北条の憂鬱と婚姻準備
天文二十三年(1554年)10月
小田原城の奥座敷。木漏れ日がやさしく庭の池を照らしているというのに、そこに漂う空気はどこか引き締まっていた。
上座にどっしりと腰を据えているのは、相模の国主北条氏康。
その傍らに控えるのは、北条家の知恵袋として幾多の難局を切り抜けてきた氏康の叔父・北条幻庵。そして、庭に面した縁側の近くには、黄斑の陣羽織を身にまとった氏康の義弟である北条綱成が腕を組んで控えていた。
「またか……」
氏康が手元の密偵からの報告書をテーブルに置き、低く唸った。
「武田め、甲斐と武蔵の国境付近で、またぞろ小賢しい真似をしておる。大軍を率いて攻め寄せてくるわけでもなし、かといって放っておけば国人衆を切り崩しかねん。実に嫌らしい」
「はっ」と小さく息を吐いたのは幻庵である。白髪混じりの髭を撫でながら、老練な目を細めた。
「武田のやり口は相変わらず周到にござりますな。こちらの神経を逆撫でし、いざとなれば国境の山城を盾に引き上げる。上野、武蔵への足がかりを完全に諦めたわけではなさそうですな」
綱成が低く渋い声を重ねた。
「大膳大夫に叙せられたという驕りがあるのでしょう。あの甲斐の虎の尻尾を一度綺麗に踏みつけておかんと、今後も同様の横槍が続きましょう。ですが、問題は西の武田だけではありません。北の上野に目を向ければ、厄介ごとがもう一つありまする・・・」
綱成の言葉に、氏康と幻庵の表情がわずかに険しくなった。
上野国――。北条家が関東全域を見据える上で、どうしても避けて通れない最大の壁。西上野の有力国人領主、長野業正である。
「箕輪城の長野業正……か」
氏康は腕を組み、天井の一点を見つめた。
「我が軍が幾度となく攻め立てようと長野は少しも動じない。城の堅固さはもちろんのこと、あの老将の采配と、上野武士たちの我らに対する反感は鉄よりも硬い。正面から力任せに叩いたところで、深手を負うのはこちらの方よ」
「まさに難攻不落。業正が生きている限り、上野の完全平定は少々難儀ですな」
幻庵が苦り切った顔でそう呟くと、広間には重苦しい沈黙が落ちた。長野業正の存在は、北条家にとって北進の足を完全に縛る重石となっていた。
しばらくの静寂のあと、綱成がふっと息をつき、話題を別の方向へと転がした。
「……それはさておき、千葉介殿もなかなかのものですな」
「ふむ。先の今川戦の折にはおおいに助けてもらったな」
「そうですな。しかもその後、佐竹が南下してきた際、盟を結んでいた小田氏へ援軍を派遣し、佐竹軍を完膚なきまでに叩き潰した。その勢いのまま、南領の国人衆十一家を説き伏せ、総数二十五家を従えて本佐倉城へ参陣させたとか。あの歳、あの短き間で、上総、安房、下総から常陸の南半分までを実質的に手中に収めた手腕は、ただの神童の域を超えておりますぞ」
親胤の話が出た瞬間、幻庵の目がわずかに光り、氏康もふっと含み笑いを漏らした。
「全くじゃ……叔父御、この間の今川水軍の襲撃も鮮やかに打ち払っておったしのう・・・もし千葉介殿が我が北条の立場に立って、あの長野の箕輪城を攻略せねばならぬとしたら、どう動くと思う?」
幻庵は少し考え込むように顎に手を当てた後、くすりと笑った。
「今川水軍の襲撃に遭ったのは、完全に我らの手伝い戦のとばっちりでありますな。何か見舞いを考えた方が良いやも知れませぬ」
「なるほど、そうだの。何か見繕っておくか」
そう言って氏康は何かを書き付けて小姓に渡す。
「さて、この幻庵、神童の考える事は読めませぬが、これまでの戦をつぶさに見て居った風魔の者から聞き及んだ事には、まず業正の求心力の源泉である周辺の国人たちとの繋がりを、緻密な外交と調略で一本ずつ断ち切る。城を孤立させ、兵糧が尽きるか、内部から疑心暗鬼が生じるのをじっと待つ……いや、それだけではないな」
「ほう、続けよ」
「おそらく、武田や他の勢力の誘引をも巧みに利用、混乱を生じさせて、業正が動くに動けない包囲網を完璧に完成させてから、降伏に追い込むでしょうな。中々降伏せぬ場合は、かの大筒を使って城の防備を叩き潰すのではありませぬか。そうされれば戦意たちまちのうちに委縮し、もう降るほかはありますまい。しかも早い段階で降伏した場合と、最後まで抵抗した場合の扱いに差もつけるでしょうな。そうした現実的な算段が、千葉介殿には備わっておると某は思うておりまする」
「ふふ、確かにな。我らとは、少し色合いが違う。だからこそ面白い・・・・そういえば叔父御。千葉介殿との間に我が娘、明との婚約をすでに結んでおったはずだが」
「はっ。既に話はついております」
「うむ。戦が一段落し、千葉介殿も常陸のほうで基盤をしっかりと固めた今、これ以上引き延ばす理由もないだろう。歳もそろそろ十三歳であったか?良い頃合いではないかと思うのだが、どうだ?」
幻庵は主君の意図を察し、力強く頷いた。
「殿のお考え、ごもっともにございます。今のうちに両家の結びつきをより強固にしておけば、武田の動きに対しても、そして北の長野対策においても、千葉との連携は大きな力となりましょうな」
「よし」
氏康はそう言って外庭に視線を移すと、不意に表情を和らげ、隣に控える綱成に向き直った。
「孫九郎、其の方も今川戦の折に舎弟、弁千代(綱房)が千葉介殿に助けてもらった身ゆえ、何かと話したき事もあるであろう?此度は其の方が千葉介殿への使者として行ってもらえるか?」
「は。仰せのままに。ついでに今川戦の折の話をして来たいと思いまする」
「うむ。では頼んだぞ。」
氏康は決然と言葉を発すると、近くに控えていた側近に命じて硯と紙を用意させた。手際よく筆を取ると、サラサラと流暢な筆致で親胤宛ての書状を綴り始める。娘を送り出す父としての一片の親心と、一国の主としての政治的な思惑が絶妙に入り交じった、そして力強い文字が白い紙を埋めていった。
書き終えた書状を綺麗に折り畳み、朱印を押すと、氏康はそれを綱成に差し出した。
「孫九郎、この書状を直接持って下総へ赴け。千葉介殿に渡し、婚儀の具体的な日取りをしっかりと決めてくるのだ。日取りは先方に任せても良い」
「はっ! この孫九郎、しかと大役を果たして参りましょう」
綱成はニヤリと笑うと深く一礼し、両手でしっかりと書状を受け取った。
甲斐の虎の気配が忍び寄り、上野の老将が立ちはだかる緊迫した情勢のなか、関東の勢力図を大きく塗り替える新たな婚姻の膳立てが、こうして静かに進められていく。
天文二十三年(1554年)11月(13歳)
とうとう13歳、この世の一般的な武家では元服するくらいの歳だ。
俺は何だかんだ6歳の時に元服してしまっているから、あまり意識していなかったが、後北条家の娘と婚約していたのをうっかり忘れていた。
令和の世の中なら、まだ中学校1年じゃないか。
まだ子どもだというのに結婚が許されているという感覚が、この世界に来て12年も経っているというのに、中々意識がついていけていない。
そんな中、北条氏康から米や酒の差し入れとともにお手紙が来て「13歳おめでとう!世間一般でも元服するような歳になったね。ああそういえばもう元服は済んでいたね。今川との戦いでは本当にありがとう。おかげさまで義元の奴も少し大人しくなったよ。武田と組んだみたいだからまた攻めてくると思うけど、その時はよろしくね!頼りにしているよ。それはそうと、うちの娘との結婚忘れてないよね?そろそろいいんじゃない?」直訳するとそんな内容だった。
約束は約束。
反故にするわけにはいかないし、そんな理由もなし。
今のところ後北条氏は重要な同盟相手なのでぞんざいに扱う訳にはいかない。
だから、ここは正史通りの政略結婚だけどきちんとするつもりだ。
それよりも今、氏康からの手紙を持参して俺の前に座ってニヤニヤしているこの男。
北条孫九郎綱成・・・地黄八幡、俺が会って見たかった男ではある。
色々と話を聞きたかったのだが、俺の顔を見てずっとニヤニヤしている・・・。
「・・・・あの、左衛門大夫殿?何か某の顔に面白いものでも?」
「あ、いや、これは失礼し申した。あの雪斎坊主を退けた、千葉の神童と言われし千葉介殿の尊顔を拝する事が出来て嬉しかったのでござる」 ・・・・・。
・・・何を考えているのか、つかみどころが無い人だ。
気を取り直してとりあえずは話を聞いてみるか。
「左京太夫殿からの文については承知しました。して、日取りについてご所望はありますかな?」
綱成は顎髭を撫でながら少し考える仕草をした。
「我が殿からは、特に申し付けはござりませんでしたな。千葉之介殿にはご所望はありますかな?」
「されば・・・・・?」ん?なんだろう?何か引っかかる気がする。
そろそろどう?と言って来ておいて日取りの打診が無いが、信頼されているからか?
「日取りの打診が無いのですか……」
俺は努めて平静を装いながら、机の上に置かれた文を指先でなぞった。
北条氏康という男は、戦においては苛烈だが、政治的な駆け引きにおいては非常に几帳面だ。その彼が、娘の婚儀という重要事項について、こちらの裁量に完全に委ねてくるとは。
(いや、違うか。これは『察しろ』という、氏康公なりの試しか?)
「・・・・左衛門大夫殿。では、来年の皐月(五月)ではいかがでしょう。春の陽気も落ち着き、支度も十分にできる頃合いかと存じます」
俺の提案に、綱成は「皐月……」と呟き、一度だけ大きく頷いた。
「左様に。皐月ならば、寒さも緩み、吉日を選べば相模と下総の往来も滞りますまい。我が殿も、その頃であれば万障繰り合わせてお祝いに駆けつけることでしょう」
「左京太夫殿ご本人が!?それは恐悦至極に存じまする」
「なんの、他でもない千葉介殿と我が殿の娘御の婚礼。我が義兄もやぶさかではありますまい。」
話がまとまったことに安堵しつつも、どこか不自然さが胸に残る。
だが綱成は相変わらずその猛々しい相貌に柔和な笑みを浮かべていたが、ふと、心配げな表情を浮かべた。
「千葉之介殿。老婆心ながら。貴殿のような若駒が、こうして周辺諸国の情勢を先読みし、勢力を拡大していく。……まことに頼もしい限りですが、あまりに突出しては、危うきこと。また、万事、疾きを以て先手と成す、その事は尊き事ではあり申すが、御身の歳では周囲の嫉妬を買いかねませぬ。よくよく用心されるがよろしかろう」
綱成はそう言って、冗談めかして肩をすくめた。
「出る杭は打たれますからな。……才知に富む者は、常にその均衡を保つのが何より難しい」
!!!その言葉が、俺の鼓動を跳ねさせた。
『出る杭は打たれる』。
以前にテレビのクイズ番組で見た覚えがあるが、それは確か江戸時代の中期ごろに成立したことわざと聞いた・・・。
どういうことだ???
いや、もしかしたら既にこの時代には一般的になっていたのかも知れないし・・・。
「……左衛門大夫殿、ご配慮まことに忝く。この親胤、肝に銘じまする。しかしながら、時は金なりと申しますから、機が熟したと見るにこれを捉えねばいささか勿体のうござりますからな」
俺は探るように彼の目を見た。綱成は一瞬だけはっとした後、とぼけた表情に変わり、またすぐに、おお、という表情に変わった。百面相だな。
「ははは! いやはや、失言にござる。ただの世迷い言、千葉の神童たる貴殿に説教とはおこがましい。忘れて下され。それにしても、時は金なりとは至言にござるな」
う~ん、さらりといなされた・・・・のか?
わざと18世紀頃のイギリスで生まれたと言われる有名なことわざ“時は金なり”を使って反応を見たが、かわされたのか、それとも本当にただの偶然か。
今回の対面だけで、何かを断定するのは早計だろう。しかし、少なくとも俺の中にあった『綱成=猛将一筋』という認識は、少し変わった。
——次は、もう少し踏み込んでみるべきか。
俺は心の中で深く息を吸い込み、表情を崩さないように努めた。
「……なるほど。では皐月、心待ちにしております」
「左様。某も小田原に戻り、この吉報を義兄に伝えねばなりませぬ。あぁ、楽しみですな。婚儀の席で、また貴殿とゆっくり言葉を交わせるのが」
綱成は満足げに立ち上がると、礼儀正しく一礼し、足早に部屋を辞していった。
その背中を眺めながら、俺は改めて、この戦国という時代がいかにも修羅の世界であるという事を痛感していた。
(出る杭は打たれる、か……。俺の知る歴史とはすでに違っているから確信はないけど、もし彼が本当に俺と同じ転生者だったとしても、素直に協力しあえるのか?)
遠ざかる背中を見送りながら、俺は婚儀の席が政略結婚の祝宴以上の意味を持つことになるかも知れないとぼんやり考えていた。
お読み下さり有難うございます。
稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。
生暖かい目で見てくださると幸いでございます。




