第17話 神鳴る森と、燻る残火(後編)
「……冗談だろ」
崩壊した遺跡の前で、カイは息を呑んだ。
大地を激しく抉りながらのたうつ十メートルを超える四肢を持つ蛇のような魔獣。
だが、そこにはもう一頭、命を賭して戦う「守護獣」の姿があった。
かつてこの場所で出会った、あの巨大な大山羊だ。
大山羊は、魔獣の放つおぞましい黒い霧をかいくぐり、果敢に角を突き立てていた。
その旋回性能と速度を活かし、なんとか魔獣を森の奥へ進ませまいと抑え込んでいるが、極厚の鱗に阻まれている。
大山羊の身体にも、じわじわと疲労と傷が蓄積しているのが見て取れた。
「グルアッ!」
その時、カイの肩から飛び出したのはハヌだった。
小さな身体で、果敢にも大鰐の目の前へと立ちはだかり、全身の毛を逆立てて威嚇の声を上げる。
だが、魔獣にとってその羽虫のような羽ばたきは苛立ちを誘うだけだった。
容赦なく振り下ろされる、大木のような太い前足。
「ハヌ、下がれッ!」
カイの足元が爆ぜる。
カイは爆発的な跳躍で突進し、押し潰される寸前だったハヌの身体を拾うと、ギリギリのところで横へと転がり込んだ。
間一髪、巨大な足が大地を砕き、凄まじい土煙が舞い上がる。
「無茶すんな。」
カイはハヌを宥めるように素早く肩の上へ戻すと、魔獣を鋭く睨み据えた。
あの時──あの灰色のゴーレムと対峙した時の、震えるような戦闘への欲求が、再び膝の奥で脈動を刻み、全身を駆け巡る。
湧き上がる熱い感覚に身を任せ、カイは地を蹴った。
弾丸のように魔獣の懐へと潜り込み、跳躍。
「おおおっ!」
全体重と神の祝福を乗せた渾身の膝蹴りが、分厚い側腹部へと叩き込まれた。
強烈な衝撃波が周囲に吹き荒れる。だが──。
(硬い……! 効かないか!?)
手応えはあった。
しかし、魔獣の肉厚な皮膚と漆黒の鱗はその衝撃をほとんど吸収してしまっていた。
大山羊が隙を突いて頭突きを喰らわせ、カイもまた着地と同時に次なる一撃を狙うが、魔獣の圧倒的な質量と耐久力を前に、なお決定打が生まれない。
魔獣は体を振るいカイたちを攻め立てるが、カイも大山羊も悉く回避する。
膠着状態のまま、焦燥感だけが森の空気を満たしていく。
その膠着を破ったのは、森の奥から響いた鋭い咆哮だった。
「──下がれ、カイッ!!」
凄まじい風切り音と共に、木々の隙間から一筋の閃光が走る。
ゲイルだった。
だが、その姿はカイの知る騎士のそれとは一線を画していた。
ゲイルの手にする長剣には、陽炎のように揺らめく、不気味で苛烈な黒炎が激しく燃え盛っている。
「おおおおおッ!」
疾風のように駆けるゲイルは、大鰐の首元めがけて、黒炎を纏った長剣を力任せに振り下ろした。
ズシャァァァンッ!!
硬質な鱗がゲイルの宿した黒炎によって焼かれ、そのまま刃が深く肉へと喰い込んでいく。
大鰐がおぞましい悲鳴を上げてのたうち回った。
「ゲイル……!? その剣は一体……」
カイが目を見開く。
ゲイルは息を荒くしながら、確固たるプライドを滲ませて不敵に笑った。
「女神の祝福だ、カイ。……もうお前だけではない。俺もまた、神から力を授かった!この力でお前を超える!」
ゲイルの瞳には、力がもたらす万能感と、カイへの激しい対抗心がギラギラと燃え盛っていた。
己の力を誇示するように、ゲイルは猛然と大鰐へ突撃する。
黒炎の斬撃が次々と大鰐の肉を焼き裂いていく。
しかし、嫉妬を糧にした急激な力は、ゲイルの冷静な判断力を削ぎ、その防御を疎かにさせていた。
そして、大鰐の巨大な尻尾が、死角から凄まじい速度でしなって迫る。
「しまっ──」
気づいた時には遅く、回避は間に合わない。
ゲイルの脳裏に、あの遺構でゴーレムの一撃に無様に吹き飛ばされた光景がフラッシュバックする。
(……否、二度は繰り返さん!)
ゲイルは半ば暴走しかけていた意識を力ずくで引き戻し、強引に長剣を盾に直撃の軌道へと割り込ませた。
凄まじい衝撃が剣を伝って全身を襲う。
だが、今度は弾き飛ばされない。
ゲイルは尻尾の衝撃を剣でいなしながら、自ら後方へと大きく跳躍し、見事に地面を滑るようにして受け身を取った。
(私は騎士だ。もう、嫉妬に溺れ、刃を振り回すだけの獣ではない……!)
胸中に渦巻いていた醜い嫉妬を、ゲイルは冷徹に飲み込み、自らの血肉へと昇華させた。
ふと視線を上げると、かつてゴーレムの前で自分を庇うように立ちはだかった、カイの後ろ姿の幻影が揺らめいて見えた。
ゲイルはそれを、自らの剣で一文字に切り裂く。
幻影は消え去り、そこにあるのは、共に前を見据える現実のカイの背中だ。
ゲイルは迷いなく、カイの真横へと並び立った。
「カイ。私が前に出る。」
「……無理はするなよ!」
カイが不敵に笑う。
その時、それまでカイとは離れて行動していた大山羊が、ゆっくりとゲイルの隣へと歩み寄ってきた。
大山羊は、ゲイルの纏う黒炎──そこに宿る女神の気配を感じ取ったかのように、じっとゲイルの顔を見つめ、静かに鼻を鳴らす。
「……お前は、あの女神を知っているのか?」
ゲイルが問いかけると、大山羊は肯定するように深く首を縦に振った。
「ならば、共にあの邪悪を討つぞ。力を貸してくれ」
メェェェ……と、低く共闘の意思がこめられてた大山羊の鳴き声が響く。。
カイの肩の上で、ハヌが「キィッ!」と気勢を上げる。
大山羊が前足で地を削り、ゲイルの剣の黒炎がさらに激しく燃え盛る。
カイは右膝を深く曲げ、跳躍の体勢を取った。
二人の戦士と二頭の獣。
意思を一つにした彼らの、反撃の火蓋が切って落とされようとしていた。




