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転機の年と黄金の菓子

転機の年と黄金の菓子


天文二十四年(1555年)3月(13歳)。


 史実では第二次川中島の戦いが起こった年のはずだが、この時間軸では俺が村上に結構な量の物資の販売支援を行っているからか、武田が信濃を抜くような兆しはまだ見られない。

最も激しいと言われる第四次は確か1561年(永禄4年)だけど、これはもう少し後になってしまうかな?それとも貧した武田が方針転換して上野か武蔵に押し寄せてくるか?いずれにしても北条の手伝い戦だけど、相手が相手なので、楽にとは行かないだろうな。


 それにしても今川が直接攻撃してくるようになるとは、余程ヘイトを稼いでしまったらしい・・・。

本来なら北条を飛び越えて房総まで手を伸ばしてくるなど、無謀の極みのはずだからな。

織田信長がもっと今川とやり合ってくれればこっちに目を向けて来る事もなかっただろうに。

まだ尾張はまとまらないのだろうか?


 信長と斎藤道三が邂逅したのが一去年の四月だったな。

信長が生まれたのが確か天文三年六月(1534年)だから・・・今は20歳か。

俺(親胤)より七歳年上だな。


 史実ではあと5年で桶狭間の戦いのはずだけど、果たして義元は上洛する気になるのかな。

今の状況だと、尾張方面ではなくこっちに向かって来そうだし、そうすると信長が良いところを見せられないけど、その後はどうなるのだろうか?

足利義昭が信長を頼る可能性が低くなって上洛出来ない、もしくは他の勢力に先を越される、かな?


 色々流れを変えてしまった自覚を持った方が良いかも知れないな、これは・・・。

いや、相当やらかしている自覚は・・・ある。


 思えば、すでに記憶にある正史とは全く違ってきている。

今の所、俺と関わりのない西国の方や奥州の方は影響が少ないので、ほとんど変わった様子は無いが、関東においてはかなりの変化があったとおもう。

自然な人の生き死にには影響は無いが、それ以外の事は変えまくった・・・と思う。


 これからは情報をよく精査して、慎重に判断しなくてはならないな。

もっと自分の感覚を磨かねば。

まぁとにかく今は自分が生き残る事を優先に考えよう。


 だが・・・何か重要な事を忘れている気がしている。

・・・・・・そういえば!雪斎が死ぬのは天文二十四年、つまり今年ではなかったか?

年の後半だった気がするが、これは各方面にかなり影響が出る事だ。

葉隠衆には、しっかりと今川を見張るよう指示しなくては!



―――そんな歴史の転換点とは対照的に常陸南部の「旧小田領」には、信じられないほど穏やかな空気が流れていた。


「おーい、長助! その籠は重かろう、儂が担いでやる!」

「ひぇっ、お殿様! いけません、それは百姓の仕事ですだ!」

「気にするな! わしはもう殿様ではない。代官じゃ!そんなことはどうでもよいのじゃ。年寄りは労わるものだぞ。がははは!」


 小田氏治は、今日も今日とて泥にまみれていた。

千葉家から派遣された行政官・松田胤興は、当初は氏治を見て困惑していた。

一時は大名として南常陸を統べていた御方であるはずなのに、庶民に対しあまりにも気さく過ぎて威厳も何もない、ただの盆暗武将ではないのか?と。

しかし、行動を共にして時が経つうちに、彼は自分の考えが間違っていたことに気づき始めていた。


「……松田殿。見てくだされ」

飯塚刑部が、土手の上から松田に語りかける。

「氏治様が笑えば、民も笑う。民が笑えば、開墾の手が進む。御屋形様の領民を富ます政治に、氏治様のこの『人懐こさ』が混ざることで、この南常陸の領民はかつてないほど一丸となっておりまする」


「……左様ですな。並みの国人領主様では、民からこれほどの親しみの笑顔は引き出せませぬな」

松田も、手元の帳簿を閉じ、ふっと微笑んだ。


 氏治は、泥だらけのまま蓮根を齧り、空を仰いだ。

「刑部! 松田殿! 見ろ、この蓮根の穴を! 先まで見通せるではないか! 御屋形様が言った『新しき世』も、きっとこのように先まで明るいものに違いない!」


 家臣たちは、泥にまみれた主君の姿に、かつて佐竹に追われ、死を覚悟した時の事が嘘のように感じられた。臣従して良かった。御屋形様―――あの十二歳の少年、千葉親胤に。自分たちの誇りと未来を預けて正解だった――。

小田家家臣の面々はつくづくそう思い、ほっと胸を撫でおろすのであった。


―――なお、この翌日から氏治は腹痛の為、3日ほど寝込んだようだ。

生の蓮根で腹を壊したらしい。

それでも笑い話にしているらしく、強かなのか、愚かなのかわからない人だ。


天文二十四年(1555年)4月 本佐倉城


 南常陸での佐竹との激闘、そして今川水軍の南房総襲撃から時が経ち、しばらく平穏が続いている。

春の暖かな空気を感じる城内の一室にて、白井浄三は一冊の兵法書を広げ、極めて真剣な面持ちで読み耽っていた。しかし、その手元をよく見れば、戦の陣形図をなぞる指先とは別に、傍らの盆には見事な切り口の「カステラ」が鎮座している。


 カステラは、もともと原産地のポルトガルにおいては「パォン・デ・ロー(絹のパン)」と呼ばれる菓子の事だったらしい。


 たしか現代日本でもその名称で同じようなものを提供している店舗もあるが、ポルトガル人が日本に持ち込んだ際、どういう意図かは不明だが最初に「パォン・デ・カステラ(カスティリヤ地方のパン)」と紹介したことから、戦国期の日本ではパォン・デ・ローが「かすていら」となったらしい。


 パォン・デ・ローはカステラとは形状も食感も少し違うもので、俺が前世で食した物は、形は円形のホールのベイクドチーズケーキのようで食感はスフレっぽいというか、ソフトな分厚いパンケーキに近い。

それがいつ後世日本で親しまれているカステラのような形状、食感にかわったのかというと、確か江戸時代頃に日本人好みに改良されたものと聞いた事がある。


 さておき、浄三は周囲を慎重にうかがうと、優雅にその一切れを口に運び、至福の表情で目をつむった。


「ふむ……卵の甘味と、この密やかな焼き加減。やはり、砂糖の配分を少しばかり増やして焼くよう申し渡して正解であったな。ふふふ」


 低く独りごちたその時である。背後からひたひたと歩み寄る足音がした。


「ほう、浄三。軍略の思案かと思えば、随分と美味そうな軍議を執り行っているのだな」


 振り返ると、そこには不敵な笑みを浮かべた親胤が立っていた。浄三はギクリと肩を震わせ、慌ててカステラを口の奥へ押し込む。


「……お屋形様。いつからそこに」

「最初からだ。そのカステラを愛おしそうに口へ運ぶ、なんとも艶やかな横顔から拝見していたぞ」


 俺はケラケラと笑いながら、浄三の向かいに腰を下ろした。浄三は咳払いをして平静を装う。


「あいや……これは、気力を養うための……その、薬のようなものでしてな。甘味はこころの冴えを活性化させるのです」

「ほう? 薬か。それならば、わざわざ領内の菓子鋪に出資をしてまで己が好みに仕立て上げ、職人を呼びつけては、あれこれと注文を付けているのは、医術の一環というわけだな!」


 俺の追及に、浄三は顔を真っ赤にして視線を逸らした。

浄三の密かな愉しみは、とっくの昔に俺の耳に入っていたのである。

これは面白いと思ったので、機会があればからかってやろうと思っていたのだが、思ったより早くその機会は訪れた。


 何を隠そうこの俺も前世では洋菓子には目が無かったので、最初ポルトガル人から献上されたパォン・デ・ローを食べた時は本当に嬉しかった。


そして、なんとこの浄三は己が欲求を追求した結果、食べたこともないはずの後世日本で一般的になる「カステラ」の原型を作り上げてしまったのだ。


 葉隠衆が浄三の出資している店で、そのカステラが個数限定販売されているのを朝から並んで入手して届けてくれた。

食べた瞬間、一口目はその甘さが口いっぱいに広がり、二口目はしっとりとした食感を愉しみ、三口目はあっという間に口の中で溶けるように無くなってしまい、もっと食べたいという欲求が生まれた。


 とは言え、上司風を吹かせて浄三に集るのも大人げないので、お茶を誘う体でカステラを頂こうという作戦だ。


「陣頭にて兵の指揮を執る時のあの鋭い眼光はどこへ行った?今の其の方は、まるで密壺を覗き込む幼子と大差ないぞ、ははは!」


「お屋形様、ご無体な……。某とて、鬼の面ばかり被っていては身が持ちませぬ」

浄三は少し気恥ずかしそうにうつむきながら言い訳した。

「案ずるな。浄三が『甘いもの好き』だという事を知っているのは、この俺だけだ。……あ、いや作左衛門は知っているな。俺がこれを知ったのは作左衛門からだからな。よし、わかった。浄三の秘密の店から特別に焼かせたカステラを食わせてくれるなら、京から取り寄せた旨い茶を進ぜよう」


 俺はいたずらっぽく片目を閉じて見せた。

浄三は深いため息をつきつつも、その口元には隠しきれない苦笑が浮かんでいた。

恐らくは俺の狙いに気づいたのだろう。


「……全く、お屋形様には敵いませぬな。承知いたしました。最高のかすていらをご用意致しましょう」

「うむ。ふたり旨い茶で楽しむとするか」

よし、カステラをゲットだ!

これはまさしく黄金の菓子だ。


 戦の匂いがしない、穏やかな城内。

戦巧者で通る軍師白井浄三と俺の二人で甘味に頬を緩めるこの光景は、中々に稀有だろう。

女子会みたいだな・・・。

だが、日頃気を張り詰めている俺と浄三にとっては癒しのときだ。

せめて今だけは戦の事など全て忘れて甘味を楽しもう。

こういう毎日が送れるように俺は戦うのだ。


お読み下さり有難うございます。

稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。

生暖かい目で見てくださると幸いでございます。

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