第13話 森の侵入者(中編)
巨大な山羊との奇妙な邂逅から数日。
調査隊は、日光すら遮る鬱蒼とした原生林の奥深くを歩み続けていた。
時折、木々の隙間から何者かの視線を感じることはあったが、例の山羊が再び襲いかかってくる気配はない。
前方のゲイルは常に周囲を警戒し、中央のロバートは地形を確認しながら慎重に進路を選んでいた。
「……ん?」
最後尾で歩いていたカイが、ふと足を止めた。
視線の先、生い茂る蔓や苔に覆われた木々の間に、古びた石造りの構造物が見え隠れしている。
「エリーナ様、前方に遺跡と思われる人工物です。」
先頭の斥候からの報告に、エリーナの目が輝いた。
そこにあったのは、半ば地中に埋もれかけた小さな石造りの遺跡だった。
それを見た瞬間、カイはかすかな既視感を覚えた。
かつて、ハヌと最初に出会った『禁忌の森』で、あの巨大な大蛇を封印していた遺跡――その佇まいや、石に刻まれた特有の意匠がよく似ていたのだ。
「近くに川が流れていますね。周囲も開けている。エリーナ様、本日の行軍はここまでとし、ここを野営地とするのが最善かと」
中央から進み出たロバートの具申に、エリーナは深く頷いた。
「ええ、そうしましょう。ちょうどいいわ、この遺跡を少し調査させてもらいましょう」
テントが設営され、夕闇が森を包み込む頃、遺跡の前には即席の調査灯が灯された。
エリーナと数人の学者が、石壁の苔を慎重に払い落としながら、熱心にそこに刻まれた古代文字や紋様を読み解いていく。
「これは……」
夜更け前、エリーナが手元の資料と石碑を見比べながら、小さく息を呑んだ。
隣で補佐していたロバートが眼鏡の位置を直しながら尋ねる。
「何か分かりましたか、エリーナ様」
「ええ。この遺跡に刻まれた文字……少しだけど、読み解けるわ。どうやら、この地は何かの封印が施されているみたい。そして……数日前に私たちが出会ったあの大きな山羊は、この遺跡、ひいてはこの森の封印を代々守り続けている『守護獣』のような存在らしいの」
「あの山羊が、守護の存在……」
ロバートが驚きに目を見開く。
学者のひとりが首を傾げたながら説明を続けた。
「ただ、あの山羊が守っている封印に何が封じ込められているかは、肝心な部分が風化していて、全く見当がつかん。ただ、封印されている以上、決して目覚めさせてはならないものだろう……」
エリーナは深刻な表情で、暗闇に沈む遺跡の奥を見つめていた。
やがて調査は一時中断され、夜の静寂が野営地を支配した。
深夜。
自分のテントで横になっていたカイは、突如として襲ってきた「異様な気配」に目を覚ました。
同時に、両膝の奥がじわじわと熱を帯びるように痛む。
不快感というよりは、何かが彼を呼び寄せているかのような、奇妙な感覚だった。
(……遺跡の方か)
カイは音を立てずに起き上がると、眠っているハヌを起こさないよう配慮しながら、静かにテントの外へと出た。
見張りの騎士たちの目を盗み、川のせせらぎが聞こえる遺跡の前へと足を運ぶ。
月明かりに照らされた遺跡の入り口に、その影は静かに佇んでいた。
あの、2.5メートルを超える巨躯。
ねじくれた巨大な角を持つ山羊だった。
カイは一瞬、息を詰めて身構えた。
しかし、山羊は動かなかった。
ただ静かに、遺跡の前に佇み、こちらを見つめている。
その瞳には、昼間のような剥き出しの敵意は微塵もなかった。
ただじっとカイを見つめるその視線からは、言葉こそないものの、深い『哀愁』のようなものが感じられた。
巨大な山羊は、ただ、夜の静寂の中で、カイという存在の奥にある『何か』を確かめるように見つめ返しているだけだった。
「……お前も、何かを背負っているのか」
カイがぽつりと、誰に届くでもない声を自然に漏らした。
すると山羊は、短くフッと鼻を鳴らした。
それは拒絶の響きではなく、どこか満足したかのような、あるいは諦念を含んだかのような響きだった。
山羊はそのままゆっくりと巨体を翻すと、月明かりの届かない森の奥へと、音もなく消えていった。
残されたのは、川のせせらぎと、再び静まり返った森の空気だけ。
カイは自分の両膝をそっと手で触り、その熱が引いていくのを感じながら、静かに自らのテントへと戻るのだった。




