第9話 奈落の底の歪んだ本音(中編)
「う、うわああああああああっ!? 嫌だ! 死にたくない! 誰か、誰か助けてくれぇぇぇっ!!」
白い霧を切り裂きながら落下していく二人の間に、耳を劈くような叫び声が響き渡る。
ゲイルはエリート騎士としての威厳など微塵もなくかなぐり捨て、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、見苦しく手足をバタつかせていた。
死の恐怖に完全に支配され、狂ったように虚空を掻き毟っている。
金属鎧の擦れ合う不快な音が、風切り音に混じって虚しく響いた。
対するカイは、そんな極限の状況下でも、一言も発さず無言を貫いていた。
結晶機材を背負ったままの落下。
普通ならパニックに陥る状況だが、カイの目は恐ろしいほど冷徹に、そして静かに『下』を見据えていた。
カイは揺れる視界のなかで、崖の壁面から突き出た強靭な大樹の根、そしてせり出している岩棚の存在を正確に捉えた。
その間も、ゲイルは「お父様! エリーナ様ぁ! 助けて、死にたく――」と情けない悲鳴を上げ続けている。
あまりの取り乱しように、カイは落下しながら、ほんのわずかだけ、この男に対して『可哀想に』という奇妙な憐れみを覚えた。
カイは万力のようにゲイルの鎧を掴んでいた右手にグッと力を込めると、空中でゲイルの身体を強引に引き寄せ、片腕でガッチリと抱きかかえた。
「ひ、え……っ!?」
ゲイルが驚愕に目を見開いた瞬間、カイの「着地」が始まった。
まず、壁面から真横に伸びる太い巨木の根へ、自身の足を正確に滑らせる。
ドオォン、と凄まじい衝撃が走るが、カイは膝のバネを極限まで柔軟に使い、クッションのように撓ませて落下のエネルギーを一気に殺した。
バキバキと音を立てて根が折れると同時に、次の岩棚へと身体を躍らせる。
背中の機材と、抱きかかえたゲイルの体重。
合わせて大人三人分を遥かに超える質量がカイの足に襲いかかる。
しかし、カイの膝は壊れなかった。
常人なら一瞬で砕け散るほどの衝撃を、神から祝福された膝で完璧に吸収し、逃がし、制御する。
ズサァァァァッ!!!
激しい土煙を上げながら、二人の身体は谷底の硬い地面へと着地した。
強烈な衝撃の余波で周囲の木々が揺れ、鳥たちが一斉に飛び立つ。
カイはゆっくりとゲイルを地面に下ろすと、ふぅ、と小さく息を吐き、背中の結晶機材の箱を軽く叩いて傷がないかを確かめた。
箱は無事だった。
「ひっ……あ、あ……う……」
地面に転がされたゲイルは、自分がまだ生きていることが信じられないというように、自身の両手を何度も見つめていた。
全身がガタガタと小刻みに震え、腰が完全に抜けて立ち上がることもできないでいた。
自分が殺そうとした男。
その男の、人間離れした技によって命を救われた。
そのあまりにも巨大な矛盾と屈辱の前に、ゲイルの精神は完全に決壊しようとしていた。




