尾崎殿 北条 明(ほうじょうはる)の憂鬱
北条明視点です。 本日少々短めになります。
天文二十四年(1555年)六月
自室でひとり、明は自作の年代記のような書き付け(メモ)と対峙していた。
それは、天文12年(1543年)に令和の時代を生きていた筈の自分が、北条氏康の次女として転生したと気づいてから筆をとる事が出来るようになった4歳の頃より、自分が覚えている限りのこの戦国時代の歴史を書き留めたものだ。
この書き付けは他の者に見られると厄介な事が起こると考えてローマ字や筆記体英語などを交えて、この時代の人間には解読出来ないような形で書いていた。
明は前世で出版社に勤めており、歴史小説などを主に担当する編集者であった。もともと日本史が好きで、大学では中世史が専攻だった。
元の自分はどうなったのか。著者との打ち合わせに向かう途中、横断歩道を渡ろうとしたところまでは思い出せるのだが、その後の記憶が全く無いのでわからない。大方良くある暴走したトラックに轢かれたとか何か、その類ではないかと思っている。
転生したばかりの時は、夢にまでに見た戦国時代と知って大変興奮したものだ。
そして興奮して泣きすぎて周囲に心配されたが、氏康には元気でよい女子が生まれたものだと思われた。
何より自分の生年を知った時にはガッツポーズであった。
なぜなら、明の記憶にある徳川家康と同じ生年だったからだ。
かの英雄と同じ時代を生きる事が出来る、そう考えるととても楽しかった。
自分が氏康の次女であり、やがては千葉親胤の元へ嫁ぐ事になるのは知っていたし、その後親胤は暗殺されるのも知っていたが、そのあと自分は北条家へ帰ってくるのだろうと考えていた。
何よりその暗殺の黒幕は父である北条氏康その人なのだから、まさか自分の娘までも同じく手にかけるとは思えないし、一般的には生家に戻されるのが普通であったと思われるからだ。
・・・だが、どうしてこうなった。
燭台の明かりの下で溜息をつき、わたしは頭を抱えた。
「……あり得ないわ、やっぱり。起点はここ……天文十五年(1546年)。御屋形様が、まだ四歳の時ね……」
「塩水選を使って、種もみを選別させて、あの『新農具』の導入。このほかにも治水や肥料の改善。これによって下総の米の石高はわずか数年で一・五倍……」
わたしは指先で紙面をなぞりながら、気づくと小さな声でひとりごとを漏らしていた。
「そして五歳で家督を継ぐやいなや、家中の実権を握り、最初に行ったのが千葉家内部の派閥抗争の激化を防ぐための『家臣団の再編』と『諜報組織の立ち上げ』……。五歳の子供が、旧態依然とした下総の国人領主たちを抑え込んで様々な制度を改めるなんて、正気じゃないわ……」
「それだけじゃない……。鉄砲を配備した近代的な軍隊。六歳で着手した関所の撤廃と、銚子の港を開発してそこを中心とした外洋への『海上交易』。スペインやポルトガルと付き合う場合、キリスト教が入ってくるので普通なら寺社や地元の勢力が猛反発して流血の惨事になるはずなのに、事前に綿密な法度を整備して抑え込んでいる。……そして、」
明は頭を振り、信じられないというように呟きを続けた。
「……そして決定的なのが、周辺諸国への対外外交と戦の動き。武田や今川、北条の動向をまるで『あらかじめ知っていたかのような』動き方……六歳や七歳の子供が、関東から駿河までの大名家の腹の内を見抜いたうえで外交を展開して、必要なら軍を動かすなど、そんな判断出来るわけがないわ」
明の指が、紙の上に書かれた俺の名前「千葉親胤」の文字で止まった。
「元服してすぐに攻めて来た里見を追い払い、あっという間に房総半島を統一してしまうし、鮮やかを通り越して、もはや神懸かりね」
「……本来の歴史なら、千葉家は北条の傀儡となり、関東の騒乱の中で埋もれていくはずだった。なのに、どうして?……どうして千葉親胤という男ひとりの登場で、ここまで完璧に歴史の歯車が狂ってしまうの?」
明の瞳に、深い葛藤と戸惑いの色が浮かぶ。
彼女は机に伏せるようにして、ぽつりと呟いた。
「この世界が元の世界と同じ歴史を辿るという保証は無いし、もしかしたらこういう世界線の歴史なのかも知れない。だけど、あまりにも異常すぎる。周囲の家臣たちも変に思わなかったのかしら・・・そういえば、乳母たちはどう思ったのか、少し話を聞いてみましょう」
四半刻後(30分)、乳母のおまつと乳母夫の新右衛門が到着した。
「新右衛門ならびに、おまつ、仰せにより参上仕りましてございます」
「お入りなさい」
おまつと新右衛門はとても緊張した様子で床に頭が食い込むのでは?と思うほど土下座をして縮こまっていた。
「そんなにかしこまっていてはお話も出来ないわ。楽にしなさい」
「は、はい!・・・・その、御方様はなにゆえ我らをお召になられたのでしょうか?」
「幼いころの御屋形様のご様子を聞かせて欲しいの。貴方たちは御屋形様が家督を継ぐまではずっとお世話をされていたのよね?」
「左様でございます。お生まれになった直後の御屋形様は、それはもう愛らしく、そしてご聡明であられました。あれは三つになられた頃でしたか、にわかに書庫へお入りになりたがりましてな。我らはその場所が気にって遊び場にされたいのかと思うておりましたが、なんと御屋形様は書物をお読みになられていたのです。それはもう驚きましたな。読み書きは請われたのでお教えしてはおりましたが、ただの手習いにて、そうそう書物を読むには程遠いと思うておりました。じゃがしかし、御屋形様は我らでも難解と思うような書物をお読みになって、時には微笑んでいらしたのです」
「ほう、それは驚きですね。御屋形様は書物の意味を理解しておられた・・・という事かしら?」
「ええ、恐らくは。御屋形様が原様(胤貞)とお話をして様々なお触れを出しておりましたが、そのほとんどは御屋形様がお一人でお考えになった事だそうです。わたしらは書庫の書物をお読みなってお知恵をお付けになったからだと思いました。それはもうまさしく神童の如くでありました」
続けておまつがしみじみと語る。
「なるほど。神童という噂はそのような事実から生まれたという事なのね?よくわかったわ。今日はわざわざ来てもらって感謝するわ」
「いえいえ、そんなもったいなきお言葉。それでは我らはこれにて失礼を致しまする」
そういって、おまつと新右衛門はそそくさと部屋を出て行った。
齢3歳で書物を読んで内容を理解してニヤニヤ出来るなんて、おおよそ幼児とはかけ離れているわね・・・。一体何を読んでいたのかしら・・・春画なんてこの時代はまだ出てこない筈だし。
それはそうと御屋形様は……ただの『神童』なんかじゃないわ。……まさか、私と同じように……歴史を、未来を知っているのかしら……?
やはり一度、きちんとお話をしなくてはダメね。
未来から転生したとして、どの時代から来たのかしら・・・・。
お読み下さり有難うございます。
稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。
生暖かい目で見てくださると幸いでございます。




