北征
天文二十一年(1552年)七月(10歳)。
今川家との講和を終え、房総に束の間の平穏が戻ったのも束の間、千葉家が北条より割譲された常陸方面の橋頭保とも言うべき要衝・逆井において火の手が上がった。
逆井城代を務めるのは、里見家から千葉家に転じた猛将・正木時忠である。 「殿、逆井城の北、飯沼を越えて、我が方の領民の家々を焼き、数十名を殺害、拉致をする集団がおりまする。おそらくは古河公方様の配下か、結城の配下と思われまする。これは明らかな挑発にござる!」
時忠からの報告を受けた俺は、本佐倉城の作戦会議室で地図を指でなぞった。
逆井城の北には古河公方・足利晴氏、そしてその東側に位置する結城城主・結城政勝。
古河公方の直臣、重鎮であり、北関東に深く根を張る名門である。
今川との戦いを見て「千葉の勢威がこれ以上増せば、北関東の旧来の秩序が崩壊する」と危惧した古河公方あるいは結城政勝が、あえて小競り合いを仕掛けて千葉の反応を窺ってきたと思われる。
「……浄三。古河公方様や結城は、俺が今川との戦で疲弊していると踏んだかな?」
「おそらくは。あるいは、結城が公方様のご威光を背にすれば、千葉も引くと考えたのやも知れませぬ」 浄三が冷ややかに笑う。
「作左衛門!その辺りの情報は入っているか?」
「は!今しがた手の者が報せて参りました。此度はやはり古河公方様の内密の思し召しにより結城が動いているとの由」
「・・・よし。ならば、その愚かな考え打ち砕こう。結城を落とし、常陸・下野への回廊を確保する」
出陣の触れを出すと、各々が忙しく動き始めた。
そしてわずか数日のうちに軍勢を整えた。
常備兵二万五千。規格化された具足、十分な火薬、そして今川戦の教訓を活かして改良された「山地・湿地用大筒台車」を伴う、最新鋭の軍団である。
まずは、結城へ至る進軍路において、結城軍の与力である下妻城主・多賀谷政経を調略する策を講じる事とした。
「作左衛門、任せたぞ」
「御意」
俺がひそかに命じ、葉隠衆(隠密部隊)が、夜陰に乗じて下妻城へ潜入した。
彼らが持つ密書には、多賀谷が千葉へ降った場合には千葉領で行われている「澄み酒」の製造法の提供と関所の撤廃による物流の保証、そして何より、結城家が千葉に敗北した後の多賀谷家の所領安堵が記されていた。
「多賀谷様、結城政勝様は名家であり名将ですが、時代の流れが見えておりませぬ。」
「しかしながら当家は結城家より恩顧を受けて居り申す。そうやすやすと降るわけにもいかぬ」
「それはわかりますが、沈みゆくと分かっている船に多賀谷家の存亡を任せても良いとお考えでしょうか?我が殿は寛容でありますが、物事には期限と言うものがあるとも申されておりまする。某に命じられた刻限は明日の正午まででござる。それを過ぎれば、稲村城や駿河の数々の城を砕いた、雷鳴がとどろくが如き大筒に城を砕かれる光景を、ご自身の城で見る事になるやも知れませぬので、努々お忘れなき様お願い致しまする。わが主はそれを望んでは居りませぬ故」
「うむう・・・・・。しばし猶予を頂きたい」
葉隠一門衆の副頭領である染谷仁三郎胤幸(胤の字を親胤より拝領)の静かな言葉と、俺直筆の内通の見返りを記した書状。
そして政経は里見や今川が千葉の大筒で城を破壊され、一敗地にまみれている様をよく伝え聞いていたので、一晩悩み抜いた末、千葉家への内通を決断した。
進軍途上の千葉軍の前に、多賀谷政経が単騎で現れ、俺に臣下の礼を執った。
これにより、結城城の南の防壁は戦わずして崩壊した。
多賀谷城へは遠征軍のうち三千の兵を守備の為という名目の監視軍として向かわせた。
そしてとうとう七月二十日、千葉軍は二万二千の兵をもって結城城を包囲した。
城内には結城政勝・晴朝親子と四千の兵が籠城していたが、その意気は高かった。
もっと士気を高めるために政勝は挑発をしてきた。
「千葉の小童、出来るものならこの結城の石壁を叩いてみるがいい!」
だが俺は今川戦の反省を活かし、強引な突撃を控えた。代わりに、改良された大筒を城の死角から交互に放ち、一時間おきに城内の特定箇所を正確に破壊し続ける。
さらに、鉄砲隊が城壁の隙間から顔を出す兵を次々と仕留めていく。
「……父上、突き崩そうにも敵に一分の隙もありませぬ」 嫡男・晴朝はこのところの自軍の失敗で兵の損害が増えている事を悔やんでいた。
いくら反撃に出ようとしても、あらかじめ指示された位置に配置された敵の長槍隊が、見たことのないような隙間の無い密集陣で押し戻して来るのだ。
そうして一週間が過ぎる頃には、城内の建物は半壊。さらに二週間目、ついに大手門が大筒の集中砲火で粉砕された。
俺はここで一通の使者を送った。
「結城家の武勇、存分に味わい申した。さすがは関東でも名高い名家、結城家よ。だが、これ以上の無益な殺生は、我の望むところではない。政勝殿、晴朝殿、一度話をすることを所望する」
大手門が粉砕され、火薬の煙が立ち込める結城城本丸。 千葉からの使者がもたらした「会談の要請」に対し、結城政勝と晴朝の親子は、崩れかけた奥殿の一室で向き合っていた。
外では、千葉軍の大筒が「いつでも続きを放てるぞ」と言わぬばかりに、不気味な静寂を保っている。時折、崩れた石垣が乾いた音を立てて落ちる。
「父上……いかがされますか」 晴朝が声を絞り出すように言った。その顔は煤と汗にまみれ、唇は極度の緊張で乾いている。
結城政勝は、一言も発さず、床に置かれた一振りの太刀を凝視していた。それは結城家が代々受け継いできた、誇りそのものであった。
「わが結城家は、鎌倉以来の旧家。古河公方様を支え、坂東の秩序を守ることを誇りとして生きてきた。それが……あのような小童に膝を屈するなど、先祖に合わせる顔がないわ」
政勝の拳が、震えながら畳を叩く。
「いっそ、全軍を率いて打って出るか。華々しく散ることこそ、名門結城の最後として相応しかろう」
だが、晴朝は首を振った。
「父上、それでは兵たちも、そして領民も救われませぬ。千葉の戦い方は、我らの知る『いくさ』とは違いまする。あの数の種子島、あの大筒の威力……我らが打って出れば、一兵たりとも敵の陣に届かず、無為に鉛の玉に射抜かれて終わるでしょう。それは……誇りある討ち死ではなく、ただの無益な死にございまする」
政勝は黙り込んだ。
それから、数刻が過ぎた。 昼の太陽が傾き、夕闇が迫り、城内には千葉軍の炊き出しの匂いが微かに流れてくる。千葉の兵たちは、戦の最中だというのに、温かい飯を食い、明日の英気を養っている。対して結城の城兵たちは、土の混じった米を食み、泥水をすすり、なんとか命を保っている。
「……千葉殿は、里見を滅ぼすことはしませんでした」 晴朝が、ポツリと呟いた。
「うむ、今川に対しても、力攻めで勝てる戦をあえて講和で終わらせた。だがそれは、力が足りぬからではないのかも知れぬ。おそらくは兵を損じる事を嫌っているのだ……詰めが甘いが、下々の者には有難い存在かも知れぬな」
政勝はゆっくりと立ち上がり、乱れた装束を整えた。
「晴朝よ。わしの首一つで、結城の家、そして民が救われるのなら……それも一興よな」
「父上……!」
「使いを出せ。会談に応じる、とな」
結城政勝が決断を下した時、千葉の使者の来訪からすでに数刻が経っていた。
大きな火は鎮火したとはいえ、城のあちこちからはまだ煙が立ち上っている。
会談の場は、結城城下の妙国寺に設けられた。
政勝と晴朝が、死を覚悟した白装束に近い姿で現れた時、俺は、柔らかな直垂を纏って床几に腰かけて待っていた。
俺の傍らには、かつて「房総の虎」と恐れられた男、里見義堯が座っている。
結城親子は俺の姿を見た瞬間、少しびっくりしたような表情をしていた。
まさか鎧を脱いで待っているとは思わなかったのだろう。
そして「……里見刑部少輔(義堯)殿。貴殿までおるとは」 政勝が更なる驚きに目を見開いていた。
「結城左衛門督殿。死に装束など早うござるぞ。我が殿は、貴殿の命を奪うためにここへ呼んだのではない」 義堯は穏やかな微笑みを浮かべ、俺に視線で合図をしてきた。
まず俺は、頭を下げた。
「左衛門督殿。まずは、我が軍の至らなさゆえ、結城領の領民に少なからず害が及んだことを詫びたい。この通りである」
政勝は呆気にとられた。勝者が、敗者に対して真摯に詫びるなど、前代未聞であった。
「……千葉介殿。我らは負けたのだ。情けはいらぬ。城兵と出来れば晴朝を助けてくれるのであれば、この首、今すぐ差し出そう」
だが、俺はかぶりを振りながら政勝に対してこう告げた。
「首など無用にござる」 そして政勝の目を真っ直ぐに見据えた。
「俺が欲しいのは、左衛門督殿、貴殿が積み上げてきた経験、そして知見だ」
「・・・経験と知見・・・と申されるか?」
「然り。俺は、新たな政を生み出し、形にする力は持っている。だが、父を六つの頃に亡くしたこともあり、貴方様のような名門が代々培ってきた『関東の武士の心』、そして『古き良き伝統と知見』そして『戦の兵法』については、まだ学ぶべきことが多すぎる。俺が持っていないその知見を、俺のそばで教えてほしい」
「……某の、知見を……?」 政勝は絶句した。
勝ち誇り驕り高ぶる事無く、また敗者である年嵩の敵を「古い」と切り捨てるのではなく、その古さの中に価値を見出し、敬意を払って教えを請う姿。 隣で頷く義堯の姿を見て、政勝の頑なな心に、心を揺さぶる何かが流れ込んだ。
『儂はこの小童に魅力を感じたのか……これは一本取られたわ。十歳の童に、君主の魅力を教えられるとは・・・・しかも敵として刃を交えた相手というに。ふむ、この童の行く末を見守るのも、案外悪くない余生かもしれぬ』
親胤は一歩、政勝に近づいた。
「左衛門督殿。隠居し、家督を嫡男の晴朝殿に譲り、俺の『御伽衆』となってはもらえまいか。結城家もそれなりに遇しよう。手柄を上げれば加増も思いのままだ。そして貴殿は刑部少輔と同じように、俺の相談役となり、俺が持っていない視点から、この新しい世を共に導いてほしい。貴殿のような名門の重鎮が側にいてくれなければ、俺が通る道は、覇道を求めるがゆえに力ばかりを追い求める阿鼻叫喚の血道になってしまうかも知れぬ」
政勝の心に、衝撃が走った。 これまで多くの者から「名門」として敬われては来たが、「あなたが持っている知見が必要だ」と、これほど切実に請われたことはなかった。
「……刑部少輔殿。貴殿も、そのように言われたのか」 政勝が問いかけると、義堯は深く頷いた。 「左様。某は殿に、一人の『先達』として求められたのだ。政勝殿、負けて死ぬのは容易い。
だが、生きて親胤様の『未来』に知恵を貸すのは、死ぬよりも遥かに意義のある事、そして何より面白いぞ」
政勝は、親胤を凝視した。 十歳の童の瞳には、力強く未来を切り開く情熱が宿っているように見えた。
「……ふっ、はははは!」 政勝は、突然声を上げて笑った。その笑いには、数刻悩み抜いた苦悩と、憑き物が落ちたような爽快さが混じっていた。
「千葉介殿。やはりただの童などではございませぬな。散々に負け申した。戦でも、そして人の器でも、完全に某の負けでござる」
政勝は床に両手を突き、深く頭を下げた。 「千葉介殿、いや、親胤様。殿。結城政勝、これよりは隠居し、殿の御伽衆として仕えましょう。晴朝ともども、わが結城の力を、殿の創る『新しき世』のために捧げましょうぞ。……刑部少輔殿、私にも澄み酒を一杯、分けてくれるかな?」
「ああ、いくらでもあるぞ。これからの話は、酒を飲みながらゆっくりやろう」
義堯が俺に目配せをしてきたので、満足げに頷いてやった。
後日、政勝には義堯と同様に旧結城領から三千石が与えられる事が伝えられた。
ここに、下総の統一がほぼ成った。 俺の周りには、かつての敵たちが、最強のブレーン集団として集まりつつあった。
それにしても俺の周りには爺が多いな・・・。
俺は爺が好きなのかな?いや、自分の精神年齢と近い者達なので安心するのかも知れないな。
「よし。これで支配領域拡大への基盤は成った」 今や支配する領域は90万石を超えた。
俺は窓を開け、空を見据えた。その先には、常陸の小田、佐竹、そして古河公方を巡る更なる権謀術数の嵐が待ち構えているだろう。
「下総動乱」は終わり、「東国の夜明け」が本格的に始まろうとしているのかも知れない。
お読み下さり有難うございます。
初投稿の素人ですので、稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。
生暖かい目で見てくださると幸いでございます。




