第10話 職人の嘘、騎士の背中(前編)
立ち込める濃霧のなか、息を潜めるようにして南側の崖道を進んでいた調査隊。
その静寂を破ったのは、列の後方から駆け上がってきた伝令の悲痛な叫び声だった。
「お、お嬢様!大変です! 最後尾で滑落事故が発生しました!」
先頭を進んでいたエリーナは、その報告を受けて弾かれたように振り返った。
「滑落……!? 嘘、誰が落ちたの!?」
「ゲ、ゲイル様の叫び声が聞こえた直後、機材の擦れる激しい音がして……! 最後尾にいたゲイル様と、カイの二人の姿が、霧の向こうへ消えました!」
伝令の言葉に、エリーナは血の気が引くのを感じた。
「カイと……ゲイルが……?」
一歩先も見えない深い霧のなか、底の知れない崖の下へと捜索に向かうのは自殺行為に等しかった。
仮に迂回して谷底へ降りるルートを探すとなれば、それだけで数日は要するだろう。助けに行くべきか、しかし二次災害の危険が高すぎる――隊の足は完全に止まり、現場は混乱に陥っていた。
エリーナの足元では、白銀の小獣ハヌが低く呻きながら、落ち着きなく4本の腕で崖の縁を引っ掻いている。
その小さな瞳は、心配と焦燥に揺れていた。
そんな最悪の状況のなか、隊員たちの間にさらなる動揺が走った。
最後尾の近くにいた何人かの学者や隊員たちが、青ざめた顔で囁き始めたのだ。
「おい……さっきゲイルの旦那、落ちる直前に『死ね』って叫ばなかったか?」
「ああ、私も聞いた。あれは悲鳴じゃなかった……」
「ということは、まさか……ゲイル様がわざとカイを突き落とそうとして、巻き添えになったんじゃ……」
不穏な疑惑は、瞬く間に隊全体へと伝播していった。
これまでの道中、ゲイルがカイに対して執拗に嫌がらせを行い、激しく敵視していた事実は誰もが知っている。
「いくらなんでも、この危険な調査の最中にそんな真似を……」
「いや、平民のポーターに面子を潰され続けて、理性を失ってもおかしくないお人だ」
「もしそれが本当なら、俺たちはそこまでヤバい人と一緒に旅をしてたってことか……!?」
誰からともなく生じた猜疑心が、隊の空気を重く、冷たく蝕んでいく。
エリーナは青ざめた顔で唇を噛み締め、ただ祈るように崖の向こうを見つめることしかできなかった。
隊の統率が根底から崩壊しかけ、最悪の不信感が頂点に達しようとした――その時だった。
ゴオォォォォッ!!!
突然、崖の下から、およそ自然の暴風とは思えない凄まじい風切り音が吹き上がった。
直後、霧を霧散させるようにして、奈落の底から「巨大な影」が猛烈な勢いで跳ね上がってきた。
ドンッ!!!!
大地を揺るがすほどの凄まじい着地音が響き、周囲の霧が吹き飛ぶ。
激しい土煙の向こうから現れたのは、超重量の結晶機材の箱を背負い、片腕に金属鎧の騎士――ゲイルをガッチリと抱きかかえたカイの姿だった。
「な……っ!?」
「う、嘘だろ……!?」
機材は無傷。カイ自身も、擦り傷一つ負っていない。
人間業とは到底思えない、奈落からの生還劇。
呆然と立ち尽くす調査隊の面々の前で、カイは静かにゲイルを地面へと下ろした。
ゲイルは生きているものの、魂を抜かれたようにガタガタと震え、地面に手をついたまま立ち上がることすらできずにいた。




