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聖者の牢獄  作者: 桂太郎
第1章 悪夢からの目覚め
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素敵な何か

 



 ヨハンナのおかげで、だいぶ気が晴れた。

 いや、あいつのせいで随分疲れもしたが、そこだけは感謝してやっても良い。むしろ、そこだけしか感謝できない。神に祈る前に、そのドSっぷりを悔い改めろってんだ。


 本人がいない間に、心の中で毒づく俺である。面と向かって言う度胸はない。ヘタレ? いいや、これこそ平和主義の賜物だ。


 俺は芝生から立ち上がって、身体についた草をはたき落とす。ぐっと背伸びをしてから、深呼吸。

 このままで修道院に戻るのは芸がないので、散歩がてらに敷地を歩くことにした。


 修道院の敷地は広大だ。

 歩きがいがある。

 ゆっくりと、足を進める。

 葡萄畑、新緑の香り、揺らめく木々。

 聖堂から聞こえる讃美歌。

 全てが心地よい。


 たまにこういう日があっても良いだろう。


 春の陽気に包まれて、穏やかに過ごす日があって良いだろう。




 ***




 夜、自室にて。


 ベットに寝転がり気を抜いてる俺の横に腰かけたアマルが、俺の顔を見てぽつりと呟いた。


「アンディ様、なんだか表情がお変わりになりましたね」


「そうか? 変わらないと思うけど」


「いいえ、お変わりになりました」


 即答だった。

 アマルは真剣に俺の顔を見詰める。ぐっと顔を寄せてくる。キスする一歩手前の距離。鮮紅色の瞳が、俺を離さない。視界一杯に、女神のような美貌が広がる。艶のある桃色の唇から甘い吐息が漏れ、俺の唇にあたる。息でキスしてるみたいだった。くそ、思考がそっち方面に行ってしまう。主よ、なぜ我を見捨てたもう。


「近い近い」


 アマルの額を押す。

 心臓に悪い。

 美人は至近距離で見ても美人だから始末に終えない。本当にやめてほしい。アマルはむっとした表情。それすらも可愛い。美人って得だなぁ。


「近くないです。これが私とアンディ様の適正距離です」


 嘘をつけ。

 堂々とした物言いに、一瞬納得しかけてしまったじゃないか。アマルは日々強くなっている。主に俺に対して。その成長っぷりに、末恐ろしささえ感じる今日この頃。


「それを言うと、アマルの方が変わったな」


「変わってません」


「いいや、変わった」


 アマルは怪訝そうに首をかしげ、眉をひそめた。俺はその様子を見て微笑む。


「どこが変わったと言うのですか?」


 思い出すのは、その無機質な紅瞳。どこかを見て、どこも見ていない空虚な視線。人工物のように整いすぎた冷たい美貌。さらさらとした、銀糸の髪。


 ――そして、断続的に音を出す壊れたラジオみたいな雰囲気。いや、壊れながらそれでも……それでも必死に音を出し続けているラジオみたいな、そんな雰囲気。


「全部。表情とか、声音とか。態度も。会ったばっかりは、言っちゃ悪いが無表情で人形みたいな感じだった。でも今は、すぐにヤキモチ妬いて泣くし、甘えん坊、その上寂しがり屋で、……打たれ弱い」


「ううっ、アンディさまぁ」


 良いところなんてひとつもないではないですか。と泣き言を漏らすアマルに、よしよしと頭を撫でる。……ほら、やっぱり打たれ弱い。


「――でも、俺は今のアマルの方が好きだ。すぐにヤキモチ妬いて泣くのは、その分俺を想ってくれてのことだし。甘えん坊なところはすごく可愛い。寂しがり屋なアマルを守ってやりたいと思うし、打たれ弱いお前を俺はちゃんと慰めたいと思う。――そうか、そういう意味なら、確かに俺も変わったな」


 なるほど、納得である。

 捨てられた子犬みたいなアマルをほっとけなかった。つい構い倒して、甘やかし、それから、ずるずるとこういう関係になっていった。絆されるとは、まさにこのことか。


 俺は笑ってアマルを見やる。アマルは首元まで真っ赤に染めて、固まっていた。瞳を潤ませ、唇を震わせている。


「……アマル?」


「ずるい」


 アマルは顔を伏せ、シュミーズの裾を強く握った。


「ずるい、ずるいずるい! アンディ様はずるい!」


「おいおい、何がずるいんだよ」


「私ばかりずるい!」


「……意味分からん」


「もうっ、何故分からないのです!」


「怒るなよ」


「怒っていません!」


 ずるいずるいと、ぐずるアマルを諌めながら、ため息をつく。女の子って、何故か突然怒り出す。そういうときは、何も言わず話を聞いてやることが一番良い。下手に突っつくと爆発する。正に、やぶ蛇というやつだ。故に、沈黙こそ賢い男の行動なのだ。


 マザーグースの童謡の一説にこういうものがある。


 ――女の子は何でできている?


 ――女の子は砂糖にスパイス、それに素敵な何かでできている。


 俺が思うに、きっとその素敵な何かを男は一生理解できない、そういう風に神様が作ったのだろう。だから女の子が突然怒ったり、泣き出したり、笑ったりしても動揺するな。きっとそれは、素敵な何かのせいなのだ。


 理解できないなら、それでもいい。分かり合うのではなく、歩調を合わせるのではなく。お互いちぐはぐでも、側にいて話を聞くよと、言えばいい。


 女の子が求めるのは、いつだってたったひとつ。

 そのたったひとつだけなのである。




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