第8話 霧の迷い森と、職人の矜持(前編)
『忘却の旧街道』という荒涼とした岩場をようやく走破した調査隊の前に現れたのは、世界の果てを思わせるほどに深い、未知の樹海であった。
大気はひんやりと冷たく、立ち並ぶ巨木の隙間からは、視界を遮る濃い白霧が絶え間なく溢れ出している。
一歩足を踏み入れれば、数歩先を歩く仲間の背中すら見失いそうになる「霧の迷い森」――それが、一行に立ちはだかる第二の試練だった。
「全員、互いの距離を詰めて歩きなさい! 霧に巻かれてはぐれたら、二度と戻れないわよ!」
エリーナが声を張り上げ、隊を鼓舞する。
旧街道での魔物の強襲を経て、隊の雰囲気は劇的に変わっていた。
学者たちも護衛たちも、文句一つ言わずに足を動かしている。
彼らの視線の先には、相変わらず隊の中で最も巨大な結晶機材の箱を背負い、濃霧の悪路を音もなくスタスタと歩き続けるカイの背中があった。
カイの「運び屋としてのプロの姿勢」が、隊の精神的な支柱となっていたのだ。
しかし、どれほど気力を振り絞ろうとも、視界の効かない森を歩き続けることは、人間の精神を確実に摩耗させていく。
どこを向いても同じ木々と白い霧。
次第に隊員たちの足取りが重くなり、疲労が限界に達しようとしていたその時だった。
「きゅぃっ!」
エリーナの肩に乗っていたハヌが、鋭く鳴いて頭上へと跳ね上がった。
巨木の枝から枝へと白銀の身体を躍らせ、霧の奥へと消えていく。
「あっ、待って、ハヌ! そっちは――」
エリーナが慌てて呼び止めるが、数分もしないうちに、ハヌは霧の向こうからひょっこりと顔を出した。そして「きゅぃ、きゅぃ!」と、まるで「こっちに素晴らしい場所があるぞ」と誘うように、4本の腕を大きく振ったのだ。
「お嬢様、罠かもしれません! あの獣が魔物に操られている可能性も――」
「ハヌがそんなことをするはずがないわ。行きましょう」
ゲイルの言葉を冷たく一蹴し、エリーナはハヌの導く方向へと歩を進めた。
ハヌの後を追って深い霧を切り裂くように進むと、突如として視界が大きく開けた。
「……まぁ……っ」
エリーナが思わず、感嘆の息を漏らした。
そこに広がっていたのは、驚くほど澄んだ水を湛えた、神秘的で静かな湖だった。
周囲の濃霧が嘘のように、湖の周囲だけは穏やかな光が差し込んでおり、鏡のような水面が静かに輝いている。
どこか神聖さすら感じさせるその場所は、連日の強行軍で疲れ果てた調査隊にとって、天から与えられた最高の休息地であった。
「よし、今夜はここで野営とするわ!」
エリーナの安堵に満ちた号令が響き、隊員たちは一斉に荷物を下ろして、一時の心休まる憩いの時間を迎えようとしていた。




