↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/33

帰参と調略

天文十六年(1548年)10月(七歳)


 下総の風は、かつての閉塞感を吹き飛ばすように吹き抜けていた。

民部丸は体格こそ年相応の幼子であるが、その瞳に宿る知性と冷徹なまでの判断力は、もはや家臣たちの間では「神童」「生ける八幡」とまで噂されるようになっていた。


 さらに軍事だけではなく、内政においても優れた手腕を発揮しており、技術革新なども飛躍的に進歩させており銅銭などから銀を生み出しているなどの話も聞こえていた。

灰吹き法を使っているのだが、これは徹底的に秘匿されていたので、妖術ではないかと噂する者もいたのであった。


 民部丸の威信を直接決定づけたのは、先日の里見義堯による侵攻に対する見事な迎撃戦である。

民部丸は、新兵器の種子島を使って敵を散々に蹴散らし、仕上げに円城寺虎常らが率いる精鋭たちが一撃で粉砕した。圧勝だった。


 この軍は民部丸の発案により組織された常備兵で、調練も民部丸の指示した内容で行われており練度と連携が非常に高く、関東随一の精兵と言われている。

この戦勝の報は、本佐倉城の城下にある屋敷に謹慎していた胤富の耳にも、否応なしに届いていた。


「……わしは、なんと愚かなことをしていたのか」


 粗末な居室で胤富は頭を抱えながら独りごちた。

かつては「幼子に何ができる」と嘲笑した甥が、さっそく強大な里見を退け、領民から熱狂的な支持を集め、家中を一枚岩にまとめ上げている。

耳に入ってくるのは、民部丸の善政を称える声と、その経済政策によって潤う領民たちの笑い声ばかり。かつて自分に従っていた家臣たちでさえ、今では民部丸の忠実な手足として働いている。


胤富は、自らの野心が、どれほど愚かな妄想であったかをようやく理解した。

それと同時に、甥に対する強烈な畏怖と、血を分けた親族であるはずが、つまらぬ反抗心からこのまま何も成せずに日々を過ごすことへの焦燥が募った。


実の母親である金田殿は出家して城下の勝胤寺に身を寄せているが、未だに民部丸を罵るような事をしていると言う。

実家の上総勝見城(千葉県睦沢町)の金田氏はとっくの昔に逃散して一部は三河へ移ったとの噂が立っているというのに、元気なものだ。


「一度、直接……謝罪をせねば」


胤富は覚悟を決めた。謹慎の身であるため、書状を認め見張りの者に託して拝謁の許しを願ったところ許可が出て、彼は単身、民部丸が執務を行う広間へと向かった。


広間に通された胤富叔父は、俺の前に膝をつき、深々と額を畳にすりつけた。

「民部丸殿……いや、殿。この胤富、己の浅慮、亡き兄上への不敬、そして殿への謀叛の罪。すべて認め、ここに謝罪に参った」


静寂が広間を包む。俺は、手元で広げていた領国経営の報告書から目を外して顔を上げた。

中々複雑な問題の精査をしていたので、眉間に皺が寄っていたかも知れないし、少し厳しい目つきをしているかも知れない。


「叔父上?……今になって・・・命乞いでしょうか?」


「いいえ」胤富叔父は顔を上げ、頭を振りきっぱりと言い切った。

「ただ、殿が作り上げようとしているこの『黄金の千葉』、その一端を、この目で確かめ、己の浅慮を恥と思うばかり。わしの首が必要ならば、いつでも差し上げまする・・・・されど、お許しを頂けるのならば、この胤富、残りの人生をすべて殿のために捧げたいと思うておりまする」


「俺は叔父上の首を欲してなどおりませぬ・・・」


「であれば、何卒伏してお願い致しまする」

胤富は手をついて深く頭を下げた。


 俺はしばし考えた。これは悪い流れではない。

むしろ一門衆が従ってくれるのなら、これほど良い事はない。

俺にはただでさえ本家の親族が少ないのだ。少しでも身内らしい者で固めるのもこの時代の戦略だ。


「なるほど……叔父上も、この千葉家の行く末を想っていてくださったこと、よう分かりましたぞ」


俺は立ち上がり、胤富叔父の前に歩み寄った。


「これまでのふるまい、不問に付し許免致しまする。ただし・・・その身、これからは千葉家のために骨の髄まで使っていただきますぞ、胤富叔父上」

俺は微笑みながら胤富叔父の肩をつかんで正面からその顔を見据えた。

胤富叔父の目の色に涙が浮かび、だんだんと輝きが生まれて来るように見えた。


「……ははっ!ありがたき幸せ!」

胤富の目から、熱いものがこぼれ落ちた。


 その後、胤富を許し出仕させることを発表し、しばらくしてから「政所主事」に任命した。

行政役人の長という重責である。

胤富はかつての傲慢さを完全に捨て去り、かつて自らが嘲笑った「民部丸の千葉流の政治」を誰よりも深く学び、それを実務の現場で徹底していくのであった。


 領内の検地、税制の適正化、そして新田開発の調整。

持ち前の教養と真摯な働きぶりを発揮することで、千葉家の行政機能は劇的に改善されていく。

かつての野心家は、今や甥である俺の内政補佐役として、千葉家の発展を裏から支える太い柱のうちの一本となったのである。

そして一門衆かつ重臣として千葉家の評定に参加する顔ぶれの一人となった。


窓の外では、豊穣を約束する初夏の光が、どこまでも伸びゆく下総の大地を照らしている。



 時は過ぎ―――天文十七年(1549年)三月(7歳)。  

交易の要とするための「銚子湊」大拡張の普請を行うよう命じ、予算も付けた。

これがうまく行けば南蛮船を呼び込み、南蛮交易が始まり飛躍的に富が増大するだろう。

早めに諸国の特産品を仕入れるルートを開発しておく必要がある。


北条との同盟という巨大な後ろ盾を得た俺は、ついに南房総への浸透を開始した。

 無駄な犠牲を出す前に、まずは懐柔政策を行って無駄な血を流さずにこちらへ寝返らせる。


 千葉領内では、質の高い銭が流通し、関所が撤廃され、物資が滑らかに流れており、その豊かさは、境界を接する上総の国人たちの心を強烈に揺さぶっている事も後押しとなる。  

続く戦乱の中で飢えと略奪に怯えるか、はたまた千葉の傘下に入って安定した生活を得るか。  

答えは、火を見るよりも明らかであった。


「作左衛門、里見の外堀を埋めるぞ。まずは土気と万喜の調略を行え。さすれば上総はすぐに落ちる」

「はっ!ただちに取り掛かりまする」


ーーー上総国、土気城(とけじょう)。  

城主・酒井伯耆守敏房は、眼下に広がる平野を見下ろしていた。そこには、千葉の商人が運び込んだ酒樽や、見たこともないほど白く精米された米俵が積まれている。  対面に座るのは、万喜城(まんぎじょう)の主、土岐大膳太夫為頼である。

二人は、以前は千葉家にあって里見との最前線を担っていたが、利胤の逝去の後、後継ぎが五歳の子どもだとわかると、家中の意見も揺れて里見とも通じるようになり、どっちつかずの状態にあった。


「……土岐殿。里見様からは、寝返りの際は所領安堵するが兵糧の供出と軍役を求めるとの書状が来ておるが、そちらにも届いているのではないかな?」  酒井敏房が苦虫を噛み潰したように言った。


「そうですな。しかしながら我らの腹はまだ決まっては居り申さぬ。そうではありませぬか?」


「左様ですな。されば千葉様は商人の行き来を制限するでもなく、米や酒などの物資が滞りなく届く。しかも、臣従しておれば所領は安堵のうえ、豊かにする為の方策を授けてくれるとの噂。さらに兵を差し出せば供出に見合う銭も支払うらしい」


土岐為頼は、杯に注がれた清酒を干した。その酒も、千葉からもたらされた極上品だ。

「わしは聞いたぞ、酒井殿。千葉の当主は、戦に出ぬ兵にも銭を払うておるとな」

「左様。季節を問わず訓練を施し、規格化された武器を与える。……あのような軍勢に、我らの半農半兵が勝てる道理がない」


 二人の脳裏には、先年の「おゆみ野の惨劇」が焼き付いていた。  

あの鉛玉の嵐。槍衾。  

里見義堯は「虎」だが、千葉親胤は虎以上の「厄災」だ。最近では「小龍」とも称される。

虎でさえ相手にするのは相当苦労し、気を抜くと喰われるというのに、それ以上の厄災などとまともに戦える者はほとんどいないだろう。


「……潮目は変わったのう」  為頼がポツリと漏らした。 「里見様には申し訳ないが、家を滅ぼしては元も子もない。……腹を決めるなら一つしかないのう」 「……同感にござる」


 数日後、酒井敏房、土岐為頼の両名は、揃って千葉家への再度の臣従を表明した。

この有力国人二名の離反は、ダムの決壊のような効果をもたらした。

東上総の日和見であった国人衆が雪崩を打って千葉方へと走ったのである。  

戦わずして、上総の北半分が千葉の版図に組み込まれた。


 この動きを知った里見義堯はたいそう怒り、すぐさま挙兵しようとしたが前回の負け戦で被った損害の回復も完全ではない為、家臣たちに止められ一旦は翻意するのだった。


房総の次なる戦乱の雲行きは怪しくも、今はまだ嵐は来ていない。


お読み下さり有難うございます。

初投稿の素人ですので、稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。

生暖かい目で見てくださると幸いでございます。


次回くらいから更新頻度に少し間が空くと思います。

執筆が追いつかなくなる可能性がある為の調整です。

何卒お許しください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。