第30話 路地裏の疾風と孤独な魂(中編)
ヴィルシュタットの裏通りにある、安さが売りの定食屋。
夕刻を迎え、店内は日雇いの労働者たちの熱気と、立ち込める安っぽい油の匂いで満ちていた。
隅のテーブルについた少年の前には、山盛りの麦飯と、厚切りの干し肉を煮込んだスープが並べられた。
「……本当に、食っていいんだな? 金なんか持ってないぞ」
「金が無いのは分かってるさ。じゃないとスリなんかしないだろ。いいから食え」
少年の顔から遠慮と警戒と言う文字が消え、猛烈な勢いで食事を口に運び始めた。
4本の腕を持つハヌも負けてはいない。
カイの隣で、運ばれてきた果物やパンを両手で掴み、少年と競うように平らげていく。
「……おい、ハヌ。少しは落ち着け。俺の財布が泣いているぞ」
カイは減りゆく金貨の残数を思い浮かべ、小さく溜息をついた。
ハヌと少年の「爆食い」を前に、運び屋の財布は急速にその厚みを失っていく。
「俺はカイ……名前は?」
「……フィン」
ようやく落ち着いたのか、少年は空になったスープ皿を見つめながら、ぽつりと語り始めた。
「物心ついた時からスラムで一人だ。身寄りもない。俺みたいな奴が生きていくには、他人の財布をかすめるか、ゴミを漁るしかないんだよ。……お前みたいな『恵まれた奴』には分かんねーだろうけどな」
少年は、カイの清潔な服や、大人しく肩に乗っている珍しい小獣を見て、自分とは違う世界の住人だと決めつけているようだった。
カイは特に反論せず、ただ黙って少年の話を聞いていた。
その時、店の入り口の扉が威勢よく開いた。
「カイ! こんなところにいたのか! 探したぞ」
現れたのは鎧を脱ぎ、軽装になったゲイルと同様に軽装の騎士数人だった。彼らは、混み合っている店内をかき分け、カイのテーブルに座った。
「……ゲイルか。何か用か?」
「エリーナ様がお呼びだ。次の旅について相談があるようだ……む、その少年は?」
ゲイルの鋭い眼光が、まだ口の周りを汚している少年に注がれた。
ゲイルと共にいた騎士たちも、少年の汚れた身なりと、犯罪の香りが漂う様子に気づいたようだった。
「おい、少年」
一人の騎士が、気遣うような、しかしどこか威圧感のある声で少年に歩み寄った。
「カイと一緒にいる理由は分からんが、その身なりからして仕事に困っているんだろう?どうだ、我々の隊で見習い騎士として修行してみないか? 少なくとも、毎日の食事と寝床には困らなくなるぞ」
騎士なりの、真っ直ぐな救いの手だった。
しかし、少年はその言葉を聞いた瞬間、椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「……うるさい!あんたたちみたいな奴らには、俺の気持ちなんて分かんねーよ!」
少年は、自分を囲もうとする大人たちの隙間を縫うようにして、店の出口へと走り去っていった。
「待てッ!」
カイは即座に立ち上がり、少年の後を追って店外へ飛び出した。
だが、数歩走ったところで、ふと思い出したように店内に戻ると、唖然としているゲイルの目の前に伝票を叩きつけた。
「ゲイル、ここは任せた」
「えっ、ちょ、ちょっと待て、カイ! この額は一体……!? おい! カイ!!」
少年とハヌが文字通り「たらふく」食べた後の勘定書を見たゲイルの声が、怒りと驚きを込めて店内に響き渡ったが、カイはすでに夜の街へと消えていたのである。




