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高の島沖海戦(館山沖海戦)

今回は合間の戦いでして、やや短めとなっています。

天文二十三年(1554年)8月(12歳)。


駿河湾には、今川家の威信を懸けた大船団が集結していた。


 今川義元の命を受け、長らく渡海攻撃の準備を進めてきた興津水軍にいよいよ出陣の号令が下されたのである。

総大将には庵原忠胤、水軍の将には興津水軍の長である興津清房が任じられた。

副将には岡部貞綱、そして在地の海賊衆である三保氏と大野氏が与力として加わり、後方の兵糧輸送と支援には三河・遠江の水軍衆が充てられている。

その戦力は、大安宅船三隻、関船四十隻、そして小早二百艘。

操船員以外の兵数は四千名という大規模なものであった。


 攻撃目標は、安房の高の島湊(館山)である。

主な目的は千葉領への直接攻撃を敢行し、湊や城を激しく焼き払うことで、前回の戦の報復合戦と「海道一の弓取り」たる今川家の恐ろしさと威信を再び天下に示すことであった。


 しかし、この今川水軍の物々しい出立準備は、すでに俺の知るところとなっていた。

駿河湾の沖合に展開していた千葉家の物見(偵察)用高速船――南蛮の造船技術を取り入れた「唐部入船(キャラベル船)」が、いち早くその動向を捕捉した。


 唐部入船はその驚異的な速力で波を切り裂き、瞬く間に高の島湊と木佐良津湊(木更津)へと今川水軍出陣準備の報をもたらした。

本佐倉の俺の元には木佐良津湊の代官である安西堯元(生実の戦いで討死した安西実元の従弟)から早馬で報告が上がってきた。


そして評定の間にて。


「さて、皆の者。今川が性懲りもなく海から安房へ攻め寄せてくるようだ」


「先日、葉隠の者より報せが参っておりましたな。して仔細のほどは?」

俺の言葉に浄三が反応していち早く確認をしてきた。


「報せによると大安宅船三隻、関船四十隻、そして小早二百艘余りとの事だ」

「すると、兵数は四~五千というところでしょうか?」

俺が船の数を教えると胤貞が即座に暗算で兵数を割り出したようだ。。

これまでも俺の側仕えが長い、その成果が出ているようだ。


「うむ。義舜、其方の領地であるが、迎え撃つ兵力の方はどうなっている?」


「はっ。領内警備の軍と即応の軍を合わせ、おおよそ五千の兵力ですぐに対応出来まする。また、水軍衆にも声を掛けて関船二十と小早百ほど集められるよう日頃より調練しておりまする」


「良し!では義舜はすぐに館山へ戻って迎撃の準備を整えよ。追って後詰の常備軍1万を送る故、安心致せ」


「ははっ!ありがたき幸せ!ときに・・・御屋形様。一つ愚見(ぐけん)ながら、申し上げたき儀がございます」

「ん?どうした義舜。申してみよ」

「当家には現在南蛮渡りの船、大筒を搭載した重唐船(重キャラック)が4隻ほどございますな?」

「うむ。習熟訓練中であったが、やっと実戦に耐えうるようになって来たと聞いておる」

「されば、陸地側の我が里見水軍と重唐船を含む千葉水軍にて敵の船団を挟み撃ちにするのは如何でございましょう?陸地から大筒でも攻撃できますので、一網打尽にござりまする」


そういえば、後の里見義弘って義舜のことだったな。

なるほど、さすが里見家きっての水軍を知る漢だ。

こいつは海戦にも通じていると感じ、それがヒントで急に思い出したが、どうりで優秀なわけだ。

よし、今回の迎撃差配は義舜に大体を任せよう。


「義舜。今回の総大将は其の方に任せる。存分に力を振るって見せよ」

「なんと?!某が総大将を・・・ははーっ!謹んで承りましてございます。見事敵を討ち果たしてご覧に入れまする」


即日に後詰の常備軍の編成と移動、そして千葉水軍の出陣準備を指示した。

そしてその後は総大将の里見義舜に従うよう通達した。


それから数日後。

大挙して高の島湊へと押し寄せた今川水軍の前に立ち塞がったのは、あらかじめ防衛のために出動していた里見義舜配下の秋元民部少輔率いる水軍であった。


「構え! 放てッ!」


今川軍が湊へ接近を試みると同時に、海岸に設置された急造の砲台からは火を噴くような砲撃が加えられた。

轟音とともに水柱が上がり、前衛の小早が粉砕される。


劣勢だが里見軍の粘り強い海上防衛と、陸上からの苛烈な砲撃の連携により、今川水軍は容易に上陸を果たすことができず、戦局は一進一退の膠着状態に陥った。

波間に矢弾が飛び交い、幾度も攻めたり押し返されたりの激しい攻防が繰り返される。


しかし、時間が経過するにつれ、興津清房の指揮のもと、数に勝る今川軍の小早のうち何艘かが砲火の死角を突き、ついに湊への上陸に成功する。

湊に面した民家へと襲いかかり火を放とうとする今川兵に対し、待ち構えていた里見の守備隊が激しい白兵戦を挑む。

逃げ惑う町民たちの悲鳴、燃え上がる炎、そして怒号。

平和だった高の島の街は、一瞬にして凄惨な混乱に陥った。


海上の本陣たる大安宅船の上で、総大将の庵原忠胤は戦況を見据えていた。

「よし、湊の守りは崩れつつある。後詰の三河・遠江の水軍衆も全て前線へ投入し、一気に湊を制圧せよ!」


忠胤が総攻撃の命令を下そうとした、まさにその時であった。


――ズドドォォォォォン!!!


突如として、今川水軍の背後から天地を揺るがすような轟音が連続して轟き、後方に控えていた輸送船や小早が次々と木端微塵に吹き飛んだ。

「な、何事だ!? 背後からだと!?」


振り返った今川の将兵たちは、信じられない光景を目撃した。

本佐倉から移動して来た里見義舜が乗船し、木佐良津湊から出撃して来た「重唐船(重キャラック船)」四隻が、威風堂々とその巨体を現したのである。

その周囲には夥しい数の関船。


千葉家の重キャラック船は、いまだ大筒の調達が完全には間に合っていなかった。

側面にずらりと並ぶ砲門扉四十八基に対し、実際に搭載されている砲数は二十八門と、欧州の標準から見れば明らかに武装不足である。

しかし、装甲を持たない現在の日ノ本の木造船相手ならば、これでも文字通り「無敵」の威力を誇った。


ズドン! ズドン! と吐き出される大口径の砲弾が、今川の関船の胴を易々と貫通し、船体を真っ二つにへし折っていく。

未知の巨船と圧倒的な破壊力の前に、今川水軍は大混乱に陥った。


「ひ、ひぃぃっ! 南蛮船だ!」

「退け! 狙い撃ちされるぞ!」


パニックに陥る今川水軍に、さらなる絶望が襲い掛かる。

そこへ遅れて到着した千葉軍の主力艦隊――大筒を搭載した新型安宅船十五隻と、鉄砲を大量に装備した武装関船百隻が姿を現したのだ。


千葉軍は、今川軍の弓矢が到底届かない安全な距離を保ったまま、一方的なアウトレンジ攻撃を開始した。

鉄砲の弾雨が甲板の兵を薙ぎ払い、大筒が次々と船を沈めていく。それはもはや海戦と呼べるものではなく、完全なワンサイドゲーム――一方的な蹂躙であった。


「これまでか……無念……!せめて一人でも道連れにしてくれようぞ!」

絶望的な状況の中、総大将の庵原忠胤は船乗り込んで攻め寄せて来る敵を果敢に斬捨てていたが、やがて力尽き討死した。


指揮系統を失い、完全に崩壊した今川水軍は全滅の危機に瀕する。


「庵原殿?!・・・退けぇっ! 駿河へ逃れるのだ!」

このころ、既に水軍の将、興津清房は行方知れずとなっており、千葉軍船の砲撃の犠牲となっていたと思われ、副将である岡部貞綱は、辛うじて生き残った大安宅船一隻と関船三隻、小早三十艘をかき集め、血路を開いて駿河方面へと逃走していった。


今川水軍は三千以上の兵を失った。

戦が終わり再び平穏を迎えた海の海面にはおびただしい数の舟の残骸と、今川の旗印が空しく漂っていたのである。


そして天文二十三年(1554年)9月――本佐倉城にて今回の戦の論功行賞が行われる。

里見義舜には見事な迎撃戦の指揮手腕を評価して、これまでの安房郡、平群郡に加えて朝夷郡・長狭郡を加増した。

ここにかつての里見家旧領であった安房四郡が復活した。

里見義堯、義舜親子は涙を流して喜んで、一層の忠義を誓ってくれた。


それにしても今回も情報収集の重要さを身に染みて感じた。

千葉家の暗部はとても優秀である。

葉隠衆を臣下に加える事が出来て、ほんとうによかったとつくづく思うのだった。

お読み下さり有難うございます。

稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。

生暖かい目で見てくださると幸いでございます。

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