千葉包囲網と佐竹との決戦前夜
天文二十四年(1,555年)六月
婚儀から数日が過ぎた。
明との間には微妙な緊張感が漂い続け、俺は彼女の正体について悶々とする日々を送っている。
閨を共にはするが、まだ体が成長しきっていない為、時期を改めるとしてまだ行為に至ってはいない。
明も現代的な感覚を持ち合わせている為か、それについてはすぐに同意してくれて、心なしかホッとしている雰囲気さえ垣間見えた。
だが、相手がどう出るかわからないし、今は少し様子を見ておいた方が良いと思っている。
しかし、戦国の世は俺の個人的な悩みを聞いてはくれない。
「申し上げます! 佐竹家の動きに不穏な兆しあり!」
佐竹の周辺に潜ませていた葉隠衆から、切迫した報告がもたらされた。
「常陸の佐竹義昭が、下野の那須家、小山家、および益子家などとしきりに使者のやり取りを行っております。どうやら、当家に対する包囲網を築く腹積もりの様子!」
俺はすぐに評定を開き、重臣たちを集めた。
「佐竹は前回の屈辱をはらすべく動いたのだろう。俺が北条と婚姻でも結ばれた為、放置すれば、ますます常陸を切り取る事が出来なくなると憂いて手を打ってきたのではないか」
「御屋形様の仰せの通りにございますな。ここは先ず、佐竹の出鼻を挫くべきかと存じます」
胤吉の意見に皆が頷く。
他の家臣たちの意見も一致しているようだ。
俺は地図を広げ、改めて位置関係などを確認して、決断を下した。
「方針を決める。基本的には・・・佐竹は叩き潰す。彼の家は野心高く、我々の背後を脅かす存在を残しておくわけにはいかない」
にわかに広間に緊張が走る。
「だが、那須や小山、益子は別だ。相手の出方次第では、臣従を許す方向で交渉を進める。力攻めなどするより、味方に引き入れる事に利がある。だが、敵対するなら容赦はせぬぞ」
「はっ。仰せの通りに」
胤清がそう答えるが、少し考えるそぶりを見せた。。
「胤清、何ぞ意見があるのではないか?」
「はっ!益子家は主筋の宇都宮家当主、確か尚綱殿でしたな。尚綱殿が那須に討たれた事を快く思っておらず、那須はもとより、同盟関係にある佐竹とも同心しないものと思いまするが」
「なるほど、良き情報だ。小山家の方は何か掴んでいるか?」
「小山家は、那須家と懇意にて佐竹とも良好であると思われまする」
ここで作左衛門が目くばせをしてきた。何か意見があるらしい。
「作左衛門、他に何か情報を掴んでいないか?」
「はっ!恐れながら・・・那須家と佐竹家につきましては、某の方にも別の情報が上がっておりまする」
「うむ、申せ」
「はっ。されば那須家は蘆名家と対立しておりますが、後ろ盾として佐竹と同盟を結んでいるものの、佐竹は那須を悉く利用しようと企んでいる節があり、那須家もそれに気づき警戒をしているとの由。さすれば那須家もまた、調略によって佐竹との関係を崩すこと能うと思いまするが、那須家は中々に野心が高く一筋縄では行きますまい」
「ほう。されば交渉は個別に行うが上策だな」
俺はそう結論付けると、評定の間を見渡してそれぞれの使者を決めることにした。
「胤清、そして胤貞。お前たち二人に那須と小山の調略を命じる。佐竹の腹黒さを説き、千葉家に付くことの利を説いて参れ。彼らを佐竹から引き剥がすのだ」
「ははっ! 我らにお任せくだされ」
胤清と、胤貞が力強く平伏した。経験豊富な胤清と、知勇を兼ね備えた胤貞の交渉術ならば、十分に立ち回ってくれるだろう。
「さて、益子家には誰を遣わすべきか……」
益子は那須に恨みを持っているので、那須が千葉に付くならば益子は千葉に付く選択をしない可能性が高い。
だが、それを覆す事が出来る人材がちょっと思い浮かばなかったのだ。
だが、そうこうしているうちに
「御屋形様、それならば某にお任せを」
静かに進み出たのは、元小田家臣である赤松凝淵斉だった。
「某は益子家を何度か訪れた事がございます。それに先ほど作左衛門殿が申された通り、益子家は主筋の宇都宮尚綱殿を討った那須家を深く恨んでおります。ゆえに千葉家に付くというのは少々難しいかも知れませぬが、条件によってはお味方になるやもしれませぬ」
「なるほど、顔見知りが行けば警戒もいくらか解かれるか。よし、凝淵斉。益子の調略を任せる。頼んだぞ」
「御意」
こうして、佐竹の包囲網を逆手に取るための、水面下の熾烈な外交戦を始めた。
胤清と胤貞は、那須家と小山家に対して外交交渉を開始した。
烏山城
「佐竹は御家を千葉に対する盾として利用しようとしているのでは?もしも無茶な兵糧・軍役の供出要請などがあった場合はまず間違いないでしょうな。」
胤清は持参した詳細な地図の上に細かく駒を並べ、あくまでも客観的な予測を述べた。
当主の那須資胤は示された精巧な地図に驚きながらも、胤清に言われた事に心当たりがあるのか、少し目が泳いだ後に深く考え込んだ。
「もしも我らと手を組んで頂けるなら、蘆名からの圧力を抑える為の相当数の後詰をし、那須の現領を安堵する事も出来まする」
「が、もしも残念ながら対立の道となった場合、我らの軍は迅速に動けますれば、佐竹軍が救援に駆けつける猶予すらなく、烏山城は我が軍に包囲されるでしょうな。そしてその時、佐竹義昭殿はどう動くか……救援を出すどころか、貴家を防波堤として使い捨て、自領の防備を固める時間稼ぎに利用するのは目に見えておりましょう」
何ひとつ誇張のない、現実的な滅亡のシナリオ。
「この戦は戦う前にすでに詰んでいる」と思い知らせる論理に、の那須資胤は一見背筋に冷や汗を伝わせ、返す言葉を失っているように見える。
絶望が部屋を支配した絶妙のタイミングで、今度は若い胤貞が静かに「軟の交渉」を提示する。
「しかし、我が千葉と手を携えるならば話は別でございます。所領の完全安堵はもちろんのこと、南蛮渡来の品々の供給、さらには下野を東西の街道を結ぶ物流の要衝と位置づけ、交易がもたらす莫大な利を得る事能いまする」
自発的に「佐竹と組むリスク」と「千葉に付くメリット」を秤にかけさせる誘導。
自らが佐竹の捨て駒に過ぎないであろう事実を改めて突きつけられた那須家ではあった。
しかし表向きは千葉へ従う素振りを見せてはいるが、那須資胤は野心が高く、我こそは下野の国主にふさわしいと思っており、それを後押しするという佐竹にはかなりの部分、同心しているのであった。
原親子はそれとなく那須の不穏な空気を読み取っており、葉隠衆に那須の監視をするよう依頼をする。
原親子が帰った後の烏山城では、那須資胤が独り言ちていた。
「千葉の成り上がりが。名門那須に意見するとは片腹痛いわ。まぁ勝ち馬に乗るのが我が信条ゆえ、戦の次第を見極めてからゆるりと加わって参ろうか」
奇しくも原親子の見解は間違ってはいなかった。
この後の那須の運命を告げるかの如くカラスが城に向かって甲高く鳴いた後、南の方角へ飛び去っていった。
続いて後北条領にも隣接している小山家は那須とは違い、千葉家の経済力と軍事力を正確に把握しており「佐竹や那須と共に滅びるか、千葉と共に栄えるか」という不可避の現実を前に、急速に千葉家の強大な庇護を求めるよう傾いていった。
益子城(西明寺城)
城の奥深き一室。
益子家当主益子勝宗。そして対するは元小田家臣にして、今は千葉家家臣――赤松凝淵斉である。
対座するのは、益子家の当主・益子勝宗。
静まり返る室内に、小さな灯明の灯りがゆらゆらと二人の影を揺らしていた。
凝淵斉は、原親子から那須家と小山家への交渉結果や見解を既に伝えてもらっており、その結果を反映しての益子家説得を考えているのだった。
「……赤松殿。小田家が崩れて以来、風の便りすら途絶えておったが、まさかこのように訪れるとはな」
勝宗は警戒を露わにしつつも、旧知の客に対して手ずから茶を薦めた。
凝淵斉はその椀を静かに受け取り、一口口をつけると、ふっと自嘲気味に笑った。
「千葉家へご奉公する身になったとはいえ、ただ参ったわけではござらん、益子殿。今日は益子家の……誇りを守るために参上した」
「誇り、とな?」
勝宗が不審そうに眉をひそめると、凝淵斉は盃を静かに畳の上に置き、鋭い眼光を注ぎ込んだ。
「単刀直入に申す。佐竹義昭殿より千葉包囲網の呼びかけがあったのではありませぬか?」
「……何処でそれを。いや、隠すこともあるまい。佐竹殿は常陸のみならず下野の諸家を束ねようとしておられる。我が益子も、下野の国人として無関係ではいられぬ」
「くっくっく……」
凝淵斉は腹の底から低く笑い声を漏らした。その声には冷ややかな嘲笑が混じっていた。
「何が可笑しい、赤松殿!」
「可笑しいですな、益子殿!貴方様ほどの武士が、佐竹殿の手のひらで踊らされ、己の主君を討ち取った宿敵と肩を並べようとしているのですから!」
「な……! 何を戯れ言を!」
「戯れ言ではござりませぬ!」
凝淵斉は一転して畳を激しく叩き、身を乗り出した。
「お忘れか! 喜連川の戦いにて、貴殿の敬愛する宇都宮尚綱様を討ち取ったのは誰でありましたか!?那須高資殿ではありませぬか? 尚綱様が討たれ、宇都宮家がどれほど塗炭の苦しみを味わったか、その忠臣たる益子家が忘れたとは思えませぬ」
勝宗の顔色がサッと変わり、拳が不自然なほど強く握りしめられた。激しい動揺と、胸の奥底で燻り続けていた焔が揺らめく。
「……それは、そうだ。だが今は臥薪嘗胆の如く佐竹殿の後ろ盾を頼んで宇都宮家の再興を図る時……」
「佐竹殿が宇都宮家の再興に合力して下さると本気でお思いか?」
凝淵斉の追撃は容赦がなかった。声のトーンを落とし、地獄の底から響くような怨嗟を込めて囁く。
「佐竹殿にとって、下野の国人など所詮は自らの外敵に対する『使い捨ての盾』に過ぎませぬ。そればかりか、貴殿らの主君の仇である那須と肩を並べ、共に戦おうと申しておるのですぞ? つまり佐竹殿は、益子家が亡き尚綱様へ捧げる忠義も誇りも、最初から踏みにじり、足蹴にしているのではありませぬか?」
「黙ってもらおうか……!」
「黙れませぬ! そのような事では亡き尚綱様が泉下で泣いておられるではありませぬか? 『我が忠臣たる益子が、我を殺めた那須の軍門に下り、佐竹の捨て駒となって死ぬるか』と。貴方様はあの方に、あの世でどのような面下げてお会いするおつもりか!」
「黙らぬかッ!!!」
勝宗は叫び、脇差の柄に手をかけた。その額には青筋が浮かび、目は血走り、全身が激しい怒りで打ち震えている。
しかし、その怒りの矛先が凝淵斉個人ではなく、自分たちを侮辱し、仇敵と同列に扱おうとした「佐竹と那須」に向けられていることを、凝淵斉は見てとった。
凝淵斉は刀の柄から手を離さず、堂々と胸を張って勝宗を見つめた。
「斬りたくばお斬り下され。だが、某を斬ったところで佐竹殿の腹黒さが消えるわけでもなく、尚綱様の無念が晴れるわけでもない。……益子殿、目を覚まされよ。今の佐竹に従うことは、益子の家名を汚し、主君への忠義を捨てることに他ならぬのではないかと存じまする」
部屋の中に、痛々しいほどの静寂が訪れた。
勝宗の荒い息遣いだけが響く。握りしめた拳からは血が滲んでいた。
「……では、どうしろと言うのだ。千葉に抗わねば佐竹に潰され、佐竹に従えば主君の仇と手を取り合うことになる……我らに道などないではないか……!」
勝宗の声に、絞り出すような絶望が混じる。
凝淵斉は優しく微笑むと、懐から一通の書状を取り出し、勝宗の前にそっと置いた。
「道はある。我が主・千葉介様は、益子家の誇りを高く評価しておられる。もとより中立を貫くのならば、佐竹撃破の後も益子の所領は安堵され、領内の開発援助と交易がもたらす莫大な富が与えられよう。そして何より――」
凝淵斉は勝宗の目を選び、はっきりと告げた。
「佐竹と那須が『千葉を包囲した』と過信し、慢心して攻め寄せてきたその時、背後から奴らの喉元を喰らい切る権利が、益子殿に与えられまする。亡き尚綱様の仇を討ち、佐竹の傲慢に一砲報いる絶好の機を得る事能いまするぞ」
勝宗の瞳に、宿っていた絶望の影が消え、途方もない復讐の情念と決意の光が宿った。
「……千葉殿は、本当に我らの所領を安堵し、那須討伐をお認めくださるのだな?」
「我が命、我が魂に賭けて誓う。千葉介様は嘘を嫌うお方だ」
勝宗は静かに脇差から手を離すと、懐から小刀を取り出し、自らの親指の腹を躊躇なく切り裂いた。
朱い血が滴り落ちる。
「……よいだろう。益子家はこれより、内密に千葉家に臣従する。那須め……尚綱様を討った報い、その首をもって支払わせてやる!」
勝宗は血印を押した誓紙を凝淵斉に手渡した。
凝淵斉はその誓紙を大切に受け取ると、深々と頭を下げた。
「見事なご決断。これで下野の盤面は完全に裏返りましたぞ」
それから数日後。
「御屋形様、朗報にございます!」
作左衛門からの報告に、俺は思わずニヤリと笑みを浮かべた。
「那須は千葉への敵対はしないとの事。小山は、内密に当家と結ぶとの由! また、益子は表向きは中立を装いまするが、領内通過や商人同士の交流は特に制限を設けないとの由。さらに戦後は千葉家へ臣従する旨の書状が届いておりまする。佐竹の鼻をあかす事が出来申した」
「ようやった! 胤清、胤貞、そして凝淵斉の見事な働きだ」
「しかしながら那須だけは野心が見えており、油断ならぬとの事。引き続き監視を続けまする」
「そうか・・・それは仕方があるまい。那須が戦に加わってくるであろう頃合いを予想するしかあるまいな。どちらかに勝利の天秤が傾き始める頃合いにはっきりと見えてくるだろう」
敵が気づかぬうちに、盤面は完全に裏返った。
佐竹は自らが築いたつもりの包囲網に、逆に呑み込まれることになるだろう。
味方だと思い込んでいる軍勢に背後から撃たれる絶望を、身をもって知るはずだ。
那須への対策はしっかりとやらなければならないが、野心が高い奴は扱いやすいというか、分かりやすいからな。
「さあ、盤面は整った」
俺は広間に集まった重臣たちを見回し、力強く宣言した。
「これより我が千葉家は、佐竹討伐の軍を起こす! 当家を脅かす常陸の野心を打ち砕き、我らの力を見せつけるのだ!」
「「「おおおおおっ!!!」」」
広間を震わせる怒号のような鬨の声。
いよいよ、佐竹との決戦の火蓋が切られようとしていた。
お読み下さり有難うございます。
稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。
生暖かい目で見てくださると幸いでございます。




