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聖者の牢獄  作者: 桂太郎
第1章 悪夢からの目覚め
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底抜けない青空に

 



「いと高きところには栄光、神にあれ。アーメン、ハレルヤ、ええっとーーそれから俺のこんちくしょうが」


 吐き捨てるように自身を罵倒してみる。唇を歪めて、息を吐く。苛立ちだけが先行し、俺の胸を掻き立て、頭を無遠慮に蹂躙する。それが腹立たしく、なんとも物悲しい。


 ――よく晴れた朝だった。


 修道院の裏手の芝生で、俺は寝転びながら空を見上げていた。雲は薄く棚引いて、陽光はキラキラと輝いている。本当に良い天気だ。嫌になるくらいに。


 慰めに空が見たかった訳ではない。無邪気に寝転びたかった訳でもない。ただそうしていたかった。それが全てだった。


 ぼんやりと、怠惰に雲の流れを目で追う。流され、薄れ、消えていく。それをただ眺める。何も得ることはできない非生産な行いを繰り返す。それはそれで、どこか楽しい。だからこそ救いようがない。


 そんな中、ぬっと人の顔が俺の視界に飛び込んでくる。思わず眉を潜める。全く気配がなかった。


「……ヨハンナ、驚かすなよ」


「その割には驚いていないようですが」


 そんなことないさ。俺は、空々しく呟いた。彼女は目を細めて俺を見ると、小さなため息を一つ。


「それで、何を悩んでいるのですか」


「別に悩んでない」


「……良いから話しなさい」


 反論は無視された。

 取り敢えず、無言の抵抗を試みる。

 黙秘権を発動します。


「その反応から、言わなくても分かります。あの方のことでしょう?」


 俺はむっつり黙りこむ。答えたくなかったし、答えるつもりもなかった。これは俺の問題だ。それ以上でもそれ以下でもない。


「黒殿は本当に分かりやすいお方だ。それは可愛らしくもあるが……少しもどかしくもある」


 ヨハンナは、そっと微笑んで隣に腰かけ、空を見上げる。


「……夜にあの方が、黒殿の部屋を訪ねているのを見ました」


 目を見開く。上半身を起こして、ヨハンナに顔を向けた。彼女はその動作を興味深げに眺め、ぽつりと言葉を口にする。


「誤解しないで頂きたい。私はそれを咎めるつもりも、咎めることもできません」 


「言っとくけどな、俺はアマルに手を出してなんかいないぞ」


「ええ、そうでしょう。黒殿はそういうお方だ。何より優しく、何より残酷だ」


「俺が……残酷?」


 俺の言葉に、ヨハンナは静かに頷いた。それに責める響きはなかった。どこか憐れむよう声音だった。


「あの方が貴方の、殿方の部屋を訪ねることの意味を考えたことはおありか」


「アマルはひとりが寂しいからって」


「……女性は貞節が尊ばれます。どんな理由があれ、婚姻関係でない殿方と同室で寝ることは許されません。例え何もなくても、まわりはそう思わない。故に、女性は男性と同じ寝床を使う際、覚悟をする。その殿方の(モノ)になる、あるいはなるかもしれない、ということを」


 絶句する。では、アマルは最初からそのつもりで――


 ヨハンナは淡々と言葉を放つ。 


「何もしないということが、善良な行いであっても最善とは限らない、という話です」


「……お前は俺に、アマルを受け入れて抱けば良かったと言いたいのか」


「いいえ。黒殿はそれができないから、悩んでいるのだろう?」


 違うのか? とすまし顔。

 ぐぬぬ。

 違わない。違わないけど!


「ヨハンナって、ドSだよな」


「どえす? どういう意味ですか?」


「根っからのいじめっ子気質ってこと」


 ヨハンナは心外だと言わんばかりに顔を背け、憮然とした声で言葉を続ける。


「黒殿、貴方は私に喧嘩を売ってるのですか?」


「お前こそ」


 ヨハンナは濃い金髪を揺らして、すっと目を細めた。俺もぷんす、と鼻息を鳴らす。試合開始のベルが底抜けた空に響いた……気がした。


「私は好意で貴方の懺悔を聞いて差し上げてるのですよ」


「嘘つけ楽しんでるだろこのドS」


「やれやれ、どっち付かずの優柔不断者が何を言うか」


「今言ってはならぬこと言ったな! 言ってしまったな! お前の血の色は何色だ!」


「赤ですが、それが何か?」


「うるせい! そんなこと知ってるわ!」


 何ですかそれ、と呆れ顔色。

 お前こそなんなの? と、それに俺は嫌そうな顔で応酬する。


 暫く心底くだらない言葉のやり取りが続いて、結局そこから何も生まれなかった。……でも、少し気が晴れた。


「さて、私はもう行きます」


「お前、ほんと何しに来たんだよ」


「しいて、なにも。ただ、貴方が寂しそうだったので」


「……お前って、割りと優しいのな」


「何んだ、今気付いたのですか。恐れ入ったぞ、この間抜け」


「……お前って、割りと口悪いのな」


 ヨハンナは口だけ歪ませて笑った。意地の悪い笑みだった。俺はげんなりと肩を落とす。


 こいつやっぱりドSだ。

 いい加減にしろ、このサディストが。

 もっと優しく、なじってくれ。


「黒殿、受け入れろとは言いません。ただ、認めろと言っているのです。貴方を想うあの方の心を。なぜならそれ自体、貴方の尺度で計ることができないものだからです。いえ、計るべきではない、が正しい。万人には、ひとりひとり多種多様なしがらみがあるのでしょう。だが、そんなものは路端に投げ捨てておけばよろしい。……誰にも何にも認められないというのは、存外悲しいものですから」


 最後の言葉は、彼女が自身に向けて言ったようにも聞こえた。誰しもしがらみを持っているのであれば、彼女のしがらみは一体なんなのだろう。


 俺は立ち上がって、ヨハンナの頭をぐりぐり乱暴に撫でる。彼女は驚いて、目を見開いた。青い瞳が揺れる。


「……何のつもりですか」 


「しいて、なにも。ただ、お前が寂しそうだったから」


「……貴方は、割りと優しいのですね」


「何だ、今気付いたのか。恐れ入ったぞ、この間抜け」


「……貴方は、割りと口が悪いのですね」


 ヨハンナは微笑んだ。

 とても綺麗な笑みだった。

 底抜けない青空のような、そんな笑みだった。


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