幕間 原家の日常
夜の帳が下りた本佐倉城城下にある、原家屋敷の一室。
静まり返る邸内の一角で、原家の父子――原胤清と、その嫡男であり原家当主でもある胤貞の二人は、ひそやかな(しかし至福の)酒盛りを始めていた。
膳の上には、香ばしく炙られた干し椎茸と、塩気の利いた干し魚や浅漬け。そして、その中心に鎮座するのは、美濃から取り寄せた美濃焼の徳利と盃である。
「いやはや、胤貞よ……。今日の若様のお姿、思い出すだけで胸が熱うなるわい」
胤清は盃を傾け、うっとりと目を細めた。手にあるのは、今や下総の特産品として江戸や小田原の商人たちを狂わせ、千葉家の輸出額ナンバーワンに躍り出た誇るべき銘酒――民部丸の知恵によって生み出された「澄み酒」だ。
「まったくですな、父上。齢六歳にして、あの落ち着きと求心力。我が主ながら、恐ろしいまでの神童にございます」
胤貞もまた盃をあおり、そのキレの良さと芳醇な米の香りに「くう……っ!」と小さく唸り声を上げた。
「これだ、この喉ごし。濁り酒の面影など微塵もなく、雑味が一切ないのに、米の旨味だけがこれでもかと広がる……。こんな美味い酒が世にあろうとは。さすがは親胤様」
「そうだ。しかもこれが我が領の富を爆発的に増やしているのだから恐れ入る。殿が仰る『ふこくきょうへい』……武芸だけでなく、銭と物資を制する者がこの乱世を制すという意味が、日増しに身に染みてわかるわい」
「あのお方がお生まれにならなければ、我ら原家は今頃、ただの古いしきたりにしがみつくだけの凡庸な一族で終わっていたかもしれませぬ。我が家の未来、そして千葉家の栄光は、すべてあの御方の手のうちにある……乾杯だ、父上!」
「うおっほん、そうだな! 乾杯じゃ!」
二人はすっかり気が大きくなり、「殿のあそこが素晴らしい」「いや、あの時のあの眼差しこそ至高」と、親胤の褒め言葉を肴に次々と盃を重ねていく。どちらが親でどちらが子が分からないほど、二人ですっかり酔いしれ、声のトーンもどんどん大きくなっていった。
その時――。
「あなた様方、いい加減になさったらどうですか!」
ピシャリと冷徹な声音が部屋の空気を切り裂いた。
振り返れば、襖の隙間から、胤清の妻であり胤貞の母でもある「いと」が、鬼のような形相で立っている。その背後には、胤貞の妻「はな」も腕組みをして冷ややかな視線を送っていた。
「夜更けに何をご機嫌で騒いでおるのです。明日もお役目が控えているというのに、いい年をして酔っ払って……! 早く床に入りなされ!」
「ひっ……! 母上、これはですね、その、天下大事の評定の延長で――」
「言い訳無用です!お前様、そしてお義父様! 殿様が日々あんなにお働きになっておられるというのに、側近のおふたりが酒に溺れてどうするのです。ほら、早う寝てください!」
「いと」と「はな」の怒号に気圧された二人は、あわてて「あ、はい! すまぬ、今すぐ床につく!」と子供のように縮み上がり、すごすごとそれぞれの自室に戻って布団に潜り込んだのだった。
――しかし。
昼の親胤の話の興奮と、先ほどまで吞んでいた「澄み酒」の美味さの余韻で、二人の脳髄は冴えわたったまま、まったく眠気が訪れなかった。
二人は誘い合う訳でもなく、床を出て内庭の縁側に来て腰かけた。
「おお、胤貞」
「これは父上」
「そなたも眠れなかったか」
「はい、そんなところですな」
「はははははは」二人から自然と笑いがこぼれた
「……なぁ、胤貞」
「……なんでございましょう、父上」
「わしはまだ、殿のあの『富国強兵』を説かれたときの余韻が消えぬのじゃ」
「奇遇ですな、父上。実は、わしももう少し、富国強兵策について語り合いたくて仕方がなかったのです」
「……お前もか?では酒がいるな」
「ええ、少しだけ、ほんのひとくちだけ……」
魔が差した、というよりは、もはや止められなかった。
二人はこっそり厨へ向かうと、片づけられてそのままになっている先ほどの膳と酒を持ち出した。
「まぁ、一杯だけなら……」と再び徳利を傾けてしまったのである。
「父上、やはりこれからの戦には種子島は欠かせませぬ。そして大筒もです!」
「うむ。最初は武士の風上にもおけぬ戦道具と思うておったが、これが時代の変わり目というものであろうな」
胤清は盃を呷って魚の干物を齧りながら語った。
「はい。殿もそう申されておりました。適切な練度、適切な装備、適切な編成、そして適切な兵站。それらを組み合わせれば、勝ち筋を掴むは必定。と」
そう言うと胤貞は盃を呷った。
「そうじゃったな。あれは里見との緒戦において多大な戦果を得た時であったか」
「そして、『これからの戦』の基準となるであろうと仰せでした」
結局、そこからまた話に花が咲き、二升ほどの澄み酒を飲み干すまで、二人は夜通し熱い忠義を語り合ったのだった。
その様子を内庭から一頭の黒猫がじっと見ていた。
やがて、呆れたかのようなしぐさをしながらぷいっと後ろをむいて去って行くのだった。
そして翌朝――。
朝の清々しい光が差し込む広間に、ふたりの男が転がっていた。
徳利は空になり、肴の皿が転がり、胤清は天井を仰いで口をぽかんと開けたまま大いびきをかき、その横では、斬られて息絶えている兵士のようにぐったりと腕を投げ出して泥のように眠りこけている胤貞がいた。
完璧なまでの、見事な酔っ払いの成れの果てであった。
そこへ、朝の掃除にやってきた使用人がびっくりしてすぐに「いと」と「はな」に報せた。
すこしして広間に様子を見に来た二人は、目の前で繰り広げられている惨状を目の当たりにし、こめかみに手を当てると、使用人たちは部屋の温度が数度下がったように感じられた。
「………………」
「…………胤清様?」
「…………胤貞様?」
「いと」の額に青筋がバキバキと浮かび上がり、「はな」は腰に手を当てて天を仰いだ。
「「き、の、う、あ、れ、ほ、ど、い、い、ま、し、た、の、に!!」」
ふたりの女性の怒鳴り声が本佐倉城の城下に轟き渡り、二人の男は凄まじい大目玉を食らうハメになったのであった。
―――本佐倉城 評定の間
あれ?胤清と胤貞、隈が出来ているな・・・。
「胤清、今日は目の下に隈があるようだが、どうした?疲れておるのか?」
「それに胤貞も疲れているように見えるな。家で何ぞあったのか?」
「いえいえ、何もございませぬ。ただ、寝つきが悪かっただけにございます」
胤清が慌てて顔の前で手を振りつつそう答えた。
「さようでございます!」
胤貞も同意する。
何か怪しい・・・というか、やらかしたなこいつら。
まあ、あれか。おおかた朝までしこたま呑んでいたのだろうな。
「昨夜は特に寝苦しい事も無かったと思うが、そういう事もあるのだな」
・・・という事にしておいてやろう。
親子で酒を酌み交わせるのはいいな、うらやましい。
酒が吞めるようになったら、俺も胤吉爺と盃を交わすかな。
前世でも父親と呑んだ事は無かったしな。
と言っても父親は下戸だったので仕方なかったが。
今川との激しい戦の余韻は既にない。
そして春の空はどこまでも清々しい青空が続いている―――。
お読み下さり有難うございます。
初投稿の素人ですので、稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。
生暖かい目で見てくださると幸いでございます。




