妨害
天文二十一年(1552年)盛夏八月(10歳)。
開港してから急速な発展を遂げる下総の銚子湊。
様々な湊から船が集い賑わいを見せる中、影でその繁栄を蝕む存在があった。
米や油、酒などを大きく扱う大商人・井桁蔵持という者は、小規模商人たちへあからさまな圧力を掛け、事実上の出店規制や悪質な価格のつり上げ、さらには裏での談合を繰り返し、地元の町人たちに甚大な不利益を及ぼしていた。
この暴挙は、耐えかねた小規模商人たちの決死の訴えによって発覚する。
報告を受けた政所執事・千葉胤富は、自ら下級武士風の衣服に身を包み、側近の供をわずか二人だけ連れて銚子湊へと潜入した。
開かれた銚子湊は、利根川水運と太平洋の海運が交わる要衝であり、活気に満ち溢れているはずであった。
しかし、視察の為、胤富が足を踏み入れた湊は、どこか刺々しく歪んだ空気が漂っていた。
「また井桁屋の手入れか……」「おい、今日の干鰯の買値、昨日よりさらに二割引まで叩かれたぞ」
浜の荷揚げ場や船宿からは、地元の小商人や船頭たちの悲痛な囁きが漏れていた。
胤富は目立たぬよう酒屋の隅に腰を下ろし、耳を澄ませた。
調査は地道を極めた。胤富は自ら浜の帳場に入り込み、過去数か月分の港銭(港の使用料)や荷揚げ帳簿を密かに裏照合した。すると、不自然な数字が浮かび上がる。
また、聞き込みでは地元の問屋たちが扱う荷の保管料や運賃が不当に跳ね上がっている一方で、井桁蔵持の「井桁屋」だけが湊の優良な荷揚げ場を独占し、他店が出店しようとすれば強大な資金力を背景に嫌がらせや買い占めで圧力をかけて潰していたのだ。
「井桁屋は、独占して儲けることはもちろん、それ以上に他店の手足を縛ることによって市場が冷え込むように仕向けているのではないか?……」
胤富は違和感を覚えた。単なる利益追求にしては手法が暴力的であり、まるで「銚子湊そのものの物流を停滞させようとしている」かのように見えたからだ。
さらに決定的な証拠を得るため、胤富は葉隠衆の協力の元、深夜に井桁屋の専用倉庫に搬入される荷揚げの手形と割印を盗み見た。
そこに捺されていたのは、豪奢で緻密な極印――上方、それも堺の大商人「蜂屋宗佐」の印であった。
「井桁蔵持の背後には、堺の大商人の影がある。……だが、なぜ上方の大商人が、わざわざ東国の湊に手を出そうとしているのだ?南蛮交易で利害がぶつかったからか?いや、それにしては・・・」
事態は単なる悪徳商人の暴利の貪り目的ではなく、きな臭さを確信した胤富は、深まる謎の答えを求め、自ら海路で堺へと向かう決断を下した。
太平洋を越え、摂津国・堺の港に降り立った胤富を待ち受けていたのは、圧倒的な繁栄の熱気と、新参者に対する「巨大な壁」であった。
自治を誇る都市・堺は、会合衆(豪商による自治組織)が支配する特殊な街である。見知らぬ東国者、ましてや武士の匂いをほのかに纏わせた胤富に対し、堺の商人たちの警戒心は極めて高かった。
胤富はまず、千葉家と僅かに取引のあった伊勢の問屋を通じて堺の老舗に接触を図った。しかし、裏での探りを警戒した店主からは門前払いを食らい、持参した紹介状も一顧だにされなかった。
「東国の武士殿が、何の用にござるか。堺の商いは会合衆の法に従うもの。余計な探りは身の破滅でおざりますぞ」
金や酒を積んで情報を引き出そうとしても、大店の番頭たちは鼻で笑い、口を割らない。
それどころか、胤富たちの行動は即座に街の監視網に引っかかり、背後にあやしい視線を感じるようになった。
「このまま大店を当たっても埒が明かん。わかってはいたが堺の表通りはあまりに堅い」
宿に戻った胤富は、埃にまみれた足を桶の水で冷やしながら、自らの失策を噛みしめた。
武士としての格式や正攻法など、この自由都市では何の意味もなさない。
翌日から、胤富はなりふり構わぬ「泥臭い調査」へと切り替えた。
身なりを、さえない旅商人に変え、華やかな表通りから、港の荷揚げ人夫が集まる格安の飲み屋、裏路地の雑魚寝宿、あるいは質屋の店頭へと足繁く通った。
毎日、足が棒になるまで歩き回り、よそ者を見る生あたたかい視線を浴びながらも、些細な噂話や愚痴に耳を傾けた。
「蜂屋の宗佐様か? ああ、あのお方は最近、東国の荷をずいぶんと扱っておられる。だが、妙なことにな、『銚子湊へ送る品は制限する』ことも行おうとしていると噂だ」
「宗佐様の屋敷には、夜な夜な他国からの怪しげな客が出入りしておるよ。堺や畿内の者ではない、駿河か遠江あたりの者たちだと思う」
酒場で得た断片的な情報を繋ぎ合わせるうち、蜂屋宗佐の屋敷がすべての陰謀の鍵になっていることが絞り込まれていった。
しかし、具体的に「誰が」蜂屋を動かしているのか、その核心たる名前だけがどうしても掴めない。
慣れぬ土地で精神的にも肉体的にも疲れが出つつあった調査開始から十日目の昼下がり。
胤富は疲弊した身体を引きずるようにして、蜂屋の屋敷が見渡せる町外れの小さな木陰へとたどり着いた。
買い求めていた冷えた握り飯と小さな焼き魚の包みを広げ、溜息をつきながら口へ運ぼうとした――まさにその時である。
好奇心に満ちた瞳をした、ひとりの貧しい身なりの童が、物欲しそうにこちらを見つめていることに気づいたのは。
胤富が優しく微笑み、温かい握り飯を差し出すと、童は目を輝かせてかぶりついた。
その童は、堺の有力商人である蜂屋宗佐の屋敷で働く使用人の子であり、日常的に屋敷内を出入りしているという。
童は握り飯を頬張りながら、素直な口調で言った。
「おじさんは優しいね。蜂屋の屋敷によく来るともの様なんて、おいらが前に立つと『邪魔だ小童!』って足蹴にしていくんだぞ」
その言葉に胤富の目つきが変わった。
「ともの」――それは駿河の大商人であり、今川家の商人頭として名高い友野宗善に違いなかった。
堺の蜂屋と駿河の友野が裏で手を組み、下総の経済的拠点である銚子湊の発展を阻害しようと画策していたのだと推測される。
今川家とは北条家の手伝い戦で干戈を交えた間柄で、先方からは大層敵視されているとも聞いているので、合点がいった。
背後に潜む東国の政治的思惑を一瞬で見抜いた胤富は、すぐさま海路を渡り下総へと舞い戻った。
本佐倉城に出仕すると、すぐさま謁見を申し出て、俺に事の次第を報告した胤富は、間髪入れずに井桁蔵持の捕縛へと動いた。
そして本佐倉城の裁きの間―――。
平伏しながらも、井桁蔵持の背中には隠しきれぬ尊大さが滲み出ていた。
「殿様、政所執事様。何かの間違いでございます! 私は、この銚子湊の発展に骨を折ってきた身。それを不当に捕縛されるとは、いかなる仕儀にございましょうか!」
高飛車にしらを切り、堺の威光を盾に白を切る蔵持に対し、吟味席の胤富は静かに扇を叩いた。
「ほう……発展のための骨折り、か。ならば蔵持、この者たちの前でも同じことが言えるか?」
胤富の手招きに応じ、固い表情の町人三名が裁きの間の下座へと引き入れられた。銚子湊で長年商いを営む小規模商人たちである。
「面を上げよ。勝造、徳兵衛、伊助。恐れることはない。見たまま、受けたままを語れ」
最初に口を開いたのは、干鰯問屋の勝造だった。絞り出すような声が広間に響く。
「……井桁屋様は、うちのような小さな問屋に対し『井桁屋以外の船に干鰯を売るなら、明日から湊に船をつけられなくしてやる』と脅しをかけ、相場の半値以下で買い叩きました。逆らった魚問屋は、夜中に倉庫を荒らされました……!」
続いて、船宿を営む徳兵衛が涙を浮かべて声を荒らげた。
「井桁屋の手代どもは、優良な荷揚げ場を独占し、上方や他国から来た船をすべて井桁屋の倉庫へ強制的に誘導しております! 諸国の船頭たちも『銚子は井桁屋の横暴で商いにならん』と嘆いておりますだ!」
最後に、米商人の伊助が震える手で血涙の証言を重ねる。
「井桁屋は裏で他の大店と談合を行い、米の相場を不当につり上げました。また、我々が他領の商人から直接米を仕入れようとすると、横槍を入れて商品を買い占め、商売を邪魔されたのです!」
三人の悲痛な訴えに、お白洲の空気が緊迫する。しかし、蔵持は鼻で笑い、せせら笑ってみせた。
「ハッ、僻みと妬みに満ちた田舎商人の妄言! 政所様、このような確たる証拠もない口裏合わせを鵜呑みにされるとお戯れを。証拠です、証拠をお示しくだされ!」
「証拠、か」
胤富の口元に、冷ややかな笑みが浮かんだ。胤富は懐から何通もの書状と、堺で写してきた荷揚げ帳の控えを取り出し、畳の上に放り投げた。
「蔵持。お前が堺の蜂屋宗佐とやり取りしていた極印入りの割印手形だ。それだけではない。蜂屋の屋敷に夜な夜な密会していた男の名を教えてやろう。……駿河の今川家が誇る商人頭、友野宗善だ」
「な……!?」
蔵持の顔から、一瞬で血の気が引いた。胤富は逃さず、静かに、しかし刃のように研ぎ澄まされた声で追い詰めていく。
「お前の狙いは単なる儲けではない。蜂屋と友野から資金を受け取り、銚子湊の物流を意図的に停滞させ、我が千葉家の経済基盤を揺るがすことだったのだ。覚えがあるであろう?」
「な、なぜ……なぜその名を知って……! 堺の他の会合衆も知らぬはずの秘事を……!」
膝をガタガタと震わせ、滝のような汗を流す蔵持は、もはや言葉を紡ぐことすらできなくなった。
言い逃れのできぬ動かぬ証拠と、真の黒幕まで見抜いていた胤富に、もはや尊大な態度をとる事が出来ないほど余裕がなくなったようだ。
「……叔父上、見事な吟味でした」
これまでは胤富のお手並みを拝見しようと静観していたが、思わず声に出てしまった。
「当家の法を犯し、領民の営みを脅かし、他国の陰謀に手を貸した罪、断じて許し難い。――井桁蔵持。その方の私財はすべて没収とし、本日ただちに当家領外からの退去を命ずる。二度とその足を下総の土に踏み入れることは許さぬ!」
「お……お許しを、お許しくだされぇーっ!」
引き立てられていく悪徳商人の見ぐるしい叫び声が、遠ざかっていく。
静けさを取り戻した広間で、深く頭を下げる三人の商人たちに向け、俺は穏やかを心がけて声をかけた。
「皆、よくぞ勇気を出して証言してくれた。これより銚子湊の商いは、すべての者が正当に競い合い、潤う場としたい。その方らも協力してくるな?さすれば安心して商いに励む事が出来るぞ?」
「ははっ……! ありがたき幸せにございます!もちろん最大限に協力させていただきまする」
商人たちは畳に額をすりつけ、感涙にむせんだ。
政所執事である我が叔父、胤富の粘り強い捜査と明晰な裁定。
千葉家の法治国家としての威信が、領内に強く示された一幕であった。
これにより千葉家領内は法度により安心して商いが出来ると評判になり、益々賑わいを見せるのだった。
お読み下さり有難うございます。
初投稿の素人ですので、稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。
生暖かい目で見てくださると幸いでございます。




