第11話 騎士と信頼(後編)
その日の夜、静まり返った野営地の中で、エリーナのテントだけには明かりが灯っていた。
ゲイルは緊張で強張る体を鎧の上からさすりながら、意を決してテントの幕をめくった。
呼び出された理由は分かっている。
自分のあまりの変わりように、聡明なエリーナ様が気づかないはずがなかったのだ。
どんな叱責も、どんな処分も受ける覚悟はできていた。
だが、一歩足を踏み入れたゲイルは、目の前の光景に思わず言葉を失った。
「……は?」
テントの床に敷かれた絨毯の上。
そこに、カイが、不自然なほど背筋をピンと伸ばし、律儀に両足を折りたたんで「正座」させられていた。
その前で、エリーナが腕を組んで厳しい表情で仁王立ちしている。
あまりにも予想外の光景に、覚悟を決めていたゲイルの思考は完全にフリーズした。
なぜカイが正座をさせられているのか、なぜカイがエリーナに怒られているのか、疑問は尽きず、
戸惑いが隠せない。
エリーナはゲイルが入ってきたことに気づくと、冷徹な視線を彼へと向けた。
「来たわね、ゲイル。そこに座りなさい。……カイ、あなたはそのままの姿勢を崩さないこと」
「……ああ」
カイは無表情のまま、綺麗な正座を維持してボソリと呟く。
ゲイルは動揺しながらも、カイと並ぶようにしてその場に膝を突いた。
「二人を呼んだのは他でもないわ。ゲイル、あなたのことよ。あの日、崖下で何があったのか、いい加減に白状しなさい。調査隊の責任者として、これ以上の不透明な隠し事は許しません」
エリーナの放つ圧倒的な威圧感。
ゲイルはゴクリと唾を飲み込んだ。
正座するカイの横顔を盗み見ると目が合い、カイは首を静かに振った。
あの時の事は、エリーナに言う必要が無いと言うことだろう。
しかし、見上げるエリーナの顔をそれを許さない覇気がにじみ出ている。
以前のゲイルであれば、口八丁で言い逃れていたかもしれないが、今は違う。
カイに命を助けられた事実、エリーナへの忠誠心が彼の心を大きく占めていた。
ゲイルは深く頭を垂れ、ついに震える声で真実を口にし始めた。
「……エリーナ様。すべて、私がお話しします」
ゲイルは堰を切ったように、自らの罪を告白した。
ヴァルハイト閣下から「この調査を必ず失敗させてエリーナ様を連れ戻せ」と強く命じられていたこと。
連れ戻すことができれば、エリーナと婚約させると約束していたこと。
平民でありながらエリーナ様と対等に接するカイへの激しい嫉妬が混ざり合い、完全に己を見失っていたこと。
そしてあの日、あの崖道で――誰も見ていないのをいいことに、カイを事故に見せかけて突き落としたことを、ゲイルは涙ながらに吐き出した。
「私は閣下との約束を……、醜い嫉妬に狂い、あの崖道でカイを突き落としました。……騎士にあるまじき大罪です。それなのに、カイは私の命を救ってくれた……!」
ゲイルは絨毯に両手を突き、深く額を床に擦り付けた。
「エリーナ様、私は厳罰に処される覚悟はできております。ですが、身勝手な願いなのは百も承知で……どうか、今回の調査が終わるまで、私をあなたの盾として戦わせてください! 調査が成功し、あなたが自由を手に入れたなら、その時はどんな処分でも甘んじて受けます!」
テントの中に、ゲイルの嗚咽だけが響く。
エリーナは衝撃の事実に青ざめ、怒りに体を震わせていた。
父が裏でゲイルにそんな命令を下していたことへの憤り。
ゲイルが、自らの嫉妬と焦りから殺人を犯そうとしたことへの失望。
「ゲイル……! あなた、自分が何をしたか分かっているの!? 私のために戦うと言いながら、私の目の届かないところで人を殺めようとするなんて……そんなの、ただの傲慢よ!」
エリーナの声を、気持ちを押し殺したような叱責が飛ぶ。
ゲイルはただ平伏し、その言葉を黙って受け止めるしかなかった。
エリーナは深く息を吐き、肩の震えを抑えると、地面に額を押しつけたままのゲイルに冷酷な視線を向けた。
「……ゲイル。あなたの罪は万死に値するわ。けれど、実際に命を狙われ、それを救ったのはカイよ。今のあなたはカイに生かされていることを忘れないで。そして、調査が終われば相応の処分を受けてもらうから。もう今日は結構よ。帰って……」
エリーナはゲイルの罪を保留にし、ゲイルたちを帰そうとした、瞬間、正座したまま微動だにしなかったカイが、面倒くさそうに首を小さく傾げて呟いた。
「ゲイルの処罰とは何のことだ?」
エリーナとゲイルが動きを止めた。
「処分も何も、何のことだ? ゲイルはただ、崖道で足を踏み外した俺を助けようとして一緒に落ちたんだ。崖下で『夢』でも見てたんだろ。俺を落とそうとしたなんて事実、最初からどこにもないよ」
「え……?」
ゲイルが驚愕して顔を上げる。エリーナはカイを鋭い目で睨みつけた。
カイは、あの日、崖の上に留まっていた調査員達に説明したように、ゲイルの大罪を「夢」の一言で片付けた。
するとカイは、すっと立ち上がり、テントの入り口の幕を勢いよくめくりあげた。
「ひっ!?」
テントの外には、中の不穏な空気を察して聞き耳を立てていた、数人の護衛隊員や調査員たちがたじろいでいた。
カイは外の連中を睨み、これ見よがしに淡々と言い放つ。
「今回の件は、ゲイルが崖から落ちたショックで妙な悪夢を見てただけだ。男二人が崖から落ちて、助かっただけの話さ。皆、自分のテントに戻って寝ろ」
エリーナはテントの外にいた調査員に気づいていなかった。
「あなた達……」
すると、カイはエリーナに目配せし、静かに微笑んだ。
エリーナも即座にカイの意図を察し、毅然とした態度で外の者たちを睨みつけた。
「カイの言う通りよ。全員、解散しなさい。明日の出発に備えなさい!」
責任者であるエリーナと、当事者にそう告げられては、聞き耳を立てていた調査員たちも引き下がるしかない。
「し、失礼しました!」と慌ててその場を離れ、野営地には再び静寂が戻った。
テントの幕を閉め、カイは戻ってくると、今度は正座ではなく、あぐらをかいて床に座った。
ゲイルは涙目を腫らしたまま、茫然とカイを見つめている。
「カイ……どうしてそこまで……」
「お前を許したわけじゃない。エリーナの旅を終わらせないためだ。それに……」
カイはそこで言葉を区切ると、自らの両膝をポンポンと軽く叩き、意を決して話始めた。
「ゲイルが夢を見てたってのは、半分本当だ。あの崖底、普通なら二人とも死んでた。けど、俺たちは無傷だった。……俺のこの膝にはな、『神様』から授かった祝福が宿ってるんだ」
「神の祝福?」
エリーナが信じられないといった様子で呟く。
カイの口から語られる、常識外れの『神』の存在。
なぜ彼が大人二人分を超える超重量の結晶機材を平然と背負えるのか、なぜあの絶望的な崖下から無傷で生還できたのか――すべての謎が、彼が過去に得た大いなる祝福によって、ついに繋がり始めていた。




