第5話 未知への随行者(後編)
「……コホン。取り乱して悪かったわ」
エリーナはハヌに伸ばしていた手を名残惜しそうに引っ込めると、きゅっと口元を引き締めて佇まいを正した。調査隊の責任者としてのプライドが、いつまでも子猿に鼻の下を伸ばしていることを許さなかったらしい。
だが次の瞬間、彼女はハヌの「4本の腕」をじっと見つめ、ハッと表情を険しくした。
「……ちょっと待ちなさい。この子、白銀の毛並みに4本の腕なんて、あまりにも目立ちすぎるわ。神話の幻獣だと知られたら、不届きな密猟者やよからぬ研究者に目をつけられて、あなたもこの子も命が危ないわよ?」
「あー……確かに、この街に来る途中も少し目立ってたな。何かで隠したほうがいいかな?」
カイが首を傾げると、エリーナは溜息をつき、自分の首元に上品に巻かれていた、お気に入りの鮮やかな赤いストールに手をかけた。
彼女はそれを躊躇うことなく外すと、小さく折り畳み、ハヌの首元へと優しく巻き付けた。
肩から生えている上側の2本の腕を包み込むようにして、胸元で綺麗に結び目を固定する。
正面から見れば、まるで赤いマントをオシャレに着込んでいる可愛い普通の子猿にしか見えなくなった。
残った下側の2本の腕だけを動かしていれば、誰もこれが伝説の4本腕の幻獣だとは気づかない。
「よし、これで完璧よ。このストールはあなたにあげるわ。……ふふ、とっても似合ってる。可愛い正義の味方みたいね」
エリーナがハヌの頭を優しく撫でると、ハヌも新しい赤い襟巻きが気に入ったのか、嬉しそうに「きゅーぃ!」と鳴いてみせた。
「助かる。ありがとう」
カイが短く率直に感謝を述べると、エリーナは少し照れくさそうに顔をそむけた。
「……さあ、あなたの実力を見せてもらうわ。カイ、そこにある木箱を持ち上げてみて」
エリーナが指し示したのは、鉄の帯で厳重に補強された長方形の大きな木箱だった。中には繊細な結晶魔導具や発掘用の特殊な道具が詰まっており、大人二人がかりでようやく持ち上がるほどの重量がある。
「これだな。了解した」
カイは一歩前に進み出ると、腰を落として木箱の取っ手を掴んだ。
呼吸を整え、両膝へと意識を集中させる。
膝の神の祝福を受けた彼の脚に、爆発的なバネが宿る。
「……ふんっ!」
短い呼気と共に、カイは何の気負いもなく、その重厚な木箱をひょいと持ち上げた。
持ち上げる瞬間に上半身が全くブレず、荷物に一切の衝撃が加わらない。
そのまま木箱を肩に担ぎ上げても、カイの足元は吸い付くように地面を捉えて微動だにしない。
「な……っ!?」
それを見ていた周囲の調査員たちが一斉に目を見張った。
エリーナもまた、驚きに小さく息を呑む。彼女の観察眼は、カイが精密極まる重心移動によって荷物を完全に制御していることを見抜いていた。
「どうだ? どんな悪路だろうが、箱の中身を傷つけずに運んでみせる」
「……素晴らしいわ。あなた、ただのポーターにしておくには惜しいわね。これ以上の適任者はいないわ」
エリーナは感心したように深く頷くと、フッと不敵な笑みを浮かべた。
「いいでしょう。カイ、あなたを今回の遺跡調査のポーターとして正式に雇うわ。報酬はギルドの提示額通り。……ただし、私たちの目的地は生半可な場所じゃないわよ。私たちが向かうのは、ここから数日進んだ先にある未開の渓谷――通称『神捨ての遺構』。神話の時代に忘れ去られた、古の神々の痕跡が眠るとされる古代遺跡よ。当然整備されている道なんてないわ。危険な魔生物も出てくるけれど覚悟はいいかしら?」
「神捨ての遺構……」
その言葉を聞いた瞬間、カイの右膝がかすかに熱を帯びた気がした。
膝の神の祝福。
忘れられた古の神。
その謎に近づく今回の遺跡調査は、カイ自身の運命にとっても大きな意味を持つものになりそうだった。
「分かった。ただ、戦闘は任せる。荷物は絶対に無傷で届けることを誓おう」
「ふふ、頼もしいことね。出発は明日の朝よ。遅れないようにね」
エリーナが満足そうに告げると、赤いストールを揺らしながら、ハヌが「きゅぃ!」と元気よく鳴いた。
手堅く稼ぐための仕事探しから一転、伝説の幻獣ハヌマンの正体が明かされ、その身を隠す赤いストールを譲り受けたカイたち。
大富豪の令嬢にして、圧倒的な知識を持つエリーナと共に、古の神々の謎へと向かう運び屋の新たな激走が、いよいよ明日から始まろうとしていた。




