第31話 分かたれる旅路と新たな装い(中編)
学術都市ヴィルシュタットの郊外、ゼーベルク教授の屋敷に広がる巨大な書庫は学問の徒により熱気に包まれていた。
天井まで届く書架の間には、運び込まれたばかりの記録結晶から投影された魔力の波形図が揺らめき、机の上には幾枚もの古地図と最新の観測データが重なり合っている。
エリーナとロバート、そして教授の助手たちは、この数日間、外の世界との接触を絶ち、持ち帰った「澱」の観測データと、破壊された「蛇神化の腕輪」の解析に没頭していた。
その沈黙を破ったのは、拡大鏡を置いて深く椅子に身を沈めた、ゼーベルク教授の重厚な声だった。
「……ようやく、この世界の『綻び』の全貌が見えてきたな」
その言葉に、書庫にいた全員が作業を止め、教授のもとへと集まった。机の上に広げられた世界地図の中央には、赤々と輝く一点が記されていた。
「これまでの数日間、エリーナたちが持ち帰った二つの遺跡のデータを基に、周辺領域の魔力の共鳴を精査した。……結論から言おう。『極北の楔』は、この北方の山岳地帯を越えた氷河に閉ざされた未踏の聖域にある」
教授が指し示した場所は、ヴィルシュタットからさらに北、人間が踏み入ることを拒む険しい連峰の奥深くだった。
だが、教授の報告はそれだけでは終わらなかった。
彼は震える手で、地図のさらに遠方――南方の熱帯地帯と、西方の隣国の領地内にある空白地帯を指したのだ。
「驚くべきは、ここからだ。解析を進めた結果、魔力の共鳴は北方だけでなく、この南方と西方からも微弱ながら検出された。……エリーナ、君たちの推論は正しかった。世界を繋ぎ止める『楔』は、この二箇所にも確実に存在する」
その瞬間、書庫は水を打ったような静寂に包まれた。
「南と、西にも……!? 聖典には、そんな記述はどこにも……」
「馬鹿者が。聖典にあるのは勝者の都合の良い物語だけだと言っただろう。事実は、世界各地に打ち込まれた楔が、今や連鎖的に限界を迎えようとしているということだ」
教授は厳しい表情で続けた。
「だが、南方と西方の反応はあまりに微弱で、ここからでは大まかな方角を割り出すのが限界だ。特定するには、現地へ赴き、直接魔力の揺らぎを観測するしかない」
この「新事実」は、調査隊にとって極めて重い課題を突きつけた。
一箇所ずつ回っていては、世界の崩壊に間に合わない可能性がある。
エリーナは決断を迫られていた。
翌日、ゼーベルクの屋敷に調査隊全員が集められた。
エリーナは調査隊の前に立つと決然とした表情で集まった仲間たちを見渡した。
「……北方の楔の位置は教授のお力添えにより、特定できたわ。だけど、世界にはまだ2か所、南方と西方に楔があることが分かったの。そして、その2か所の楔の特定はまだ出来ていない上、特定するためには現地で調査する必要がある。私たちは世界の崩壊を止めるために、楔を再構築しなければならない。……全員で楔を巡っていては間に合わない可能性がある……だから、私は今、ここで調査隊を分ける決断をしました。時間は、私たちの想像以上に限られているから」
エリーナの言葉に、副隊長のロバートが思わず声を上げた。
「分断、ですか……!? エリーナ様、それはあまりにも危険です。我々の戦力は決して多くはない。もし各個に教会の追及を受ければ、ひとたまりもありません。」
「分かっているわ、ロバート。でも、全員で手探りの捜索に時間を費やしていれば、各地の楔は次々に崩壊してしまう。……まずは私とカイ、ゲイル、それにフィン。あと、ハヌとパンを連れて、位置が特定できている『極北の楔』へ直行し、封印の再構築を試みるわ」
エリーナの計画は、少数精鋭による強行軍と、残存部隊による広域捜索の並行作業だった。
「ロバート、あなたは残りの者たちを率いて二手に分かれ、南方の熱帯地帯と西方の隣国領内へと向かって。軍事的な衝突を避けつつ、現地の伝承や魔力の揺らぎを調査し、楔の正確な位置を特定する……これが、あなたたちに託す任務よ。教授はここに残り、澱を無害化するための研究を続けてください」
ロバートは一度だけゲイルと視線を交わし、その強い覚悟を汲み取ると、深く、重々しく一礼した。
「……承知いたしました。エリーナ様と同じ学問の徒として、必ずや次なる目的地への道標を打ち立ててみせましょう」
カイは、椅子に腰掛けてハヌがリンゴを頬張る様子を眺めていたが、エリーナの視線に気づくと短く頷いた。
「……目的地まで運んでみせるよ。未踏の地だろ?運び屋としての腕の見せ所だな」
新入りのフィンは、新調した服の襟をいじりながら、大人たちの深刻な会話に少し圧倒されていたが、カイの落ち着いた様子を見て、ぎこちなくマントを握りしめた。
「……飯さえ食わせてくれるなら、どこへでも行ってやるよ。荷運び(ポーター)の修行なんだろ?」
それぞれの使命が定まり、調査隊の運用方針は決定された。学術都市ヴィルシュタットで得た知恵と、初めて示された世界の全貌。それを手に、彼らは明日、三つの目的地へと向けて別々の道を歩み始めることになる。
書庫の外では、時計塔の鐘が深夜の訪れを告げていた。静かな夜空の向こうには、彼らを待ち受ける過酷な極北の寒風が、死の匂いを孕んで吹き荒れていた。




