第16話 伊助の決断
三日後の朝、清兵衛は男たちに返事をした。
「条件は飲めない」
それだけだった。男たちが去った後、清兵衛は宗吉と、お春と、お常を集めた。
「しばらく、店を縮める。薬草の仕入れは、弥作さんと、まだ付き合いのある者だけに頼む。客は減る。だが、坂本屋のまま続ける」
誰も反対しなかった。
———
その夜、伊助は一人で薬棚の前に座っていた。
(儂が、ここにいる限り——)
悠真の噂は、坂本屋と結び付けられ始めていた。伊助自身の知識も、いつまでも隠し通せるとは限らない。お妙が暇を出され、蓄えの薬草まで灰になったのも、元をたどれば儂がここにいるせいかもしれない。お春は守ってくれると言った。だが、お春一人の力でどうにかなる話ではなくなってきている。竹松の、あの寂しそうな目も、まだ胸の奥に残っている。
(儂がいれば、この店はさらに面倒な場所になる)
翌朝、伊助は清兵衛の前に座った。
「旦那さん、話があります。……儂は、日光を離れようと思います」
清兵衛は、しばらく黙っていた。
「どこへ行く」
足利、という言葉が、一瞬、喉元まで上がってきた。だが伊助は、それを飲み込んだ。あの地名の先に何があるのか、まだ自分でも確かめる勇気がなかった。今はまだ、向き合う心の用意ができていない。
「まだ、決めておりません。ただ、ここにいると、坂本屋に迷惑をかける気がして」
「伊助。お前がいたから、狼毒の草を見落とさずに済んだ。弥作が山で死なずに済んだ。水路の騒ぎも、山の争いも、お前がいなければ、もっとひどいことになっていた。それを、迷惑と言うか」
「……それでも」
「分かった」
清兵衛は深く息を吐いた。
「引き止めはしない。ただ、一つだけ聞かせてくれ。お前は、坂本屋の伊助として、ここを出ていくか」
伊助は、その言葉を、しばらく胸の中で転がした。深山景久ではない。百年分の知識を持つ天才薬師でもない。ただの、坂本屋の見習い小僧として。
「……はい。坂本屋の伊助として、出ていきます」
清兵衛は、小さく頷いた。
———
お常は、泣かなかった。ただ、伊助の着物を丁寧に畳み直し、道中に使う小さな薬袋を縫って手渡してくれた。
竹松は、伊助の前に立ち、しばらく何も言えなかった。
「……また、会えるか」
「会えると思う」
「本当か」
「本当じゃ」
竹松は、それ以上何も言わなかった。ただ、ぐっと唇を噛んで、横を向いた。あの三日前の問いへの答えを、竹松はもう求めなかった。
お春は最後に、伊助の前に立った。
「どこへ行くの」
「まだ、決めておらん」
「伊助が自分から話す日まで、私は待ってるから」
それだけだった。宗吉は、土間の隅で、帳簿を閉じたまま動かなかった。
「……すまなかった、伊助」
「宗吉さんは悪くないです。この店を守ろうとした。それは本当のことじゃ」
宗吉は、何も言えなかった。
翌朝、伊助は坂本屋を出た。




