婚礼そして、とまどい
天文二十四年(1555年)皐月。
約束通り、後北条家との婚儀は下総にて盛大に執り行われた。
先日から武田と今川が国境付近で不審な動きを始めたらしく、北条氏康本人は流石に国を空けられず名代となったものの、地黄八幡の北条孫九郎綱成をはじめとする重臣たちが供を連れてやってきた。
新婦である明は、御年十二。俺よりも一つ年下ということになる。
小田原から到着した豪奢な輿から降り立った明と、対面した。
白無垢に身を包んだ彼女は、12歳という幼さからは想像もつかないほど整った容姿をしており、武家の姫君らしい気品を漂わせていた。
令和の世ならまだ小学校を卒業したばかりの少女だというのに、その佇まいは妙に落ち着き払っている。
「北条左京太夫氏康が娘、明にございます。未熟者ゆえ、何卒ご指導のほどを……」
三つ指を突き、綺麗なお辞儀を披露する明。
だが、挨拶を終えて顔を上げた瞬間、俺は背筋に妙な寒気を覚えた。
彼女の深みのある瞳が、じっと俺の顔を見つめていたからだ。
単なる恥じらいや初対面の緊張といったものではない。俺の顔立ち、服装、全体を、まるで何かを念入りに観察し、分析しようとしているような、どこか探るような眼差しだったのだ。
(……なんだ? この視線は。まるで俺を『値踏み』しているような……)
俺が内心の動揺を隠しながら微笑みを浮かべていると、脇から豪快な笑い声が上がった。
「ははは! 千葉介殿、我が姪御にそれほど見つめられて気後れしておられるかな?」
声をかけてきたのは、豪華な羽織を羽織った北条綱成だった。
綱成は相変わらずの巨躯を小さく折り曲げると、明の肩にポンと優しく手を置き、目に入れても痛くないと言わんばかりの柔和な笑みを浮かべた。
「明姫様、お気持ちは分かりますが、あまり千葉介殿を穴が開くほど見つめられては、婿殿が困ってしまわれますぞ」
「……叔父様。私はただ、千葉の神童と名高きお方がどのような御佇まいであられるのかを拝見していただけにございます。余計な茶々を入れないでくださいまし」
明はわずかに頬を緩めつつも、どこか呆れたように綱成を見上げた。
黄色の地黄八幡の旗印を掲げ、戦場では鬼神のごとき強さを見せるあの綱成が、明の前ではすっかり「甘い伯父さん」の顔になっている。
明もまた、重臣としての彼ではなく、信頼する身内として綱成に全幅の寄託を寄せているのが見て取れた。
家臣として、そして義理の叔父として、綱成は明を心から可愛がっているのだろう。
「これは面目ない。なにしろ明姫様は我が小田原の宝。義兄上(氏康公)はもちろんのこと、この某にとっても実の娘以上に愛おしい姫君でござるからな。千葉介殿、どうか大事にしてやってくだされよ」
「勿論にございます。当家にお迎えしたからには命に代えてもお守りいたします」
俺がそう答えると、綱成は満足そうに頷き、ふと思い出したように手を打った。
「そういえば千葉介殿。先般、小田原からの使者としてお会いした折、某が『出る杭は打たれる』などと戯れ言を申したのを覚えておられますか?」
「……ええ、覚えておりますが」
俺の鼓動が跳ねた。江戸時代中期に成立したとされるはずのことわざだ。
綱成は明の顔を盗み見ながら、いたずらっぽくニヤリと笑った。
「あれはな、某の知恵ではござらんのだ。小田原を発つ前、明姫様が某にこうおっしゃってな。『千葉介様は常人にあらぬ才気をお持ちゆえ、あまりに突出しすぎれば“出る杭は打たれる”ことになりかねません。叔父様、くれぐれも釘を刺して差し上げてください』と」
「……えっ」
俺は思わず声を漏らしそうになり、視線を明へと向けた。
明が一瞬だけ「しまっ……」という顔で目を見開いたのを俺は見逃さなかった。彼女はすぐに澄ました表情に戻ると、小振りの扇子で口元を隠し、低めの声で綱成を窘めた。
「……叔父様。それは私と叔父様の間だけの私語とお約束しましたでしょうに」
「おっと、これは口が滑った! ははは、許せ!」
頭を書いてごまかす綱成と、呆れ顔で溜息をつく明。
そのやり取りを見ながら、俺の脳裏には冷や汗が噴き出していた。
(なるほど……! あの言葉の出所は綱成じゃなかったのか。『出る杭は打たれる』なんて諺をこの時代に吹聴していたのは、この12歳の少女……明だったのか!?)
激しい動揺を抑え込む暇もないまま、婚儀の儀式へと移っていった。
両家の重臣たちが居並ぶ中、三三九度の杯が交わされる。
重厚な雅楽の音が響く格式高い雰囲気の中、夫婦の固めの儀式は滞りなく進んだ。
隣に座る明は、完璧な武家の姫君としての作法をこなしていたが、ふとした瞬間に向けられる彼女の鋭い視線は、相変わらず俺の正体や「異質さ」を推し量ろうとしているように思えてならなかった。
大名家同士の政略結婚ということもあり、宴は何日にもわたって続く豪華絢爛なものとなった。
その宴もたけなわとなったある日の夜。
俺の前に、酒器を片手にふらりと現れたのは、あの日、意味深な言葉を残していった男だった。
「千葉介殿、この度はまことにおめでとうござる」
「左衛門大夫殿、重ねまして遠路はるばるのご足労、感謝いたします。ささ、一献」
俺が杯に酒を注ぐと、綱成は旨そうにそれをあおり、ニヤリと笑った。
「それにしても、見事な宴にござるな。出される酒も肴も、小田原のそれと比べても全く遜色がない。いや、こと海産物においてはそれ以上かもしれませぬ」
「下総はぐるりと海に面しております故、海の幸には恵まれております。お口に合ったのであれば何より」
「海の幸……なるほど。しかし、それだけではござらぬでしょう?」
綱成の目が、すっと細められた。酔っているように見えて、その眼光は鋭い。いや、怖い。
「此度もそうですが、以前も下総の地を踏んで大いに驚き申した。街道は整えられ、領民の顔には活気がある。何より、行き交う商人たちの荷の多さよ。……わずか数年で、千葉家はいかにしてこれほどの富を築かれたのか。武辺者の某には、まるで妖術でも見ているようでござる」
来たか。
俺は内心の警戒を悟られないよう、穏やかな笑みを貼り付けた。
「妖術などとんでもない。ただ、領内の特産品を少し工夫して売り出したり、関所を減らして商人たちが商いをしやすいように法度を整えたりしただけのこと。運が良かったのですよ」
「ほう、運、ですか。関所を廃し、商いを振興する。言葉にするのは容易いが、既存の権益を持つ寺社や座の者たちを抑え、実行に移すのは至難の業。それをこの若さで成し遂げたのが『運』とは、御謙遜が過ぎますな」
「本当に運が良かっただけです。有能な家臣たちにも恵まれ申した」
「ふむ……。例えば、あの『新しい農具』や『肥料』の知識。あれも運よく天から降ってきたとでも?」
「あれは……明の書物を参考に領内の古老たちの知恵をも集め、少しばかり改良を施したのみです」
「なるほど、明書と古老の知恵、ですか。素晴らしい。我が義兄上も、千葉家のその『工夫』には大層興味を持っておられましてな。いつか、ゆっくりとその秘訣をご教授願いたいものです」
「機会があれば、ぜひ」
綱成はそれ以上深くは追及してこなかったが、去り際にもう一度ニヤリと笑った。
その背中を見送りながら、俺は冷や汗を拭った。やはり食えない男だ。
***
宴も終わり、俺は新婦の待つ寝所へと向かった。
部屋に入ると、豪奢な打ち掛けを纏った明が、端然と座っていた。
十二歳とはいえ、北条の姫。その立ち振る舞いには凛とした気高さがある。
「御屋形様、末永くよろしくお願い申し上げます」
「あ、ああ。こちらこそ、不束者であるがよろしく頼む。」
互いに堅苦しい挨拶を交わす。
現代の感覚が抜けない俺にとっては、中学生同士のお見合い結婚のような居心地の悪さがあった。
とりあえず、緊張をほぐすために自らお茶でも淹れようかと腰を浮かせた時だった。
「御屋形様。一つ、お伺いしてもよろしゅうございますか?」
明の声は、先ほどまでの初々しい新妻のものから、どこか探るような、冷ややかな響きを帯びていた。
「ん? 何かな?」
「此度の道中、そして下総の町並みを拝見し、私も叔父上と同じく驚嘆いたしました。しかし、私が気になったのは、その『速さ』です」
明は俺を真っ直ぐに見据えた。
「街道の整備、独自の商品開発、さらには他国との物流網の構築。これらを一朝一夕で成し遂げることは不可能です。父上(氏康)も内政には心を砕いておりますが、千葉家のように数年で劇的な変化をもたらすには至っておりません。……御屋形様は、一体『どこから』そのお考えを思いつかれたのですか?」
その眼差しは、年齢にそぐわないほど鋭かった。
氏康から「千葉の秘密を探れ」とでも命じられているのだろうか。それにしても、執拗すぎる。
「えっと、それはさきほど左衛門大夫殿(綱成)にも言ったのだが、領民の声を聞いたり、家臣たちと話し合ったりして……」
「話し合いで出るような発想ではありませぬ! 特にあの『専売』に近い流通の仕組み。あれは誰か特定の、非常に高度な知識を持つ者の主導がなければ構築できないはず。御屋形様ご自身の発案ですか? それとも、誰ぞ異国の商人の知恵でもお借りになったのですか?」
「いや、だから、南蛮人との交流で得た話やら、本当に色々な偶然が重なって……」
「偶然でここまで発展するはずがありませんわ!」
明は語気を強めた。
その眼光、迫力に、俺は思わずたじろいだ。
それにしても専売だの構築だの、この時代にそんな発想あったかな?
「……少し、頭を冷やそう。喉も乾いたろう?茶を用意させよう。誰かある!」
俺は彼女の追及から逃れるように立ち上がり、廊下へ出た。
小姓に冷えた茶を持って来るように命じた後、上を向いて深呼吸をする。
氏康の娘、恐るべし。あの調子で毎晩詰め寄られたらたまらない。どうやって誤魔化し続けるべきか。
そんなことを考えながら、茶が用意されたので部屋に戻ろうとした時だった。
襖の向こうから、かすかな呟きが聞こえた。
「……おかしい。北条と千葉が対等の同盟を組むなんてあったかしら・・・何より千葉家がこんなに強大化するなんて……。どこで間違ってこういう歴史に……」
ガタンッ!
俺は手から茶器を落としそうになり、慌てて壁に手をついた。
『どこで間違ってこういう歴史に』?
全身の毛穴が粟立つような感覚。
今、なんて言った?
歴史が間違っている? どうして彼女がそんなことを気にする?
まさか……。
俺は動悸を抑えながら、聞いていないふりをして部屋に戻った。
明は何事もなかったかのように居住まいを正していたが、俺の頭の中は混乱の極みにあった。
明は転生者だったのか?
彼女も、俺と同じように未来の知識を持っているのか?
俺はその後、彼女の質問を適当にのらりくらりとかわし続け、その夜は背中を向けて寝た。
彼女に直接「其方は転生者か?」と聞く勇気は、今の俺にはなかった。
こうして俺は北条氏康の娘婿となった。
北条家に対しての義理立てがまた一つ増えた訳だ。
しかしながら、妻への対策をも色々と考える必要が出て来た訳で・・・。
人生、ままならぬものだ。
お読み下さり有難うございます。
稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。
生暖かい目で見てくださると幸いでございます。




