第4話 消えた薬草採り
山から冷たい風が吹き下ろしてくる季節になった。
坂本屋の裏手に積まれた薪の山が、寒さの訪れを物語っている。
「……弥作さんが戻らねえな」
番頭の宗吉が、帳簿から目を離さずに呟いた。
夕暮れ時。いつもなら、山で採れた薬草を背負い籠いっぱいに詰め込んだ三十一歳の弥作が、「おう、伊助! 今日の収獲だぞ」と威勢よく土間に上がり込んでくる時間だ。だが、門前の通りをいくら見渡しても、あの背の高い男の姿はない。
「まだ日のあるうちに下りてくると言っていたんだけどねぇ……」
お常が心配そうに土間を掃く手を止める。
十歳の伊助は、薬草棚の隅で当帰の葉を選別しながら、こっそり溜息をついた。
(やれやれ……あのバカ、また調子に乗って深追いしたな)
伊助——本来の名を深山景久という百歳の元・天才薬師は、弥作が今日向かった山筋を正確に記憶していた。朝、弥作が「今日は誰も行かない奥の沢筋で、上物の当帰を掘ってくる」と自慢気に語っていたからだ。
あの沢筋は足場が悪い。この季節、落ち葉の下が湿っていて滑りやすいのだ。
(遭難……とまではいかなくとも、足を挫いて動けなくなっている可能性は高いな。ったく、大人のクセに世話を焼かせる)
景久の脳みそは「さっさと救出の段取りを整えろ」と命令しているが、今の身体はただの十歳の小僧だ。一目散に山へ駆け込んで「僕が探してきます!」なんてやったら、今度は自分が遭難したと大騒ぎになり、坂本屋の連中に余計な心配をかける。
「宗吉さん、僕、ちょっと表の薬草干し場を見てくるよ!」
「おう、あんまり遠くへ行くなよ」
伊助はへこへこと頭を下げると、小さめの背負い籠を担いで店を抜け出した。
———
坂本屋の裏手から山道へ入る。
伊助はガキの脚力を呪いながら、ぜいぜいと息を荒らして山道を登った。
(クソッ……身体が追いつかん! 昔なら一跳びだったというのに……!)
腿の筋肉が悲鳴を上げ、心臓が早鐘を打つ。十歳の肉体の限界に歯噛みしていると、上方の木々がガサリと揺れた。
「ん……? 伊助か?」
落ち葉を踏みしめて現れたのは、異世界の軽装鎧を身につけた十六歳の少年——神代悠真だった。腰に下げた長剣と奇妙な鎧は相変わらず異様だが、本人はあてもなく山をブラブラしていただけのようだ。
「悠真……ッ、はぁ、はぁ……」
「なんだお前、そんな大きな籠背負って、すごい汗だぞ。筋トレか?」
「ち、違うわ! 筋トレってなんだ……! 坂本屋の薬草採りの弥作さんが、山から戻らないんだよ!」
伊助は荒い息を吐きながら、必死に言葉を紡いだ。
悠真は少し眉をひそめる。
「遭難か?」
「たぶん、奥の東沢だ。あそこは落ち葉で足元が見えにくい。滑り落ちて足を痛めたのかもしれん……いや、痛めたんじゃないかなって思うんだ!」
慌てて子供らしい口調に言い直す伊助を、悠真は凝視した。
(……待てよ。こいつ、なんで弥作って奴が『東沢』にいて『足を痛めた』ってピンポイントで当たりをつけてるんだ? まだ誰も探しに行ってないのに)
悠真の頭の中で、社畜時代に鍛えられた違和感センサーが働く。
目の前のガキは、ただの十歳じゃない。山道でクマを一撃で倒した時の自分を見ても腰を抜かさず、謎の薬学知識を漏らしかけた少年だ。
(まあいい。問い詰めたってどうせ白状しないだろうしな)
「よし、連れてけ。俺がついて行ってやる」
「え……いいのか?」
「暇なんだよ、とにかく。ほら、案内しろ」
———
東沢の傾斜地は、伊助の読み通り湿った落ち葉で覆われていた。
谷底近くから、うめき声が聞こえてくる。
「痛たた……クソッ、よりによってこんなところで滑落するとは……」
大きな岩の根元に、弥作が力尽きたように座り込んでいた。右足の足首があり得ない方向に曲がっている。完全に骨折だった。
「弥作さん!」
「い、伊助!? なんでお前がこんなところに……って、誰だその奇妙な鎧の奴は!?」
「細かいことはいいから! 足、見せて!」
伊助は素早く弥作の足元に駆け寄ると、躊躇なく着物の裾を破り、足首の状態を観察した。
皮膚の下で骨が変形している。幸い開放骨折ではないが、急いで固定しなければ激痛でショックを起こすし、下手に動かせば内出血が酷くなる。
(チッ……折れた骨を真っ直ぐに整復し、添え木でガチガチに固定する必要があるな。だが、十歳の腕力じゃ折れた骨を引っ張って元に戻すなんて無理だ……!)
景久としての知識は完璧に頭にある。だが、肉体が絶対的に足りない。
伊助はチラリと背後の悠真を見た。魔王を蹴り一発で殺せそうな腕力を持つ、規格外の男だ。
(使うしかないか……この男を)
伊助はわざとらしく頭を抱え、困ったような声を上げた。
「わ、わあ! 骨が曲がってるよ! 悠真兄ちゃん、助けて! 昔、近所のおじいちゃんが『折れた足は、力強い人がまっすぐ引っ張ってから板を当てないと治らない』って言ってたんだ!」
「……おじいちゃん?」
悠真はジト目で伊助を見た。そんな都合の良いおじいちゃんが居てまるまる解剖学の基礎を教えてくれたわけがない。
「そう! おじいちゃんが言ってたの! だから悠真兄ちゃん、弥作さんの太腿をしっかり押さえて、足先をゆっくり、まっすぐ手前に引っ張って!」
「お、おい伊助! 素人がそんな無茶——」
「ぐぎゃあああああっ!?」
弥作の悲鳴が山に響き渡った。
悠真は伊助の指示通り、寸分の狂いもない力加減で弥作の足を引っ張る。ポキッと鈍い音がして、曲がっていた骨が正しい位置に戻った。
「よし、引っ張ったままでいて! 僕は添え木と包帯の代わりを探すから!」
伊助は素早く周囲の木々を見渡し、しなやかで折れにくい低木の枝を二本叩き折った。さらに自分の背負い籠から、山に入るときにこっそり持ってきた頑丈な麻紐を取り出す。
「この枝を足の両側に当てて……悠真兄ちゃん、ここをきつく縛って! 僕の力じゃきつく結べないんだ!」
「おう」
悠真の手際も完璧だった。指示されるがままに枝を当て、麻紐を力強く締め上げる。あっという間に、見事な副木固定が完了した。
「ふぅ……これで良し。あとは担架だな」
「……そこまで知ってるのか、おじいちゃん」
「うん! おじいちゃん何でも知ってたの!」
開き直った伊助の笑顔に、悠真は深いため息をついた。
———
悠真の圧倒的な筋力によって、弥作は無事に坂本屋まで運び込まれた。
「ありがとよ、伊助、それにそっちの鎧の兄ちゃん……助かった……」と涙ぐむ弥作を、清兵衛たち坂本屋の面々が介抱し、店は大騒ぎとなった。
騒ぎのどさくさに紛れ、悠真は坂本屋の裏手へ抜け出した。
追ってきた伊助が、誰もいない木かげで悠真の背中に声をかける。
「……今日は助かったぞ、悠真。お前がいなかったら、弥作さんを運べなかった」
「別に。暇潰しだ」
悠真は振り返り、腕を組みながら小柄な少年を見下ろした。
「なぁ、伊助」
「なんだ?」
「お前……本当は、めちゃくちゃ薬や手当のことに詳しいだろ」
伊助の身体がピクッと強張った。
「な、なにを言うんだ。さっきも言ったろ、近所のおじいちゃんが——」
「あんな完璧な手当の指示、ただの十歳ができるわけねぇよ。枝を選ぶ手つきも、紐を縛らせる位置の指定も、完全に『分かってる奴』の動きだった」
悠真は咎めるような口調ではなく、ただ事実を淡々と確認するように言った。
「なんで隠してんだ? それだけの知識があれば、この店でもっと重宝されるだろ」
伊助は唇を噛み締め、小さく息を吐き出した。十歳の無邪気な表情が消え、老成した冷たい瞳が覗く。
「……言っても信じまい。十歳のガキが『高度な知識を持っている』と言い出してみろ。化け物か憑き物だと疑われ、追い出されるのが関の山だ。この身体じゃ、目立ちすぎると生きやすさが損なわれるんでな」
「……そっか」
悠真はあっさりと引き下がった。深く追及する気はないらしい。
「まぁ、人には言えない事情ってのがあるわな。俺だって……自分のこと、全部話せるわけじゃないし」
異世界で三年間魔王と戦い、最後には身一つで戦国時代にポイ捨てされた元会社員。
若返って十歳の身体に閉じ込められ、必死にチート知識を隠して生きる元天才薬師。
二人は夕暮れの風の中で、互いの顔を見合わせた。
(こいつ……儂が知識を隠していることに気づいていながら、これ以上突っ込んでこないのか)
伊助は腹の中で小さく感心した。普通の大人なら「どこで覚えた」「正体を言え」としつこく問い詰めてくるところだ。
(伊助の奴……やっぱりただの子供じゃねぇな。だが、まぁいいや。隠したいなら隠しときゃいい)
悠真もまた、深く踏み込まない距離感を心地よく感じていた。
「じゃあな、伊助。また暇になったら山に来るわ」
「……ああ。気をつけて帰れよ、悠真」
悠真はひらひらと手を振りながら、神域へ続く山道を登っていった。
伊助はその背中を見送りながら、背負い籠を担ぎ直した。
互いに正体は明かさない。けれど、この異質な男は「伊助が知識を隠している」という秘密を知る、最初の理解者となったのだった。




