駿河逆進攻
天文二十一年(1552年)一月
雪斎は駿府に戻ったという情報を得て、俺と福島勝広(北条綱成の実弟)率いる連合軍二万五千は、攻勢を開始して、遅滞戦術によって足止めを食らっていた箱根をようやく突破し、ついに駿河の喉元――河東の地へとその足を踏み入れた。
「ようやく、視界が開けたな。……ここからが、正念場だ」
俺は馬上で、寒風に晒されながらも浄三を含めて従う家臣たちにそう言った。 目の前に広がるのは、富士の裾野に抱かれた肥沃な平野。しかし、その穏やかな風景の至る所には、今川方の防衛網が幾重にも張り巡らされているはずだった。
河東平定の第一の標的となったのは、交通の要衝・長久保城。
城将は、今川の重臣であり東口の守りを任された葛山長嘉。彼は、北条氏康から奪い返したばかりのこの城を死守すべく義元の命を受け、二千二百の兵をもって籠城の構えを見せた。
「下総の田舎から来た千葉の小倅が、大軍を連れてきたとて何ほどのことがあろう。この堅城、一月や二月で落ちる道理はない!」
長嘉は城壁の上で、近づきつつある千葉軍を睨みつけた。
だが、俺は、容赦なく葛山の想像を絶する破壊力をぶつけてやるつもりだった。
一月十日、包囲を完了した千葉軍は、ただちに「工兵大隊」を動員した。 彼らは通常の足軽ではない。俺が銭で雇い、最新の土木技術を叩き込んだ専門集団だ。この時代、他の大名家では黒鍬衆とも呼ばれていた彼らは一夜にして、長久保城を望める高台の最良の位置に、強固な砲台を築き上げた。
「……始めよ」
俺の短い下知とともに、五門のカルヴァリン砲が咆哮した。 火薬の爆発音が空気を震わせ、数キロ先までその轟響が届く。巨大な鉄球は、長久保城の誇る大手門の屋根を粉砕し、さらに二弾、三弾と続く攻撃が、城内の建物に「死の雨」を降らせた。
「な、なんという威力だ……! これが、稲村城を砕いたという大筒か!」
長嘉は愕然とした。これまでの攻城戦は、兵糧を絶つか、犠牲を覚悟で城壁を乗り越えるものであった。だが、千葉軍は「安全な距離から、一方的に城を破壊する」という戦術を選んだのだ。
降り注ぐ鉄球は、城兵の精神を瞬く間に削っていった。 散発的だが定期的に鉄球が降り注ぐこと七日目の朝、二の丸の土塁が急な大筒の集中砲火によって崩落。そこへ、五間の長槍を揃えた千葉の常備軍が、地響きを立てて突入を開始した。
「もはや……ここまでか。今川の誇り、汚すわけにはいかぬ」
一月十七日。 城内が火の海に包まれる中、葛山長嘉は本丸にて自害、見事な最期を遂げた。
わずか一週間。難攻不落を誇った長久保城の落城は、周辺の国人衆に「もはや旧来の城郭では、千葉軍の兵器に抗うことは不可能である」という絶望を植え付けた事だろう。
長久保城を落とした俺と福島勝広は、その余勢を駆って西進。
次に立ちふさがったのは、北条家にとっては河東支配の根拠地であり、現在の今川にとっては防衛の生命線である興国寺城であった。
ここの守りは硬い。城将は、三千三百の兵を率いる今川家屈指の驍将・朝比奈信置。 彼は長久保城の悲劇を教訓に、大筒の設置場所となりそうな場所に砦を築き、また城門や城内の建物を土嚢で補強。
さらには夜陰に乗じて連合軍の陣地に斬り込みをかけるなど、徹底した抗戦を続けた。
「やつらのやり方は分かっておる。対策を講じたこの城は撃ち抜けまい!」
信置の言葉通り、二週間以上におよぶ激しい攻防戦が繰り広げられた。
千葉軍は連日大筒を打ち込み、火縄銃の雨を降らせるが、朝比奈勢は中々崩れない。
むしろ、焦りを見せた北条軍の一部が突出したところを叩かれ、連合軍にも少なからぬ犠牲が出始めた。
「殿、朝比奈の守りは流石にございます。強引に攻めれば、我が軍といえど損耗も避けられませぬ」
白井浄三が、冷え込む本陣で懸念を口にする。
「朝比奈信置……見事な将だな、浄三」
「はっ。ことここに及びましても士気下がる事が無く、中々の武将と思われます」
「ふむ、ここは計略の一手か・・・浄三、こちらへ」
俺は策を講じた。 城への補給を完全に遮断した上で、毎日、風上から煮炊きをする匂いを城内に流れ込むようにさせた。さらに、降伏すれば朝比奈家の家格を保証するという俺直筆の書状を、矢文で幾度も射込ませた。
二月後半。城内の食糧は底をつき、兵たちは飢えと精神的な揺さぶりに限界を迎えていた。 しかし、信置は最後まで今川への忠義を捨てなかった。
「……生きて、義元公に千葉の脅威を伝えねばならぬ」
二月二十八日、嵐の夜。 朝比奈信置は、手傷を負わずに残った手勢五百騎とともに、連合軍の包囲網の最も薄い一角を強行突破した。
「朝比奈信置、推して参る! 道を空けよ!」 壮絶な一騎打ちと乱戦の中、信置は左肩に火縄銃の弾を受け、血を流しながらも馬を走らせた。
北条の追撃隊が迫るが、福島勝広が「見事な退き口よ」とその武勇を讃え、深追いを禁じたため、信置は辛くも脱出に成功。
三百ほどの犠牲を出し、自ら負傷を負いながらも駿府へと駆け戻ったのである。
主を失った興国寺城は、翌朝、静かに開城。 俺は城に入ると、荒れ果てた城内を清め、負傷している者の手当てをさせ、戦死した者を敵味方の区別なく丁重に弔わせた。
そして三月に入り、春の兆しが富士の麓に訪れ始めた。
千葉・北条連合軍はついに富士川の東岸、天の香久山砦(吉原城)まで進出した。
ここまで来れば、駿府は目と鼻の先である。
しかし、俺は喜んでもいられなかった。
一月にわたる興国寺城の攻防、そして連日の行軍により、兵たちの疲労は蓄積していた。
さらに、補給線が房総からあまりにも伸びきっており、追加で調達しようにも銭による買い付けでは満足な食糧調達が困難になりつつあった。
「申し上げます!今川義元が……自ら一万五千の軍勢を率いて、こちらに向かっているとの由」
伝令の報告に、陣内が色めき立った。 これまでの「籠城を中心とした遅滞防衛戦」ではなく、主力を投入した総力戦を挑んできたのである。
駿府の館を発つ際、義元の姿は以前の「公家気取り」のそれとは別人のようであったという。
顔を白粉で塗ることすら忘れ、瞳には血走り、身に纏うは黄金の具足。
「千葉の小倅に格の違いを教えてやる……。奴の首を獲らぬうちは、余は一歩も引かぬ!」
今川軍の先鋒が富士川を渡り始め、千葉軍との間で小競り合いが頻発する。
千葉軍の鉄砲の音が、富士の静寂を切り裂く。
今川軍は倒しても倒しても遮二無二向かってくる。
「……これ以上の西進は、泥沼になるな」
俺は、天の香久山砦の物見台から、夕日に染まる富士川を眺めていた。
自軍の兵の損害を顧みず戦へ駆り立てる今川義元という男は、自らの臣下の損害も気にかけず、ただプライドに生き、自分に泥を付けた敵を、思いのままに滅ぼそうとしているかに見えた。
思うに酷い君主だと思うが、これはこの戦国時代ではごく普通の感覚であって、それは俺が現代人の感覚から抜け切れていない証左だろう。
そのころ、尾張三河国境あたりでは織田信長率いる兵二千が、元臣下の山口教継の裏切りにより今川方に落ちた鳴海城へ進軍し、その奪還を目指していた。
鳴海城側は千五百の兵で迎え撃ち、今川方の城将山口教吉らと激闘となる。
「おのれ、尾張のうつけめ。我らが東で戦っておる最中に盗人のように鳴海城を獲りに来るとは」
義元は怒りを露わに西の方角を見ながらつぶやく。
雪斎は、このままでは二正面作戦を行わなくてはならなくなり、尾張勢は小勢ではあるが三河への影響を考えると放置も出来ず、一気に北条・千葉を追い返して鳴海へ送る後詰の手配をしなくてはならない事を義元に説いた。
「仕方あるまい。古河公方様に和睦の仲裁を頼むかの」
「はっ。それがよろしいでしょう」
雪斎はすぐに古河公方への使者を向かわせた。
三月五日。 天の香久山砦の眼下には、見渡す限りの今川の軍勢。 対する千葉・北条連合軍。 両軍が対峙し、戦国最大の激突が今にも始まろうとしていた
そして、明けて天文二十一年(1552年)三月六日早朝、まさにこれから激しく本格的な火ぶたが切られるというまさにその直前に双方の陣に講和の使者が訪れた。
古河公方足利義氏の家臣、一色直朝が義氏の命を受けて仲裁の使者としてやってきたのだ。
義氏は父、足利晴氏から家督と公方職を継いだばかりで何か実績が欲しかった。
そこに将軍家とは浅からぬ縁がある今川家より仲裁の依頼が来た。
義氏としては、古河公方の家宰であった梁田氏の関宿城を攻め獲った千葉家に対しては思うところもあり、意図的に阻害してやろうという意図もあったので依頼を受ける事にした。
「古河御所様奏者の一色直朝である。これ以上の戦は、関東の疲弊を招くのみ。
今川殿、北条殿、千葉殿、ここは矛を収められよ」
俺や氏康にしてみれば、『余計な事を・・・』と思ったが、公方の仲裁では無下に撥ね退ける訳にもいかず、いったん受け入れる事とした。ただ、北条としては今川を追い払ってくれた千葉軍にはおおいに感謝しているが、同時に強力な千葉軍がいつまでも自領本拠地の目鼻の先にいることは領民たちの感情にとって良いことは無いと感じていたのもある。
「渡りに船とはまさにこのことよ。御仏は儂についているようじゃ」
義元は一瞬ホッとした表情を見せたが、すぐに鷹揚にこう言って見せた。
そして三者三様の思惑のなか、講和が進められることとなった。
講和の会談は興国寺城の近く、鎌倉時代初期に活躍した源頼朝公の実弟であり、2代目執権北条義時の義兄、阿野全成ゆかりの大泉寺で行われた。 席上、今川側の名代として現れた太原雪斎は、初めて見る下総の「小龍」を凝視した。
「……千葉介殿。お手前のいくさは中々見事にございましたな。だが、いくさは道具だけで行うにあらず、また若さだけでも成り立たず、かような結果と相成り申した。ふふふふ。」
『言ってくれるじゃないか、この生臭坊主め。信長が暴れているので気が気じゃないのは知っているぞ!』
俺は、わざと笑みを浮かべながら、落ち着いた声で返した。
「・・・・雪斎殿。此度は貴殿の胸を存分に借りる事が出来申した。この場を借りて礼を申しますぞ」
「ほう・・・?」雪斎は少し驚いたようだった。
「しかしながら、尾張の方が騒がしいようで、こちらにばかりかまけている余裕はありますまい?」
その言葉に、雪斎の背筋に冷たいものが走った。
千葉親胤は童の顔をしながら、自らの祖父と言っても良いほどに経験値が雲泥の差あるような相手に対し一歩も引かず嫌味も混ぜた大人顔負けの反論をしてきた。
だが本当に驚いたのはそこではない。
雪斎が脅威を感じたのは、親胤がどのような手の者を使ったかはわからないが、鳴海城をめぐる一連の戦を知っているかのような言動であった。
『千葉家の情報収集力は侮れない』これが今回、雪斎が千葉家に抱いた感想である。
迂闊に戦い続けていては足を掬われる恐れがあると見たので、大人しくこの場は収める事とした。
そして、話し合いの末、講和の条件は以下の通りとなった。
・今川軍は相模、河東から完全に撤退し北条へ返還すること。
・千葉軍は速やかに房総へ引き揚げること。
・北条・千葉・今川の三者は、向こう三年間、互いに不可侵を貫くこと。
親胤にとっては、勝ちきれなかったという、やや不満が残る結果ではあった。
北条氏康はというと、今川を駿河へ押しやる事が出来た一方で千葉への大きな借りと、その強大化への懸念というジレンマを抱えていた。
「北条め!そして……千葉……千葉介親胤!許さぬぞ!」
今川義元は北条と千葉に憎悪を燃やしたが、特に千葉に対しては強い恨みを持った。
そして一旦は講和が成り、千葉軍は下総へ帰還した。
北条からは三万貫文と謝礼の品々、そして逆井城とその周辺領地の割譲を受ける事になった。
千葉軍が房総へ帰還した時、領民たちは熱狂的に彼らを迎えた。
「千葉が天下の今川を退けた!」という噂は、瞬く間に東国中に広まり、千葉家の威信は不動のものとなった。
しかし、本佐倉城へ戻っても浮ついた気持ちにはなれなかった。
俺は自室に籠もり、今回の反省点をひたすら書き出した。
「大筒の軽量化、山地用運搬台車の開発、火薬の防湿処置……やるべきことは山積みだ」
白井浄三が、お茶を持って部屋に入ってきた。
「殿、お疲れでございますな。里見義舜殿も、殿の帰還を心待ちにしておられましたぞ。彼もまた、今川との戦果を聞いて驚愕しておりました」
「うむ、義舜の忠義はもう疑うことも無くなったと思うが、浄三は如何思うか?」
「されば最近の事でありますが、義舜殿の臣下の者で義舜殿を侮り千葉に従うのを良しとしない勢力が居った様子。特に岡本氏に連なる某が千葉嫌いのため新たな政に従う事が中々出来ず、任された領地の生産性が全く上がらないばかりか下がる一方だった由。義舜殿はその者に対し再三千葉の政を受け入れるよう命じておりましたが、一向に聞き入れる様子も無かったとの事で、『我を侮るのみならばまだしも、主筋である千葉家を疎んじるとは最早許すことは出来ぬ』と、一罰百戒やむを得ず斬捨てたとの事。その後岡本家当主の通輔を隠居させ嫡男の安泰に家督を継がせる処置をとると、その処断を畏れて逆らう者も居なくなり、完全に義舜殿は家中を掌握したようですな」
「そうか、そろそろ義舜は重臣の列に加えて要職につけさせようか。胤清は如何思うか?」
「そうですな、これまでの様々な差配を見ますに、そうされるのがよろしいかと」
「うむ、それで義堯のほうはどうしているかな?作左衛門」
「はっ! 里見義堯殿は酒井敏房殿、土岐為頼殿と和解し、しきりに殿の政治を知ろうとお二方とお話をされている由。最近では領内の差配を義舜殿より任されている堯元殿へ助言を与えるなどしておりまする・・・・!!出過ぎた真似をしているかどで誅殺いたしますか?」
「これ作左衛門、そうではない。千葉の政を覚え、自らのものにする。そしてそれを他の者にも率先して伝える・・・おれは少々刑部少輔を見くびっていたな。ただのぼやき爺と思っていたが、まだまだ働かせ甲斐がありそうだ。胤清、刑部少輔はいまだ四十の半ばであったかな?」
「はっ。永正四年(1507年)の生まれと伝わっておりますれば、今年四十五になると思われまする」
「ふむ・・・そうか。作左衛門、刑部少輔を本佐倉城へ出仕するよう使いを出せ。役職は俺の御伽衆だ(相談役的役柄)。安房鴨川に三千石を加増すると伝えよ」
「ははっ!確と伝えまする」
そういうと作左衛門はそそくさと部屋を出て行った。
物音も全く立てず静かに流れるような動作はまさしく忍びの如くだった。
「浄三、おじじ様。今回の戦では学ぶところもあったな。だが俺の敵は、もはや周辺の小さい国人ではなくなった。まずは小田、結城、佐竹、宇都宮、そして……いつか相まみえるであろう、俺と同じように『新しい世のならい』に気づく者だ」
「新しい世のならい・・・何やら世が明るく開けていくように感じられますな」
おじじが茶をすすりながらうなずいている。
ちょっと癒されるな。
俺は、窓の外に広がる夕焼けを見た。 西の空、駿河の方向には、義元の燃えるような怨念が渦巻いているのを感じる。 だが、俺の心に迷いはない。
「我らは、八十万石。ただし土地だけの事であるゆえ、銭収入を合わせれば百五十万石相当ではあるが、今川は七十万石を超え、北条は百万石に迫る。石高という数に囚われる時代はじきに終わる。俺は、この房総をはじめとして、領国においては石高では計れぬ強い国家、富国強兵を目指したいと思うておる」
「富国強兵・・・・国を富ませ強い兵を養うのですな。まさに新しい世のならいじゃ」
胤吉は遠い目をしてしみじみとそう語った。
天文二十一年、春。 房総の山々には再び若葉が芽吹き始めていた。 だが、その平穏の下で、千葉家の工廠は昼夜を問わず槌音を響かせ、港には南蛮の技術を積んだ船が次々と入港していた。
「南総の落日」から「下総の昇る太陽」へ。戦いは、今、関東という枠を飛び出し、東海、そして天下へとその矛先を向け始めたのである。
お読み下さり有難うございます。
初投稿の素人ですので、稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。
生暖かい目で見てくださると幸いでございます。




