第10話 ゼリガの勘違い
クスマとふゆこは、宿屋の赤い絨毯が敷かれた長い廊下を、前後に並んで歩いていた。
柔らかな壁掛けランプが暖かな黄色の光を放ち、廊下の薄暗さを払拭していた。
先ほどのハクヤとセイラによる張り詰めた空気は、あの滑稽な「ミカン風呂」騒動ですっかり雲散霧消していた。
ふゆこの顔の陰りはまだ完全には晴れていなかったが、少なくとも口元はもう強張っておらず、微かな笑みさえ浮かべていた。
「師匠……」
後ろを歩いていたふゆこが、ふと足を止めた。
クスマの心臓が跳ね上がり、背筋が一瞬で凍りついた。
(やばい!絶対にさっきの転倒について聞かれる!まさか失敗だったってバレたか?師匠の威厳が地に落ちるのか?)
彼の脳はフル回転し、あの無様な事故をどうやって「深遠なる修行」として強引にこじつけようかと必死に考えていた時、ふゆこの澄んだ、真摯な声が、優しく響いてきた。
「ありがとうございました」
「え?」クスマが用意していた出まかせは喉の奥に詰まった。
彼は振り返った。
ふゆこの顔には、疑いの色は微塵も見られなかった。彼女はただ静かに廊下の暖かな光の下に立ち、両翼で服の裾をぎゅっと握りしめ、少し照れくさそうにうつむいていた。
「実は……さっき師匠に立ち直ると約束しましたが、心の中ではまだ怖くて、足もずっと震えていたんです……師匠に情けないと思われたくなくて、ずっと強がっていました」
そう言うと、彼女はふと顔を上げ、クスマを真っ直ぐに見つめた。
いつも怯えが浮かんでいたその瞳は、今、かつてないほどの輝きを放っており、頬は興奮で深い紅潮を帯びていた。
「でも、私が一番張り詰めていた時、師匠は……ご自身のイメージを犠牲にしてまで、あんな……あんな面白い方法で、私に恐怖を忘れさせてくださいました」
クスマ:「……」(いや、あの……実はただ踏んだだけで……)
「分かっています」ふゆこは一歩前に踏み出した。その揺るぎない眼差しは、クスマには眩しすぎるほどだった。
「師匠のように強い方が、本当に転ぶはずがありません。きっと私の強がりを見抜いて、リラックスさせるために、わざと……わざとあんなことをしてくださったんですよね?」
そこまで言うと、ふゆこの目元は感動で再び涙に潤んだ。
「生まれてこの方、私を笑わせるために、ここまでしてくださった方は初めてです。ありがとうございます……師匠、あなたは私が出会った中で、一番優しい強者です」
クスマは口を開けたまま、ふゆこの憧れに満ちた眼差しを見て、結局何も言えなかった。
(この誤解……ちょっと重すぎないか……)
最後には、彼は心の奥底で音のない悲鳴を上げ、ぎこちなく背を向け、ふゆこに背を向けたまま翼を振った。
彼は極めてやましい、しかし深遠を装わざるを得ない溜息をついた。
「……フン、バレたか。おしゃべりな奴め」
「はい!この優しさは胸に刻んでおきます!」
ふゆこは力強く頷き、目尻の涙を拭うと、照れくさそうな笑顔を見せた。
続いて、彼女は軽く鼻をすすり、高ぶる感情を一生懸命静めると、素直に言った。
「おやすみなさい、師匠!良い夢を!」
言い終わると、彼女はドアの前でクスマに深々とお辞儀をし、すぐに部屋に入っていった。
「カチャリ」
ドアが閉まった瞬間、クスマのピンと張っていた背筋が、一気に崩れ落ちた。
彼は空気が抜けたボールのように、力なく一歩後ずさり、廊下の壁に背中を預け、そのままズルズルと地面に座り込み、無様に荒い息を吐いた。
(助けてくれ……戦闘より疲れる……)
(俺はただ盛大にズッコケて無様を晒しただけなのに、なんであの子の目には聖人に見えるんだ?!フィルターかかりすぎだろ!)
彼は額の冷や汗を拭い、重い足取りを引きずりながら、複雑な心境で廊下の突き当たりにある部屋へと向かった。
クスマが廊下の角を曲がりながら、明日どうやってふゆこに顔を合わせようかと頭を悩ませていた時……
清掃員のおばさんの愚痴が、角の窓辺から幽霊のように聞こえてきた。
「まったくもう、またバナナの皮だよ!あの若様が出て行ってくれて良かったよ。前は窓の外の花棚を掃除するたびに、いっつもバナナの皮が山ほど出てきたんだから!ちゃんとゴミ箱に捨てられないのかねぇ!お金持ちはこれだからマナーがなってないんだ!誰か転んで死んだらどうするんだ!」
(……バナナの皮?)
(……あの若様?)
クスマの足がぴたりと止まり、金縛りにあったように、その場で全身が硬直した。
脳裏に稲妻が走り、全ての破片が瞬時に繋がった。
宿屋の窓、外の花棚、そして足の裏のあの致命的に滑る感触……
そして、先ほどの傲慢で、頭に「バナナ」の共生植物が生えていたドラ息子!
「……」
クスマの瞳孔が揺れた。
彼は一瞬で理解した。
あの悲惨な転倒は、事故でも何でもなく、あのドラ息子が無造作に投げ捨てた「バナナの皮」を踏んだだけだったのだ!
クスマの顔色は、青くなったり白くなったりし、頭のもやしまで怒りでくるくると巻いてしまった。
(あのバナナ野郎――!)
かつてない屈辱感が湧き上がってきた。
自分の知能と尊厳が、あの一本のバナナの皮に、無残にも辱められたように感じた……
─ (•ө•) ─
クスマは考えれば考えるほど腹が立ち、その場で両足を激しく踏み鳴らした。まるでその忌々しいバナナの皮を踏みつけているかのように。
その後、彼は憤然と背を向け、重い足取りで「ドンドン」と音を立てて自分の部屋へと殺到し、走りながら叫んだ。
「腹立つーー!」
その勢いのまま、彼は足を上げ、ドアを思い切り蹴り開けた!
今はただベッドに身を投げ出し、枕に顔を埋めて、このやり場のない羞恥を大声で叫んで発散させたかった。
「バン!」
ドアが壁にぶつかり、轟音を立てた。
しかし、部屋の中の光景に、彼はその場で戸口に凍り付き、蹴り上げた足を戻すのも忘れていた。
本来なら誰もいないはずの部屋に、ゼリガがふてぶてしく彼のベッドに斜めに寝転がっていたのだ。
彼は片方の翼で頬杖をつき、気だるげな様子で、もう片方の翼で半分かじったリンゴを放り投げて遊んでおり、顔には「よう、帰ったか?全部見てたぞ」と言わんばかりの、殴りたくなるような表情を浮かべていた。
(こ、このオッサンなんでここにいんだよ?!いつ入って来たんだ?!)
クスマが疑念を抱き、口を開いて問い質そうとした時――
ゼリガが先に動いた。
彼は翼を伸ばし、窓の外の下の方を指し示し、その口調には意外にもいくらかの信じがたい驚嘆と称賛が含まれていた。
「小僧、大したもんだな」
ゼリガは首を振って感心しながら、「シャリシャリ」と二、三口で残りの果肉をきれいに平らげた。
「お前さんが正直すぎて、王都で損をするんじゃないかと心配してたんだがな。まさかまさか」
ゼリガは首を振って感慨深げにしていたが、その微かに上がった口角からは、明らかにからかいの色が見て取れた。
「お前がいつも口にしてるその『忍術』が、これほどまでに深遠な境地に達していたとはな?」
「???」
ゼリガは彼が呆然としているのを見て、まだとぼけているのだと思い、思わず笑った。
彼はいっそベッドから起き上がり、翼の中のきれいに食べ終わったリンゴの芯を、隅のゴミ箱に正確に放り込んだ。
彼は大袈裟に両翼を広げ、無防備な「大の字」を作り、先ほどのクスマの制御不能な落下の無様な姿を完璧に再現してみせた。
続いて、上半身をそのまま後ろに倒し、柔らかいマットレスの上に重く倒れ込み、極めてリアルな効果音をつけた。
「ヒューン――ベチャッ!」
「不注意を装ってミカンの中に落ち、自分を間抜けに見せかけて……」
続いて、ゼリガは勢いよく起き上がり、座り直して顎を撫で、もっともらしく分析した。
「この手は高明だ。わざと隙を見せ、その無様な姿を利用して同情を買い、相手の警戒心を瞬時に解き、異性との距離を縮める……」
そこまで言うと、彼は突然太ももを叩き、合点がいったような様子を見せた。
「これこそ伝説の――『忍術・お涙頂戴の術』だろう!やるな!見事な手だ!俺でも思いつかなかったぞ!」
そう言うと、彼はもう我慢できず、腹を抱えて爆笑し、涙が出るほど笑い転げた。
クスマ:「……」
─ (•ө•) ─
この傍若無人な笑い声を聞き、クスマの額に青筋が浮かんだ。
彼は深呼吸をし、口を開いて先ほどの自分の「ミス」について弁解しようとしたが、ゼリガは翼を振り、口を挟む隙を与えなかった。
彼は笑って出た涙を拭い、新大陸を発見したかのように、興奮気味に続けた。
「しかも、王都に来た初日で、あんなに一途な女の子をもう子分にしてるじゃないか!」
続いてゼリガは彼にウインクをし、意味深な笑みを浮かべた。
「お前の親父は前、お前みたいな『朴念仁』じゃ将来嫁も貰えないんじゃないかって、いつも俺に愚痴ってたが……」
ゼリガは笑いすぎて痛くなった腹をさすり、クスマを指差して感心したように言った。
「今見りゃ、取り越し苦労だったな!お前のどこが朴念仁だ?その手腕、その計算高さ、とんだ隠れ女たらしの鬼才じゃないか!」
クスマを見る目には、先達としての欣快さが満ちていた。
しかし、笑い声が止むにつれ――
ゼリガの目底の笑意は徐々に消えていった。
あの遊び人めいた戯れの雰囲気が消え、代わりに、年長者特有の、珍しく真剣な表情が現れた。
「冗談はさておき、一つ忠告しておいてやる」
彼は声を潜め、沈んだ眼差しでクスマを見つめた。
「お前のあの小弟子、ただ者じゃないぞ。あの子は星の山脈の、あの由緒正しくて厄介な一族の出身だ。まあ、爪弾きにされた厄介者らしいが……一族の背景がある以上、闇は深いぞ」
(星の山脈?厄介な一族?)
この突然の情報に、クスマは少し呆気にとられた。
(ふゆこは一族から排斥された厄介者だったのか?)
(どうりで彼女はいつもあんなに自信がないわけだ……あの「銀色のクソ野郎」が彼女を見る目が、まるで重荷を見るようだったのも納得がいく)
クスマが考え込んでいる様子を見て、ゼリガは突然彼の肩を叩いた。
「小僧、よく聞け。ああいう極度に安心感が欠けてて、承認を渇望してる女の子を相手にする時はな――」
そう言うと、ゼリガは突然神秘的にクスマの耳元に顔を寄せ、声を潜め、生涯の奥義を伝授するかのような厳かな口調で、一言一言区切って言った。
「……甘いものを、たっぷり食わせろ!それも――とびきり甘いやつだ!」
クスマは完全に固まった。
(……は?)
一秒前まで重い一族の背景を語っていたのに、次の瞬間にはスイーツ攻略法に変わっている。この落差に、クスマの脳はフリーズし、このオッサンの飛躍したリズムに全くついていけなかった。
ゼリガはその「呆然」を、先輩への「崇拝」だと受け取った。
彼は得意げに胸を張り、顔には「経験者」としての自信と優越感が書いてあった。
「覚えとけ!」
ゼリガは力強くクスマの背中を叩き、彼をよろめかせた。
「女の心を掴むには、まず胃袋を掴むんだ!甘いものは幸せをもたらし、幸せは好感度に変わる!これはオッサンが数々の血と涙と引き換えに得た真理だ!」
続いて彼はクスマの懐の財布を指し示し、心を込めて言った。
「お前の親父がくれた小遣い、大事に、ここぞという時に使えよ!役にも立たない忍具なんて買うな、ケーキを買え!フルーツ飴を買え!女の子が見たらすぐに好きになるような、可愛らしいお菓子を買うんだ!」
言い終わると、ゼリガは颯爽と振り返ってドアを押し、その動きは流れるようで、一切の無駄がなかった。
ドアを閉める前、彼は振り返ることも忘れず、クスマに「見込みがある」といった称賛の眼差しを投げかけ、付け加えた。
「忘れるなよ、甘いやつだ!甘ければ甘いほどいい!!」
「バン。」
ドアが閉まった。
部屋には、頭の中が疑問符で一杯のクスマと、あの「忘れるなよ、甘いやつだ!甘ければ甘いほどいい!!」という余韻だけが、静寂な空気の中にいつまでも残っていた。
クスマはその閉ざされたドアに向かって、その場で全身を硬直させ、口元を二度ほど引きつらせた。
最後には、たっぷり半拍置いてから、ようやく一言絞り出した。
「……このオッサン、一体何しに来たんだ?わざわざ「女の落とし方」を教えに来ただけなのかよ!?」




