酒匂川の会戦
本日はいつもと違う時間に更新しました。
天文二十年(1551年)十月(10歳)
相模川沿いの四之宮前鳥神社あたり(現在の平塚市四之宮)で福島勝広(北条綱成の実弟)の隊と合流した。
早速両軍の頭が顔合わせと軍評定の為、陣幕を張って相対する事になった。
「お初にお目にかかる!某は北条左衛門大夫綱成が弟、福島伊賀守勝広でござる」
「ご丁寧に痛み入りまする。某は千葉介親胤でござる」
「おお、神童と噂に名高い親胤殿ですな。お会いできて恐悦至極に存ずる!」
「こちらこそ、あの地黄八幡殿の弟君と轡を並べる事が出来、光栄にござる」
「いや、なんの、某は兄に比べればまだまだ」などと挨拶もそこそこに俺たちは軍議に入った。
小田原城はまだ落城していないが、かなり危険な状態になってきているとの事。
後北条軍は余綾郡波多野荘(現在の秦野市)あたりを通過して川音川沿いの頭高山と嵯峨山の間の谷間を抜けて酒匂川上流を南下して小田原を目指すルート、千葉軍は大磯郡から海岸線を高山の麓、国府津を抜けて小田原を目指すルートを取る事になった。
雪斎は酒匂川の下流に陣取っていると葉隠衆が伝えて来た。
また、今川方の雇われ忍者である伊賀忍者が後北条軍と千葉軍の位置を探りに来ているようだったが、葉隠が風魔と協力して片っ端から始末しており、油断は禁物だが、こちらの正確な位置情報は得ていないだろうとの事だった。
敵は1万2千の軍のうち2千を小田原城の警戒に向けて残りの1万をこちら側に向けているとの事。
こちらは率いて来た1万8千のうち4千を途中の残敵掃討に置いて来ているので、そこまで兵数の差は無くなっている。
だが、相手は駿河の黒衣の宰相、太原雪斎。
下手な手を打てばたちまちのうちに打ち破られてしまうだろう。
最初の一手ですべてが決まる・・・。
今川軍は小田原城を包囲する陣形で酒匂川に沿って南北2キロ長で布陣していた。
一万ほどの兵を南北2キロに渡って薄く配置していたので、局所では薄く見えており突破は容易かと思われたが、そこは黒衣の宰相。相手の出方を見る為3か所ほど突破を試みたが悉く撃退された。
大隊を率いる将が一人討ち取られ、このまま続けてはかなりの損害が予想される。
こちらが一点に集中して突破しようとすれば、隣接の個所より移動してきた一隊が後詰として対応し、突破された隊はまた後方へ回って再編、まるで無限に敵が現れるかのような戦法を取って来た。
俺は雪斎が、よくこんなに統率の取れた運用が出来ると感心してしまった。
無線通信機どころかモールス信号すらも存在しない世界で、これだけの軍勢を手足のように動かすとは、さすがだ。
歴史に大きく名を遺す将は違う。
これは深く入り込めば疲弊した後に包囲されて袋叩きに遭うだろうな。
橋が4か所ほどあったのだが、今川軍が自分たちの渡った後に破壊してしまったので、今は使えない。
ちょうど今進軍停滞しているところが川岸で、これ以上進むなら渡河が必要だ。
しかもこのところ気温の上がらない日が続き曇天が多く、先日大雨が降って川が増水していた対岸の草原に見える場所は水分が抜けきらないで、ぬかるんでいる状態のはず。
足場が悪くて進軍速度も落ちて敵の弓兵の餌食になる者多数となる。
入り込む前の渡河のタイミングによっては、こちらの損害が馬鹿にならないだろう。
かと言って、大きく迂回しようとしても同様の対策を取られてしまう為、ここは正攻法で行くしかないのか。
俺は歴史に名が残るような有能な武将たちに比べれば単なる凡人に過ぎないと思っている。
ただ未来を知っているだけなので、新兵器などのハードを揃える事は出来るが、ソフト面―――作戦立案や指揮統率などは無理をせず、ここは同時代の優秀な者たちに意見を求めてそこから最適解を得るしかないだろう。
「浄三、おじじ、このままではらちが明かないが、どう思う?」
「・・・そうですな、迂回したとしてもすぐに対応されて結果は変わらずといったところでしょうが、敵陣を一時でも混乱させて橋頭保を確保すれば後は数に任せてねじ込むだけですな」
浄三は軍師らしく効率を考えてある程度の損害は度外視で考えたようだ。
確かにこの兵数差では、これが一番早いだろう。
「浄三殿、これだけの兵力差であれば確かに犠牲も割合から言えば大きくはなかろうが、決して無視出来るものではあるまい。その後は敵を箱根の向こうへ押し込む戦がある事を思えば、今は極力損害を抑える事が肝要かと存ずる」
おじじは慎重派だな。だが今はそれで良いと俺も思う。
「では福島勝広の軍勢の到着を待って「殿!」・・・ん?」
「つきましては大筒の使用ご許可を」・・・押しても引いてもダメなら砕いてしまえってか・・・。
まぁ、それも損害が出ずに済み、効率的ではあるが、果たして雪斎は対応策を持っているのではないだろうか。
「なるほど。大筒で敵陣を粉砕しつつ混乱を生み、その隙に一気に渡河をしてしまおうという腹ですな」浄三も大きく頷いて賛同している。
「二人とも血の気が多いな・・・確かに効率的ではある。よし、後方にある大筒の設置を急がせよう。ただし敵に悟られぬように擬装陣地を用意してから運び込みだ」
「御意!」
二刻半後(5時間後)おおよそ申の刻(16時頃)、完成した偽装陣地に5基のカルヴァリン砲を設置した。
キャノン砲は今回は待機だ。
敵陣との距離は間に約50m、1町未満の川面(中州まで)を挟んでおおよそ13町(1.5Km)くらいだな。
カルヴァリン砲の射程は2Km、18町程度なので、射程内に入っている。
有効射程外なので散布界が広がって命中率は格段に下がるだろうが、狙撃をするわけではないので、これでよい。
二人と相談をして、夜明け前の寅の刻(4時頃)に一斉射撃をぶち込んで大混乱をさせてやる事にした。
葉隠衆や風魔も協力してくれるそうなので、彼らには開発後初お目見えの焙烙玉(素焼きの球体陶器に火薬を詰めて導火線をつけたもの、手榴弾や焼夷弾のような兵器)をたっぷり渡して、砲撃予定の外の敵陣近くに潜んでもらい、砲撃とともに敵陣に投げ込んでもらう事にした。
大筒の砲撃は想定しているかも知れないが、さすがの雪斎もここまでは想定外だろう。
そうと決まれば夜番をする者以外の兵たちには早めに夕餉を取らせて就寝させ、たっぷりと休養を取らせた。
そして寅の刻。
「放てーっ!!」ドドーン!ドドーン!ドドーン!と5発続けざまに砲撃を叩き込む。
砲弾が対岸の敵陣ど真ん中に着弾したと同時に、着弾した辺りから左右かなり離れたところでもドーン!ドーン!と焙烙玉の破裂する音が聞こえ、光も見える。
たちまちのうちに敵陣は混乱に陥り、雪斎や主要な大将が周囲の兵を落ち着かせようと大声を張り上げている。
陣地の構えはやはり大筒を意識しており間を空けて構築されていたので、さほど被害を与えられていないようだった。
敵の混乱は少し納まって来たように見える。
その時更なる二段目の攻撃―――炮烙玉が着弾する事によって再度混乱し、そこに二射目の砲弾が着弾し始めて一層混乱に拍車がかかった。
「よし、今ぞ。全軍、押し出せ―!!」「おおーーー!!!」胤吉の鬨の声の元、およそ二千の足軽が一斉に渡河を開始。
先方の第一陣の兵たちは、川を渡りきると対岸に杭を打ち付けてそこに引っ張って来た縄を結び付けて、後続の兵が渡りやすいようにした。
そして背負って来た藁や板をぬかるんだ原っぱにどんどん敷いて動きやすくした。
これは、俺が指示したぬかるみ対策だ。
完全ではないが、これでいくらかは動きやすくなるはずだ。
並行して本陣に残した六千の兵のうち一千の兵たちには、木製のトラス橋を架けるように指示していたが、あらかた組みあがっているようだ。
材料は後方で組み立てやすいように加工してから持ち込み、現場では組み上げるだけであっという間に木製トラス橋の完成だ。
商いの為、本佐倉にやって来たポルトガル人と話している時に、ヨーロッパの特にイタリアに三角形を基調とした木製橋が増え始めたという話題になったのだが、そこから後年のトラス橋を思いついた。
確か1500年代の後半あたりにイタリア人の建築家が体系化して本にしたと記憶しているので、この時代にあっても何らおかしくないと判断して導入した。
そして完成した橋梁を残りの兵と鉄砲隊が次々と渡って行く。
敵にもあっぱれな組頭が何人かいて、混乱を押しとどめようと躍起になっている様がうかがえた。
だが、立ち直るまでの猶予など与える訳がなく、渡河を終えて千人づつ4列に整列した鉄砲隊が射撃を始める。
まだ夜が明けておらず、倒れて延焼している篝火や燃えている陣幕に照らされている敵の姿しか見えないので、命中率は高くはなかったが、かなりの死傷者をだして敵は小田原城包囲を解いて箱根方面へ撤退していった。
撤退する途中で、福島勝弘の軍が追い付いて撤退中の今川軍の横っ腹に突っ込んだのだからたまらない。
さすがは地黄八幡―北条綱成の実弟。
その突破力は伊達ではなかった。
残った兵の中で整然と撤退できたのは雪斎の本隊三千くらいのもので、その他は這う這うの体で駿河方面へ逃散したようだった。
そういえば、福島氏はもともと今川家の家臣だったという説があったな。
綱成兄弟の父親が花倉の乱(家督相続に伴うお家騒動―義元が勝って終了)で義元の対抗馬についたおかげで乱後に駿河を追われたことがきっかけで後北条に亡命したんだっけかな?
ちょっと記憶が曖昧だな。諸説あるんだっけか。
機会があれば訊いてみよう。教えてくれるかな?
勢いに乗る連合軍は、小田原の包囲を解き、今川軍を箱根の険へと押し戻した。
「殿、今川は退却しております。このまま駿河まで追い込みましょうぞ!」
高城胤吉が息巻く。だが 箱根の峠道に入ると、進軍に陰りが見え始めた。
雪斎は、平原での野戦を避け、地形を徹底的に利用した防衛戦に切り替えたのである。
箱根の深い霧、急峻な崖、狭い山道。 これらは、千葉軍の強力な武器である「大筒」の運搬が厳しい場所だ。
また、火縄銃も対策はとっていたものの、湿気った霧の中で不発も増え、アウトレンジ攻撃の利を活かせない。
何より遮蔽物が多い山の中では火器や弓などの飛び道具はほとんど役に立たなかった。
「……流石は雪斎。一筋縄ではいかぬか」
俺は、陣中で地図を広げた。
雪斎は箱根から伊豆にかけての要所に、小規模だが堅固な砦を無数に築き、千葉軍の進路を塞いでいた。
千葉軍が山道を進めば、崖の上から今川の伏兵が矢を射かけ、巨石を落とす。
大筒を据えようとすれば、その準備の隙を突いて今川の忍びが襲撃を掛けて来る。
「殿、無理な攻めは兵を減らすだけにございます。雪斎は我らをこの山道に釘付けにし、兵糧を消耗させる腹積もりでしょう」
白井浄三の指摘通りであった。 千葉軍は、戦力としては圧倒していたが、雪斎の「地の利」を活かした老獪な指揮の前に、膠着状態に陥った。
12月に入り、季節は冬を迎え、箱根の山には雪が舞い始めた。 千葉の兵たちは、支給された暖かい軍服で凌いでいたが、それでも山中での野営は過酷を極めた。
一方、今川軍もまた、千葉の「新兵器」の恐怖から脱しきれず、攻勢に出なかった。
この間に雪斎は駿府に戻ったという噂があったが、警戒が厳しく今一つ確実に探る事が出来なかった。
「……無念だが、これ以上の強行軍は兵站が伸びすぎて自壊を招く。いったん停止だ」
俺は、思わず自分の唇を噛んだ。 未来知識任せの戦闘は万能ではない。自然の地形という、この時代の最強の防御壁を突破するには、まだ技術と工夫が足りないことを、俺は痛感した。
この間、北条氏康は占領した上野の土地の支配を完全なものとすべく手を打っているようだ。
そして俺には無理はするなと言いつつも出来るところまでの撃退を頼みたい旨を伝えて来た。
北条綱成には小田原の守備を、そして福島勝広には増援を寄越して引き続き千葉軍との連携を命じた。
今川との激闘はまだ続く・・・。
お読み下さり有難うございます。
初投稿の素人ですので、稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。
生暖かい目で見てくださると幸いでございます。




