以上の管理職になると関係なくなる項目も多いんだがな(笑)」
たぶん、見做し労働契約になることを言ってるのだろう。
父さんが「残業しても残業代は出ない」とか言ってた。
さておき、副業に関する規則を読んでみると、
『当社以外の企業による雇用は原則禁止する』
『競業避止義務、及び、秘密保持義務の観点から副業は推奨しない』
原則禁止…? 例外があるってこと? まぁいいや。
『副業の程度や態様が職場環境・秩序に影響を及ぼさない、且つ、会社の業務に支障を及ぼさないものであれば、就業規則違反に該当しないものとする』
とある。
(大丈夫な気がする。時間経過ないんだし、そもそも異世界だし)
通勤途中にネットで調べた内容も、「法律上、副業をすること自体には何の問題もない」とあった。
「おはようひなた…ではなくて村上くん!」
課長がズバッと顔を上げた。
「おはようございます、速水係長。英会話を引き摺ってしまいますね。ね?」
「そ、そうね! 私としたことが引き摺ってしまったわ! おほほ…」
寿命が縮む…その内にやらかすと予想しといて良かった…
引き攣り笑いの速水さんが席に着くと、課長がススっとやって来た。
既婚者でも気になるらしい。
「なあ村上、今のはどういうことだ?」
「オンライン英会話が偶然同じだったんです。ファーストネームで呼び合う日常英会話コースなので」
「ああ、そういうことか」
「そういうことなんです」
「ついでと言う訳でもないんだが村上、再来週の出張に同行しないか?」
どういうことか尋ねてみると、週明けで主任代理への昇格辞令が確定したらしく、部長から「機会があれば顔つなぎしてやれ」と言われたそうだ。
出張先が福岡と熊本と言われれば、どこを訪問するかピンとくる。
「是非とも同行させてください!」
「決まりだな。航空会社のメンバーシップに登録してるか?」
「いいえ、していません」
「なら週末にでも登録しておけ。マイルがどんどん貯まるぞ」
「マイルは知っていますけど、貯めるとどうなるんですか?」
企業によって規定は様々だけど、ウチの会社は個人登録を容認していると。
飛行距離に応じてマイルが貯まり、貯まったマイルを特典航空券やパッケージ旅行の代金として使える。
課長は既にダイヤモンドメンバーらしく、空港ラウンジの無料利用や、夏季休暇や冬季休暇の家族旅行もマイルでカバーできるほど貯まるそうだ。
部長以上になると、ビジネスクラスの利用も出来るらしい。
「経費で出張するのにいいんですか?」
「法人会員しか認めない企業もあるがウチはオーケーだ。ああ、出張先のレンタカーはウチも法人会員だけどな。とにかく登録しておけ」
「はい、承知しました」
出世争いなんて言葉がある訳だ。
偉くなれば給料が上がるだけじゃなく、色んなお得がついてくると。
ウチは課長職で年収が一〇〇〇万円に届くという話は本当なんだろうか…
イカンイカン、こういうことばかり考えてると碌なことにならない気がする。
安藤主任の気持ちが少し分かった気がしつつ、翌日配送してくれるネットショップでカセットコンロ二十三台とガスボンベ二四〇本を…
(そんな在庫あるわけないか。しかも合計十万って…)
ボンベを分散購入したところで始業の音楽が流れた。
昼休み――。
「村上、一緒に昼メシ行かないか…?」
そう声をかけてきたのは、同期の山口だった。
まだ気にしてるっぽい。というか気にしてる。
「うん、行こう」
幹線道路沿いをJR駅方面へ歩き、入ったのはランチ営業をしている居酒屋。
好き嫌いが全くないから、ノータイムで日替定食を注文した。
山口は生姜焼き定食。
「まだ気にしてんの?」
「…してる。ごめん」
「もう忘れようよ」
「簡単に忘れちゃいけないと思ってる…」
勝手な分析だけど、山口は何気に劣等感が強い。
「俺たちまだ一年生だよ? 定年が六十ならあと三十七年、六十五なら四十二年もある。いつまでも引き摺ってたらいい仕事できないって」
「村上ってホント前向きだよな…仕事できるし」
ほらね。自分が仕事できないって決めつけてる。
めちゃくちゃ頭の回転速いのに。
「じゃあ敢えて聞くよ。なんで安藤さんの話に乗ったんだ?」
「…村上が昇進したら、同期のお前は絶対昇進できないって言われた」
「岡田部長と田丸部長代理は同期じゃん」
「え……マジで?」
「知らなかったのかよー。課長になったのは田丸さんの方が早かったらしいよ」
「全然知らなかった。何でそんなこと知ってんだ?」
「新人歓迎会の時に課長から聞いた。っていうかさ、山口はもっと課長とコミュニケーションを取るべき。これ間違いない」
OJTは二週間が主任同行で、係長と課長は一週間ずつだった。
その一ヵ月で思ったのは、松野課長の面倒見がいいってこと。
教職に就くべきだったんじゃ?と思うくらい教え方も上手い。
何より、正しく怒ってくれる。納得できて身になる説教と言うべきだろうか。
反面教師的に言うと、安藤主任は感情ベースで怒るタイプだと思う。
おまけに話の趣旨がころころ変わる。
名刺の渡し方が間違ってたという話だったのに、いつの間にか口の利き方が馴れ馴れしいという説教に変わったりとか。しかも思い当たる節がないという。
「俺さ、自分で分かってんだよ。苦手なタイプにすり寄る悪癖があるって…」
「あー分かる。悪癖って直すの難しいよなぁ」
「村上の悪癖って何だ?」
「下手な気を遣いすぎるとこ」
「あるな」
「おーい」
「悪い(笑)」
「別にいいけど(笑)」
「お待たせしました。日替わりと生姜焼きです」
「ありがとうございます」
「どうも」
山口の生姜焼きを一口奪うと、ハンバーグを一口奪われた。
なんか面白い。山口も笑いながら食べてる。
そして帰り道。
「なあ村上」
「ん?」
「早く課長になってくれ」
「それってつまり?」
「俺が部長で村上が部長代理だ(笑)」
「ですよねー(笑)」
「よっしゃ! 俺なりに頑張ってみるかな!」
「それしか出来ないって」
「だな!」
「だよ」
オフィスに戻ると、山口は課長に同行営業を申し出た。
課長は驚いたのか瞬きしたが、次にニヤっと笑い話し込み始めた。
山口が部長で俺が部長代理、悪くない気がする。
だがしかし、退社後に速水さんと待ち合わせして電車に乗ると…
「山口くんの部長代理はあっても部長は無理だよ」
「なぜですか?」
「私が営業部初の女性部長になるから」
「あ、はい、ですよね…」
山口ごめん、ものすごくありそうで反論できなかった。




