第27話 偽りの神威と運び屋の眼(後編)
夕闇は急速にその濃度を増し、街道を包む空気は、北方にある学術都市ヴィルシュタットから吹き降ろす冷涼な風によって一層鋭く研ぎ澄まされていた。
「……神の意志、か。勝手なことを言ってくれるな」
カイは盗賊団の首領、バザルの豪語を冷ややかに聞き流しながら、再び白く輝く石畳を力強く蹴った 。
バザルが振るう大太刀の一振りは、凄まじい破壊力を持って、カイの足元を何度も爆砕していく。
一撃が石畳を直撃するたびに、地響きと共に巨大な亀裂が走り、砕け散った石の礫がカイの頬を掠めていく。
だが、その「力」を紙一重で躱し、命のやり取りをしている、今のカイは驚くほど冷静だった。
否、戦いの中で冷静になり、快楽がにじみ出ていた。
当たれば死ぬ鉄塊が吹き荒れる嵐の中、無防備にも紙一重で避け続ける超速の世界。
いつしか、殺意さえも快楽の贄となり始めていた。
(……当たれば死ぬが、こいつの関節の動きが見える)
カイの視界には、バザルの関節が軋みながら稼働している姿がはっきりと見えていた。
カイの動きは、神の祝福が関節や筋肉への負担を軽減し、摩擦のない滑らかな機動を実現している。
だが、バザルの動きは違う。
彼は己の肉体を酷使し、剥き出しの欲望と純粋な殺意だけで、その巨躯を駆動させている。
カイは殺意の嵐の中を駆け、跳躍し、反転する。
恐怖は身を隠し、顔には笑みが溢れてくる。
「なんだ、こいつは?」
先ほどまで余裕を持って対峙していたバザルにも疲労の色が見え始めた。
殺意を込めた太刀の嵐。
太刀を振れば人が死ぬ。
これまで殺そうと思って殺せなかった者はおらず、強者として生まれた自分は神に選ばれた特別な人間だと信じていた。
「ただ速いだけの運び屋風情になぜ当たらん……! なぜ当たらんのだ!? この神に選ばれた、我が刃がッ!!」
バザルの顔が怒りで赤黒く染まり、その目は血走っている。
神から選ばれた特別な人間だと言う自負は、無法な「灰色の飢狼」を束ね、自らの恐怖を広めるためのシンボルとなっていた。
それを、一介の運び屋に翻弄される現実は、彼の存在意義そのものを根底から否定する屈辱に他ならない。
「逃げるしか能がない雑魚が!さっさと死んで、俺の財宝を寄越せ!」
バザルは大太刀を更に加速させ、狂ったように振り回し、殺意をカイに叩きつけた。
その頃、長身の男、ゴードンと刃を交えていたゲイルもまた、極限の緊張感の中にいた。
彼の長剣から噴き出す女神イリテスの「黒炎」は、周囲の空気を焼き、視界を陽炎のように歪ませるほどの熱を放っている。
対してゴードンは鉄塊を構え、無表情のまま微動だにしなかった。
そして、幾何かの後、先に動いたのはゲイルであった。
構えから予備動作無しの突きが矢のように放たれた。
ゴードンは鉄塊の柄で剣を弾き、ゲイルめがけて鉄塊を振り下ろす。
ゲイルは弾かれた勢いを利用して旋回し、鉄塊を避けながらゴードンの胴を薙ぎ払った。
ゴードンは更に柄で長剣を受け止め、後に跳躍しゲイルから距離を取った。
しかしゲイルがそれを許さなかった。
ゲイルはゴードンに接近し、剣を交え続けた。
次第にゲイルはゴードンの鉄槌を受け流し、受け止め、競り合うまでになった。
ゴードンは戸惑っていた。
先ほどまでのゲイルは、鉄槌の一撃さえ決まれば倒せる、少し強いだけの騎士と言う認識であった。
しかし、今や鉄槌の一撃を正面から受け止め始め、自分と同じ膂力を持つ騎士へと成っていた。
(なぜだ!なぜ私と打ち合える!)
鉄槌を軽々と振り回し、他者を寄せ付けない怪力
こそが自身の拠り所であったゴードンは、初めて自分と同様の膂力の持ち主と対峙した。
「私より強い貴様には感謝している。その強さは私の嫉妬に値する!騎士として貴様に並び、そして超えてみせる。」
ゲイルは嫉妬していた。
神の祝福を得られても、ゴードンのように自身より強い者がいることに。
(バザルがゴードンよりも弱いのであれば、私より強いカイが負けるはずがない。悔しいが私よりカイの方が強い。)
嫉妬こそがゲイルの祝福の源。
今、見るべき敵は目の前のゴードン。
調査隊やエリーナのことは焦りとともに吐き出した。
ぶつかる剣と槌、火花が散り、黒炎が燃える。
ゲイルとゴードンの終幕が近づいてきた。
カイは、衰え始めた死の嵐に踏み込み、バザルに肉薄していた。
「さっさと死にやがれ!」
暴風となって放たれた横薙ぎをカイは跳躍し回避する。
その隙にバザルはカイから距離を取り息を整える。
「もういい。こんな所でに使うとは思っていなかったが仕方ない。全員始末してから財宝を改めようとするか」
バザルは懐から、漆黒の宝石が填められた金細工の腕輪を取り出し、左腕に着けた。
「我、贄として深き欲を与えよう。蹂躙した後、与えられるは深き闇。我が体の底に眠りし蛇の子よ。目覚め荒ぶる神の一端を世に知らしめよ。」
「魔術!?」
カイは警戒するあまり、バザルが詠唱を始めた事に気付くのが遅れ、止めるまもなくバザルの詠唱が完成する。
「蛇神化」
バザルの身体が蠢き、皮膚が鱗に変わっていく。
「この姿になるのはもっとデカい仕事の時だと思っていたんだがな。もうどうなっても構わねぇ」
バザルの体躯は更に巨躯になり、鋭い爪と牙が生え、目はベビを思わせる縦長の瞳孔となった。
「死んでくれ」
そう呟くとバザルは一歩踏み込み斬り込んだ。
踏み込んだ石畳は粉砕され、カイの面前に大太刀が迫っていた。
先程までとは明らかに剣戟の速度が上がっていた。
カイは身を屈めて避けた所に既に返しの刃が迫っていた。
カイは更に身を翻し、刃を避け、着地と同時に跳躍し、バザルの顎めがけて膝蹴りを食らわせた。
しかし、バザルが数歩よろけた後、
「何かしたか?」
と全く効いていな様子にカイは無意識に笑みを浮かべていた。
「もっと早く。もっと強く。」
そう呟いたカイは膝に意識を集中させた。
夕闇が完全に平原を支配し、ヴィルシュタットから届く星明かりだけが、二人の影を石畳の上に長く引き伸ばしている。
神話を語る首領と、沈黙の神を背負う運び屋。
二人の距離が、ついに決着の瞬間へと迫る。




