第11話 騎士と信頼(前編)
カイとゲイルが奇跡的な生還を果たした後、調査隊は緊迫した空気のなかで進軍を再開した。
その最前列で、ゲイルは静かに思考を巡らせていた。
崖下での、カイとの問答が脳裏に焼き付いて離れない。
『自分は嫉妬に狂い、平民のポーターを殺そうとした。それなのに、あの男は私を救い、そればかりか「エリーナ様のためだ」と言って私を庇った。……私は今まで何をしていた…』
自分の傲慢さがどれほどエリーナの旅を危険に晒していたか、今ならはっきりと分かる。
ヴァルハイト閣下の二枚舌に躍らされるのはもう終わりだ。
今、この瞬間にゲイルが最優先すべきこと――それは、命に代えてもエリーナを、そして彼女の夢を守り抜くこと。
その覚悟が定まった瞬間、ゲイルの心から迷いが消え、騎士としての確かな闘志が宿った。
やがて、行く手を遮っていた濃い白霧が薄くなり始める。
目の前に広がったのは、視界の開けた広大な平地だった。
崖道をようやく抜け出せたことで、学者や隊員たちの間から、安堵の溜息が漏れる。
――だが、その安堵は一瞬で打ち砕かれた。
「グルルルルル……ッ!!」
ひらけた平地の奥、未だ薄く残る霧の向こうから、大地を揺らすような地鳴りと、悍ましい獣の唸り声が響いてきた。
エリーナの足元で、白銀の小獣ハヌが腕を広げ、威嚇の声を上げる。
霧を割って姿を現したのは、体長2メートルはあろうかという巨体。
漆黒の猪型の魔物だった。
その背からは不気味な結晶の棘が突き出しており、さらにその後ろには、体長1メートルほどの小ぶりな猪型の魔物が数体、群れを成して追従している。
「魔物だッ! 大猪の群れが来るぞ!」
斥候の声が響く。
魔物たちは調査隊の姿を捉えるや否や、凄まじい勢いで突進を開始した。
以前のゲイルであれば、エリーナに少しでも良いところを見せようと焦るあまり、単身で無謀に突っ込んで周囲を危険に晒していたかもしれない。
しかし、今のゲイルは違った。
「慌てるな! 盾持ちは学者たちの前に出ろ! 陣形を維持しろ!」
ゲイルの鋭い怒号が平地に響き渡る。
その声の力強さに、動揺しかけていた騎士たちの身体が自然と動いた。
ゲイルは腰の長剣を鮮やかに引き抜くと、真っ直ぐにエリーナの前へと立ち塞がった。
その背中は、泥にまみれながらも、騎士としての確かな覚悟に満ち溢れている。
「私が正面を抑えます」
それだけをエリーナに短く告げると、ゲイルは迫り来る魔物へと視線を据えた。
エリーナは思わず目を見張った。
いつものゲイルなら「エリーナ様、私の活躍を見ていてください!」と声高にアピールし、彼女にあれこれと指図をしていただろう。
それが、余計な言葉を一切削ぎ落とし、ただエリーナを守る盾として迷いなく背中を向けている。
その劇的な変わりように、エリーナは驚きを隠せなかった。
ゴゴォォォ!と地響きを立てて突進してくる小ぶりな猪型の魔物に対し、ゲイルは一歩も引かなかった。
一頭目が牙を剥いて跳ね上がった瞬間、ゲイルは最小限の動きで身を翻し、流れるような剣技でその首元を一閃する。
確実に一頭を仕留めると、すぐさま2メートルの大猪型へと視線を走らせた。
凄まじい質量を伴った大猪型の猛進。
ゲイルは真っ正面からそれを迎え撃つべく、剣を構えて踏み込んだ。
凄まじい衝撃音が響く。
ゲイルは全身の筋肉を軋ませ、大猪型の突進をその場にねじ伏せ、足止めしてみせた。
ゲイルが前線を支え、皆もそれに続き戦線を維持している。
その背中を見たエリーナは、自らの杖を強く握りしめた。
ゲイルの姿が、彼女の精神を集中させる。
エリーナの凛とした声が、平地に響き渡った。
「大気に満ちる水精よ、我が名に従い鋭利なる刃と化せ。溢れ、奔れ、全てを断ち切れ――」
エリーナの魔力が一気に膨れ上がり、周囲の水分が超高圧の刃へと凝縮されていく。
「『ハイドロ・エッジ』!!」
解き放たれた水の刃は、凄まじい風切り音を立てて大気のなかを驀進した。
ゲイルが完璧に抑え込んでいた大猪型の急所を、目にも留まらぬ速さでとらえ、一刀両断にする。
ドシャァァッ!と激しい音を立てて巨体が倒れ込み、残された小ぶりな猪たちも、形勢不利と見て散り散りに逃げ去っていった。
戦闘は、調査隊に目立った被害が出ずに幕を閉じた。
これまでのゲイルであれば、即座に剣を鞘に収め、エリーナへ自らの功績を過大にまくし立てていただろう。
だが、ゲイルは剣の血を静かに払うと、背後のエリーナをチラリと一瞥した。
彼女に怪我がないことをその目だけで確認すると、すぐに周囲の隊員たちへと向き直る。
「怪我人はいるか!? 動ける者はすぐに周囲の警戒にあたれ。近くにまだ残党がいるかもしれない。斥候は次の進行ルートの安全確認、残った者は魔物の素材と結晶の回収だ。」
無駄のない、あまりにも的確で冷静な指示。
周囲の学者や隊員たちは、一瞬呆気に取られた。エリーナもまた、見違えるように頼もしく、かつてないほど「騎士」として振る舞うゲイルの姿を、深い驚きと共に見つめていた。
そんな喧騒から遠く離れた、最後尾。
結晶機材を背負ったまま、カイは一連の戦闘を静かに見届けていた。
ゲイルが前線を支えたため、カイや学者達のところまで魔物の接近を許さなかった。
カイは何も言わず、背中の重い荷物を一度だけ軋ませた。
そして、再び歩き出す準備を始める。
不協和音が消え、真のチームとなった調査隊は、いよいよ未知の領域のさらに深部へと進軍していく――。




