底抜けない青空に
「いと高きところには栄光、神にあれ。アーメン、ハレルヤ、ええっとーーそれから俺のこんちくしょうが」
吐き捨てるように自身を罵倒してみる。唇を歪めて、息を吐く。苛立ちだけが先行し、俺の胸を掻き立て、頭を無遠慮に蹂躙する。それが腹立たしく、なんとも物悲しい。
――よく晴れた朝だった。
修道院の裏手の芝生で、俺は寝転びながら空を見上げていた。雲は薄く棚引いて、陽光はキラキラと輝いている。本当に良い天気だ。嫌になるくらいに。
慰めに空が見たかった訳ではない。無邪気に寝転びたかった訳でもない。ただそうしていたかった。それが全てだった。
ぼんやりと、怠惰に雲の流れを目で追う。流され、薄れ、消えていく。それをただ眺める。何も得ることはできない非生産な行いを繰り返す。それはそれで、どこか楽しい。だからこそ救いようがない。
そんな中、ぬっと人の顔が俺の視界に飛び込んでくる。思わず眉を潜める。全く気配がなかった。
「……ヨハンナ、驚かすなよ」
「その割には驚いていないようですが」
そんなことないさ。俺は、空々しく呟いた。彼女は目を細めて俺を見ると、小さなため息を一つ。
「それで、何を悩んでいるのですか」
「別に悩んでない」
「……良いから話しなさい」
反論は無視された。
取り敢えず、無言の抵抗を試みる。
黙秘権を発動します。
「その反応から、言わなくても分かります。あの方のことでしょう?」
俺はむっつり黙りこむ。答えたくなかったし、答えるつもりもなかった。これは俺の問題だ。それ以上でもそれ以下でもない。
「黒殿は本当に分かりやすいお方だ。それは可愛らしくもあるが……少しもどかしくもある」
ヨハンナは、そっと微笑んで隣に腰かけ、空を見上げる。
「……夜にあの方が、黒殿の部屋を訪ねているのを見ました」
目を見開く。上半身を起こして、ヨハンナに顔を向けた。彼女はその動作を興味深げに眺め、ぽつりと言葉を口にする。
「誤解しないで頂きたい。私はそれを咎めるつもりも、咎めることもできません」
「言っとくけどな、俺はアマルに手を出してなんかいないぞ」
「ええ、そうでしょう。黒殿はそういうお方だ。何より優しく、何より残酷だ」
「俺が……残酷?」
俺の言葉に、ヨハンナは静かに頷いた。それに責める響きはなかった。どこか憐れむよう声音だった。
「あの方が貴方の、殿方の部屋を訪ねることの意味を考えたことはおありか」
「アマルはひとりが寂しいからって」
「……女性は貞節が尊ばれます。どんな理由があれ、婚姻関係でない殿方と同室で寝ることは許されません。例え何もなくても、まわりはそう思わない。故に、女性は男性と同じ寝床を使う際、覚悟をする。その殿方の女になる、あるいはなるかもしれない、ということを」
絶句する。では、アマルは最初からそのつもりで――
ヨハンナは淡々と言葉を放つ。
「何もしないということが、善良な行いであっても最善とは限らない、という話です」
「……お前は俺に、アマルを受け入れて抱けば良かったと言いたいのか」
「いいえ。黒殿はそれができないから、悩んでいるのだろう?」
違うのか? とすまし顔。
ぐぬぬ。
違わない。違わないけど!
「ヨハンナって、ドSだよな」
「どえす? どういう意味ですか?」
「根っからのいじめっ子気質ってこと」
ヨハンナは心外だと言わんばかりに顔を背け、憮然とした声で言葉を続ける。
「黒殿、貴方は私に喧嘩を売ってるのですか?」
「お前こそ」
ヨハンナは濃い金髪を揺らして、すっと目を細めた。俺もぷんす、と鼻息を鳴らす。試合開始のベルが底抜けた空に響いた……気がした。
「私は好意で貴方の懺悔を聞いて差し上げてるのですよ」
「嘘つけ楽しんでるだろこのドS」
「やれやれ、どっち付かずの優柔不断者が何を言うか」
「今言ってはならぬこと言ったな! 言ってしまったな! お前の血の色は何色だ!」
「赤ですが、それが何か?」
「うるせい! そんなこと知ってるわ!」
何ですかそれ、と呆れ顔色。
お前こそなんなの? と、それに俺は嫌そうな顔で応酬する。
暫く心底くだらない言葉のやり取りが続いて、結局そこから何も生まれなかった。……でも、少し気が晴れた。
「さて、私はもう行きます」
「お前、ほんと何しに来たんだよ」
「しいて、なにも。ただ、貴方が寂しそうだったので」
「……お前って、割りと優しいのな」
「何んだ、今気付いたのですか。恐れ入ったぞ、この間抜け」
「……お前って、割りと口悪いのな」
ヨハンナは口だけ歪ませて笑った。意地の悪い笑みだった。俺はげんなりと肩を落とす。
こいつやっぱりドSだ。
いい加減にしろ、このサディストが。
もっと優しく、なじってくれ。
「黒殿、受け入れろとは言いません。ただ、認めろと言っているのです。貴方を想うあの方の心を。なぜならそれ自体、貴方の尺度で計ることができないものだからです。いえ、計るべきではない、が正しい。万人には、ひとりひとり多種多様なしがらみがあるのでしょう。だが、そんなものは路端に投げ捨てておけばよろしい。……誰にも何にも認められないというのは、存外悲しいものですから」
最後の言葉は、彼女が自身に向けて言ったようにも聞こえた。誰しもしがらみを持っているのであれば、彼女のしがらみは一体なんなのだろう。
俺は立ち上がって、ヨハンナの頭をぐりぐり乱暴に撫でる。彼女は驚いて、目を見開いた。青い瞳が揺れる。
「……何のつもりですか」
「しいて、なにも。ただ、お前が寂しそうだったから」
「……貴方は、割りと優しいのですね」
「何だ、今気付いたのか。恐れ入ったぞ、この間抜け」
「……貴方は、割りと口が悪いのですね」
ヨハンナは微笑んだ。
とても綺麗な笑みだった。
底抜けない青空のような、そんな笑みだった。




