佐竹攻め④
天文二十四年(1555年)9月 茂木城麓。
「……くくく、見よ、あの千葉の童の兵どもが狼狽える様を!」
佐竹義昭は、本陣の床床を力任せに叩き、甲高き笑い声を上げた。
直前までの苦戦と、自慢の騎馬隊を無惨に撃ち打ち散らされた屈辱はどこかへいってしまったようだ。
その顔には、一転して歪んだ歓喜が貼り付いていた。
傍らで戦況を見ていた重臣・岡本禅哲が、感極まった面持ちで義昭を仰ぎ見る。
「……まことに驚天動地の極みにございますな。つい先日まで角を突き合わせておった白河結城氏が、まさか蘆名殿の手引きにより我が方の助太刀に参るとは。殿のご英断、まこと見事にございます」
「ハハハ! 互いに血を流した相手とて、利が合えば手を握るのがこの乱世よ!」
義昭は鼻を鳴らし、遠く西の空を遮る蘆名・白河結城の軍勢を睥睨した。
事の真相はこうだ。
本来、南奥州の白河結城氏と北常陸の佐竹氏は長年にわたり国境を巡って激しく敵対していた。
しかし、ここへきて会津の雄・蘆名盛氏が動いた。
盛氏は急速に北関東へ勢力を伸ばす千葉家の存在に強い危機感を抱き、密かに白河結城と佐竹の間に割って入り、力を背景にした仲裁をもって和議を成立させた。
『下総の化け物童を野放しにすれば、常陸も下野も奴らの餌食となる。そのうちに奥州にまでのさばって来よう。今こそ私怨を捨て、一致団結して千葉を喰らうべし』
蘆名からの呼びかけに、千葉に先制攻撃を食らい、後手にまわっていた佐竹義昭が飛びついた。
ここに主に三家による同盟の締結が成立、そして下野の那須をも巻き込んだ広域包囲網。
千葉軍が茂木城下で陣を張り、佐竹と対峙しているまさにその背後を突く形で、蘆名一万八千と白河結城八千の連合軍二万六千が来援したのである。
「これで挟み撃ちだ! 前方の我ら二万二千、背後の連合軍二万六千! さしもの千葉の童も、ここまでよ!」
一方、包囲の渦中に叩き込まれた千葉軍の本陣。
風が黒色火薬の焦げ臭い匂いと、土混じりの鉄っぽい血の臭いを運んでくる。
「御屋形様! 物見が戻りませぬ! 西の敵陣の探りを入れようと三度放ちましたが、いずれも敵の鋭い警戒網に阻まれ、討ち取られたか追い払われました!」
報告にきた伝令の言葉に、俺はこれまでの手筈や指示のどこに間違いがあったのかを冷静に考える事にした。
(蘆名と白河結城は本来、長年の仇敵同士のはず。寄せ集めの連合軍なら、それほど脅威にはならず、必ず指揮の乱れや陣立ての『隙や弱点』ができるはずなのだが……!)
決死の突進で包囲の一角を破ろうにも、その隙がどこにあるのかが掴めない。
無暗に突撃すれば、敵の重厚な備えに引っかかり、全滅の憂き目を見る。
俺の焦りを察した浄三が、冷や汗を拭いながら低く囁いた。
「……御屋形様。敵方は中々に精強ですな。前線で指揮を執っている将が有能なのでしょう」
そこへ、影のごとく陣幕の隙間から葉隠衆の物見が滑り込んできた。
「御屋形様、白井様。敵の前線、指揮を執っている者の正体が判明いたしました」
「でかした!申してみよ」
「はっ!蘆名家家臣の中でも武名が通る家、猪苗代盛清・盛国の親子にございます! そしてその脇を、白河結城家の家臣、斑目広基が固めておりまする!」
「……猪苗代か」
俺は記憶の糸を手繰り寄せるように腕を組んで考えた。
猪苗代盛国といえば、後世でも名の知れた武将だ。
二つの軍勢が交わり最も混乱を招きそうな場所に、蘆名盛氏は信頼のおける家臣を配置していたようだ。
彼らが寸分の隙もなく前線を統制し、こちらの攻勢を押し戻していたのだ。
「……しかし、御屋形様。如何に猪苗代らの目が光ろうとも、全軍をくまなく覆うことは不可能です。
必ずどこかにほころびがある筈。」
浄三は考え事をするような仕草の後、そのように発言し、俺は葉隠衆に穴を探るように命じた。
やがて、半刻くらいしてからまた葉隠衆がやって来る。
「申し上げます!蘆名軍の西方の端……末端に位置する会津の国人衆『穴沢備中守』の備え。ここは陣の構築も甘く、兵の士気も極めて低い状態にございます!」
「ほう!」
白井浄三の目がギラリと光った。
「御屋形様! 策が見えましたぞ! まずは陽動作戦を仕掛けまする!」
浄三は素早く地図を広げ、指先で敵陣を指し示した。
「まず、猪苗代親子が控える正面中央へ向かって、高城殿の黒備えを鏑木殿の鉄砲隊と呼応させて押し出させ、攻勢をかけるように見せまする。
『千葉軍本隊は主力を投入して正面突破を図っている』と見せかけるのです! 猪苗代ら目利きの出来る将ほど、この動きに反応し、中央の防衛へ戦力を集中させるはず!」
「そして……敵の目が中央に釘付けとなったその瞬間を狙うのだな!?」
「左様! 中央の視界から外れた『穴沢の備え』へ、我が軍最強の突破力を誇る里見義舜殿の部隊を一点集中で叩き込ませます! 一気に包囲網の端を食い破り、脱出路を抉り開けまする!」
「よし……! 直ちに掛かれ!」
「全軍! 旗を揚げよ! 前方の敵中央へ突撃ぃッ!!」
胤吉の雷鳴のような叫びとともに、千葉軍の正面備えが猛然と動き出した。
残された鉄砲の弾薬を惜しみなく吐き出し、中央の猪苗代陣営へ激しい火力を浴びせる。
「来たか千葉の童! 我が陣を打ち破れると思うなよ! 中央!押し出せ!!」
案の定、猪苗代盛清・盛国親子、そして斑目広基は千葉軍の本気を見たと思い込み、左右の兵を中央へと集中させた。
まさに、その瞬間であった。
「今だッ! 里見隊、推して参れぇぇぇッ!!」
暗雲を切り裂くような雄叫びとともに、陣の端から飛び出したのは、安房の豪勇・里見義舜率いる二千の精鋭騎馬隊と随伴する長槍隊三千であった!
手薄となった穴沢備中守の陣へ、里見隊はまるで巨大な楔のように突き刺さった。
「ぬ、なにぃッ!? 敵の狙いはこっちか!?」
「ひえぇぇっ! 助けてくれぇ!」
不意を突かれた穴沢の足軽たちは一たまりもなく潰走。
猪苗代らが「しまった!」と叫んだ時には、すでに遅かった。
包囲網の西端に、ぽっかりと巨大な風穴が開いたのだ。
「全軍、里見隊に続け! 益子領へ向けて脱出するぞ!」
俺たちは潰れた穴沢陣をなだれ打って突破し、見事に四万八千の地獄の包囲網を脱出することに成功したのである!
・・・だが、試練はこれで終わりではなかった。
「退くな! 追い詰めよ!」
包囲を破られた佐竹・蘆名・結城の連合軍は、怒涛の勢いで我が軍の背後から追撃を開始した。
俺たちは軍を引かせつつ、追撃を追い払う命がけの「撤退戦」を強いられた。
さらに、益子領の境界付近まで差し掛かった時のことである。
「報告ッ! 前方より軍勢! 旗印は……七曜紋! 那須軍その数・・・八千ほどにございます!!」
「な……何だと……!?」
撤退路の真ん前に、裏切り者・那須資胤率いる那須軍が立ち塞がったのだ。
後方からは佐竹・蘆名の追撃、前方には那須の塞ぎ。
「クソッ……! どこまでも!」
俺たちの兵力は、度重なる交戦と長距離の撤退により、すでに二万七千にまで激減していた。
何より深刻だったのは、「物資の完全な枯渇」であった。
「御屋形様……鉄砲の弾薬、ことごとく底をつきました!」
「矢も、各兵数本しか残っておりませぬ!」
「兵糧も……明日の朝の分がございませぬ……」
白井浄三も、高城胤吉も、血と泥にまみれた顔で青ざめていた。
兵士たちの顔には疲労と絶望が色濃く滲み、足取りは重い。
俺は自軍の兵たちを見渡した。
「……全軍、『車懸かりの陣』を組め」
「車懸かり……でございますか!?」
「そうだ。立ち止まれば包囲されて終わりだ。部隊を車輪のごとく回転させ、交代で前線の那須軍を突き崩しながら、少しずつ前進する! 兵の疲弊を最小限に抑えつつ、押し通るのだ!」
円陣を回転させながら、交代で突撃と撤退を繰り返す極限の野戦陣形。
水谷正村や安蒜淨意ら副将たちが死力を尽くして兵を鼓舞し、千葉軍は血反吐を吐くような思いで那須の陣をじりじりと押し削っていった。
しかし、限界は刻一刻と近づいていた。
二日間にわたる不眠不休の撤退戦。
弾は尽き、槍は折れ、兵士たちは飢えと渇きで次々と倒れていく。
ついに那須軍の重厚な壁を打ち破りきれず、千葉軍の「車輪」が止まりかけた。
(……ここまで、なのか……?)
刀を握る自分の手が、武者震いとは違う重い疲労で震えているのが分かった。
前世の記憶があろうと、現代の知識があろうと、物資も体力も尽きた戦場では何の役にも立たない。
那須軍の将が、勝ち誇ったように刀を掲げるのが見えた。
「千葉の童の首を取れぇぇぇッ!!」
敵の津波が、俺の本陣へとなだれ込んでくる——。
俺が覚悟を決め、歯を食いしばったその時だった。
・・・・・・ドドドォォォォ!!!
那須軍の「背後」から、天地を揺るがすような音が響き渡った!
「な、なんだ!? 何が起きた!?」
勝利を予想して紅潮していた那須資胤の顔が、一瞬で引きつる。
那須軍の背後の森林を突き破り、風のごとき速さで躍り出てきたのは、黒地と黄色の旗印を掲げた騎馬兵の一団であった。
先頭に立つのは——。
「敵の背後を討ち払えぇぇぇッ!!」「おおおぉぉぉぉっ!!」
黄地の旗——「地黄八幡」!!北条孫九郎綱成率いる、北条軍一万七千!!
「なっ!……北条軍だとぉぉぉっ!?」
那須軍の悲鳴が山々にこだました。
風魔小太郎率いる風魔一族の手引きにより、裏道を密かに破竹の勢いで踏破してきた北条軍一万七千が、退路を塞いでいた那須軍の背後へ、まるで怒濤の津波のごとく激突した。
「推して参れぇッ! 我が義理の甥・千葉介殿に手出しはさせぬぞ!!」
綱成の振るう大槍が、逃げまどう那須兵たちを軽々と吹き飛ばしていく。
背後から一万七千の精鋭に突かれた那須軍は、陣形を維持することすらできず、文字通り「粉砕」された。
「ぬぬぬ! 退け! 烏山城へ退却せよーッ!」
那須資胤は脱兎のごとく馬を返し、自領の烏山城を目指して命からがら逃げ出していった。
だが、地黄八幡の猛威はそれだけに留まらなかった。
綱成率いる北条軍一万七千は、混乱する那須軍を蹴散らしたその勢いのまま、千葉軍を追撃してきていた蘆名・白河結城連合軍の横腹(側面)へと容赦なく突入したのである!
ズガァァァァンッ!!
「なっ! 側面から敵!?」
「北条の『地黄八幡』だ! なぜここに北条が……!?」
追撃に夢中になっていた蘆名・結城連合軍は、北条軍の凄まじい横腹への突撃を受け、中央から真っ二つに「分断」された。
猪苗代盛清が必死に制止を試みるも、側面を断ち切られた連合軍は大混乱に陥り、追撃どころではなくなってしまったのだ。
夕闇が迫る下野の野山に、北条軍の勝ち鬨が重々しく響き渡る。
間一髪、本当に「最後の最後」の瞬間、俺たちは地獄の淵から生還したのだった。
お読み下さり有難うございます。
稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。
生暖かい目で見てくださると幸いでございます。




