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古狸と小龍 

 天文十六年(1548年)七月(六歳) 


生実の平野で轟いた雷鳴は、瞬く間に関東全土へと響き渡った。  

特に、その衝撃を最も鋭敏に感じ取ったのは、相模国小田原城の主、北条氏康であった。


「……たったの五十六人だと?!ばかな!」  氏康は、風魔忍びがもたらした報告書を何度も見返した。  

里見軍四千に対し、千葉軍四千。兵数は互角。だが、結果は一方的な勝利。

里見の死傷者が二千を超えるのに対し、千葉側の死者はわずか五十六名。 負傷者を入れても二百名程度という。

「誤報ではあるまいな」

「はっ。現地に潜入した風魔の手の者による確かな情報にございます。千葉は『種子島』を数百丁揃え、さらに長槍を用いた集団戦法で里見を圧倒したとのこと・・・」  

報告を聞く氏康の眉間に、深い皺が刻まれた。  

同盟国である千葉家が勝ったことは慶事だ。だが、その勝ち方が異常すぎる。

「六歳でこれか……どうやら神童ではなく化け物が産まれたか」  

これまで千葉家は、北条にとって都合の良い準臣下であり、従順なパートナーに過ぎなかった。

だが、この圧倒的な武力と、それを支える経済力を持つ事になるとなれば話は別だ。放置すれば、いずれ北条の喉元に牙を突き立てる猛獣となりかねない。 「……釘を刺さねばならん。いや、今のうちに取り込むか」  氏康は視線を巡らせ、一人の臣下に止めた。


北条幻庵宗哲(ほうじょう げんあん そうてつ)。北条早雲の三男であり、一族の長老にして随一の教養人、そして外交の古狸。

「叔父上は如何思われますかな?」

「左様、脅しをかけるのは下策にございますな。婚姻にて取り込むがよろしかろうと思われまする。当家には千葉民部丸殿と釣り合いの取れる姫は居りますゆえ」

「明(はる)の事だな。うむ・・・・されば叔父上、再度の千葉への使者の任、頼めますか?」  

「御意。……かの童、中々に侮れませなんだが、今一度赴き、説き伏せて参りましょう」


 数日後、千葉家の本拠・本佐倉城に、北条幻庵の来訪を告げる先触れの使者が到着した。  

俺はこれを丁重に受け入れ、会談の場を設ける事にした。


 本佐倉城、大広間。  

冬の透き通るような日差しが、畳の上に落ちていた。  

上座には俺、千葉親胤。その傍らには原胤清と高城胤吉、白井浄三が控える。対する下座には、質素だが仕立ての良い僧衣を纏った老人、北条幻庵が座していた。

そして下座を囲むように千葉家の重臣、譜代の家臣が居並ぶ。


 幻庵は、相変わらず穏やかな好々爺の笑みを浮かべていたが、その眼光は鋭く親胤を観察していた。 (……見た目は愛らしい童(わらべ)。だがやはり、纏う気配が違う。隙がないというか、妙に場慣れしておる) 幻庵はまず、里見戦の勝利を祝う口上を述べた。 「此度の里見撃退、誠にお見事。相模のわが主、左京太夫氏康も『千葉殿の武勇、関東に響き渡らん』と喜んでおりましたぞ」

幻庵め、何を企んでいるやら・・・・さてじっくりと聞いてやろうじゃないか。

「過分なお言葉、痛み入ります。幻庵殿にわざわざ足をお運びいただくとは、千葉家にとって誉れにござる」


 一通りの挨拶が済むと、幻庵は茶を一口啜り、本題を切り出した。 「さて、親胤殿。単刀直入に申し上げますが、わが主は貴殿を高く評価しております。そこで、両家の絆をより盤石なものと致したく、ある提案がございます」

それ来た 「……絆、と申されると?」

「左様。当家には、貴殿と同じ七歳の娘がおりまする。……いかがでしょう、この姫を貴殿の正室として迎え入れ、北条と千葉、血の盟約を結んでは」  広間の空気が張り詰めた。  

戦国における婚姻、特に大国から小国への嫁入りは、小国にとっては大国への実質的な従属、あるいは取り込みを意味することが多い。北条の軍門に下れ、という遠回しな要求である。  

原胤清がわずかに顔を強張らせたが、俺はわざと表情を変えなかった(来たか。政略結婚。……想定していたが、こちらを安く買われては困る)。

 俺は静かに茶碗を置いた。 「左京太夫様の姫君を……それは光栄なお話。幻庵殿、婚姻を結ぶとなれば、我が家は北条家の『親族』となりますな」

「無論でございます」

「親族なれば、互いの家の繁栄を助け合うのが道理。……そこで、我らからも条々(条件)がございます」  俺の言葉に、幻庵の眉がピクリと動いた。 「条々……と?」

「いかにも。我ら千葉家は、此度の戦で下総における優位を確立しました。ついては、今後我らが上総、安房を切り従える際、北条家には一切の干渉をご無用願いたい」

「……ふむ。里見を抑える役目を千葉殿が担うと? それは北条としても異存はありませぬ」幻庵は頷いた。里見との泥沼の戦いを千葉が肩代わりしてくれるなら、北条は北に集中できると考えているだろう。  

だが、俺の次の一言が、幻庵の表情を変えた。


「それと、もう一つ。里見を降した暁には……関宿城とそれに通ずる利根川下流域、結城、これらの切り取り次第を認めていただきたい」


 幻庵の目が大きく見開かれた。 「……なっ!? 関宿と結城を、と申されるか?」  

関宿城は、常陸、下総、武蔵の全てと境を接する要衝であり、関東北部支配の要石。

しかも城主の梁田氏は古河公方と関係も深い国人領主だ。

ここは北条としても喉から手が出るほど欲しい重要拠点のはず。

そして結城も同じく古河公方と関係も深い国人領主であるので、これを許せば古河公方をほぼ正面から敵に回すことになる。

「千葉殿、それは過ぎたる望みというもの。関宿は北武蔵と接する要所。また結城も古河公方様との関係もございますれば、それを千葉領とするなど……」

「過ぎてはおりませぬ」  俺は言葉を遮り、身を乗り出した。

「まずはお聞き下され、幻庵殿。北条家が目指すは関東の覇権、しかしながら古河公方様はことごとく邪魔立てを致してはおりませぬか?左京太夫殿もお困りでしょう……違いますかな?」

「……いかにも」

「某が見るに、古河公方様は・・・将軍家に連なる足利家は近隣に強大な大名家があるのを許すことが出来ない性分ではないかと見ております。これまでの関東での有様、また都での有様などが物語っておりまする。ゆえに我らが関宿や結城を押さえれば、古河公方家を圧迫できるでしょう。また、下総と武蔵一帯の水運はつながり、自由に商いをしている北条と千葉に莫大な富を生みまする。そして北条家は東を気にせず北武蔵、そして上野を攻め獲る事が出来る。……これはご当家にとっても、利のあることではございませぬか?」

「・・・口では何とでも言えますな。そも数年で里見を降す事など出来ようか」幻庵の声色が低くなった。こちらを試すような表情だ。

「それに関宿、結城を落とし、維持する力。それが今の千葉にあるとお思いか? 里見を一度退けた程度で、そのような誇大な話を語るには早計」

「力が足りぬ、と?」

「左様。北条の傘下に入れば、その力も貸せましょうが……対等な同盟を望むなら、それ相応の『証』を見せていただかねば」  幻庵は、無言の圧力を放った。

さすがは後北条氏を支える重鎮の威圧感。気の弱い者なら萎縮して言葉を失うだろう。  

だが、俺はニヤリと笑った。いいだろう、お前の肝を冷やしてやるよ。覚悟することだな。

「よろしいでしょう。……証をお見せいたします。浄三、準備を」 「はっ」


 場所は変わり、城外の練兵場。  

俺と幻庵、そして両家の重臣たちが並ぶ前で、千葉家の常備軍二千が整列していた。 「あれは……」  幻庵は息を呑んだ。  兵たちは全員が同じ具足を着け、同じ長さの槍を持ち、微動だにしない。その静止した姿だけで、練度の高さが知れた。 「始めよ」  浄三の合図とともに、太鼓が鳴り響く。


 ドン、ドン、ドン。  地響きのような足音が揃う。応っっ!!!二千人の腹の底から響くような大きな掛け声が発せられ、槍衾(やりぶすま)が一斉に下ろされ、壁となって前進する。

「回れ右!」俺が新たに作らせた簡易メガホンを通じて指揮官が命じる号令一下、二千の兵が一瞬で反転する。乱れは一切ない。 「……見事な統率だ。だが、これだけでは……」  幻庵が言いかけた時、前列の槍隊が左右に割れ、後方から五百の鉄砲隊が走り出て三列に整列した。


「構えッ!」  一斉に筒先が並ぶ。  標的は、百メートル先に立てられた竹束と木製の盾。 「放てッ!」ダダダーン!!!

 ――轟音。

 幻庵の鼓膜が震えた。一列目の百五十の鉄砲が一斉に火を噴き、標的の竹束が粉々に砕け散る。  

だが、真の驚きはそこからだった。  撃った兵が下がり、次の列の同数の鉄砲兵が撃つ。その流れるようなローテーション。絶え間ない銃声。 「な……なんという……」  幻庵は言葉を失った。  

幻庵が知る種子島は単発でしか撃てず、次弾装てんに時間がかかる為、威嚇や初手の一撃に使われるものだ。だが、これは違う。  

これは「弾幕」だ。この正面に立てば、どんな精鋭も、北条自慢の黄備えの騎馬隊さえも、近づくことすらできずに蜂の巣になるだろう。

「さらに、ご覧あれ」  俺が指差す先で、鉄砲隊が下がり、再び長槍隊が前進する。  

硝煙で視界が悪い中、敵が混乱した隙を突いて槍の壁が押し潰す。鉄砲と長槍の有機的な連携。    幻庵の脳裏に、自軍がこの千葉軍と戦うシミュレーションが走った。  勝てるか?  いや、勝てたとしても、北条側の損害は甚大なものになる。数千の精兵を失うだろう。そんな損害を出せば、背後から今川や武田に食われる。


(……何が起こっているのだ?あり得ぬ。この童は、戦の理(ことわり)を変えるつもりか?いや既に変えてしまったのか・・・・)  幻庵の額に、冷や汗が流れた。  

敵に回るとなれば大きすぎる脅威である。だが同時に、これほど頼もしい「壁」はない。  もし、この軍勢が北条の味方となり、東関東を固めてくれるなら……北条は西、北への拡大に全力を注げる。


 演習が終わると、静寂が戻った。  

幻庵は深呼吸をして、俺に向き直った。その顔からは、先ほどの試すような色は消え、ようやく隣国の君主に対する敬意が浮かんできたように見える。

「……参りましたな。我が目が節穴でございました」  幻庵は深々と頭を下げた。

「関宿、結城の件、及び房総の切り取り次第……この幻庵、責任を持ってわが主を説得いたしましょう」

「ご理解いただき、感謝いたします」

「その代わり……」  幻庵は鋭い目をした。

「古河公方様への対応、並びに今川や武田との戦において、千葉家は北条と一蓮托生となっていただきますぞ」

「もとより望むところ。お互いの背中を預ける……そのための『絆』でありましょう?」  俺はニッコリと微笑んでやった。


 こうして、会談は成立した。  

北条と千葉は、主従ではなく、新たに強固な軍事同盟として手を結ぶこととなった。  

その証として、北条氏康の三女・明(後の尾崎殿)と、俺の婚約が正式に決定した。  

互いに六歳。祝言は数年後となるが、この婚約は関東諸国に対し、「北条と千葉は盟友である」という強烈なメッセージとなった。


 その夜、歓迎の宴の席で、幻庵は俺に尋ねた。 「しかし、親胤殿。あの鉄砲の数……硝石の入手にはさぞ苦労されたでしょう」  輸入品である硝石は値が高い。五百丁分以上の種子島が何発も連射し続けるための火薬を維持するなど、北条家でさえ容易ではない。

 俺は悪戯っぽく笑ってやった。

「そうですな、確かに高価ではありますが、金子を積めば手に入るものですからな。領内を富ませて銭を稼げばいくらでも手に入りますぞ」 「なるほど・・・・」  幻庵はその金を稼ぐ手段を、手の内を確認したかったが、それ以上は聞けなかった。

はぐらかされているようでもあり、この底知れぬ少年の手の内を全て知ることは中々に困難だと悟ったからだ。


「そういえば、幻庵殿。上野の動きですが……」

「うむ。山内上杉勢……衰退した彼らは力を失い申した。配下の長野家は精強ですが、所詮はいち国人。越後に繋ぎをつけようとしておるようじゃが、どうやら武田が上野を狙っている節があり申す」

「甲斐の武田、ですか」  

「……左様、彼らは上野を虎視眈々と狙うている。我らが近いうちに攻め入る予定じゃが、先を越される可能性もありますな。それかわが領に攻め入って来る可能性も捨てられませぬ」

「ご安心召されよ。いざとなれば、我が軍がその横っ腹を食い破りに行きましょう」

「それは心強い限りですな。是非ともそう願いたい。わっはっはっは!」


 老練な外交官と、六歳の怪童。  二人の密談は夜更けまで続いた。    

翌日、幻庵は小田原への帰路についた。

その足取りは重かったが、同時に晴れやかでもあった (恐ろしい童よ。だが、彼の者が味方である限り、東は憂いが無いと見た。……新九郎殿に伝えねばな。下総の神童はまぎれもなく小龍であったと)。


 一方、俺は城壁から幻庵の行列を見送っていた。 「これで西の憂いは消えた。……さて次は」  

俺の視線は、江戸川の河口、そしてその先にある広大な北関東平野へと向けられていた。  


 国内の再開発、流通網の整備。  やるべきことは山積みだ。

「忙しくなるぞ、皆のもの。心して励むのだ」

「はっ、どこまでもお供つかまつります!」

胤清が代表してそう告げると皆一斉に頭を下げた。

こういうシチュエーションにはまだ慣れないな。

俺はやはり現代人なのだろうな・・・。

お読み下さり有難うございます。

初投稿の素人ですので、稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。

生暖かい目で見てくださると幸いでございます。

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