緒戦
天文二十年(1551年)九月(9歳)。
房総を統一し、北下総の要衝・関宿城を電撃的に陥落させた直後、小田原からの悲鳴にも似た急報が届いた。
「今川軍、怒涛の勢いにて河東を奪還しさらに箱根を越え、相模伊豆へ侵入。大道寺周勝殿、大谷帯刀殿ら重臣四名、討死にございます!」
報告をもたらした葉隠衆は、今川方の包囲網を搔い潜って戻ったのか泥と血にまみれ、膝を震わせていた。 俺はねぎらいの言葉をかけ、彼に十分な休養と温かい食事を与えるように命じた。
伝令の葉隠衆の若者は何度も感謝を述べながら退出していった。
この時、相模の北条氏康は、上野国平定のために精鋭を率いて出陣中であった。その背後を、駿河・遠江・三河の三ヶ国を領し「海道一の弓取り」と称される今川義元が突いたのである。 今川軍の総大将は、義元の師であり、今川の「軍師」とも言える怪僧・太原雪斎。 彼の練り上げた緻密な包囲網の前に、相模の守備隊は次々と粉砕され、相模川を越えた今川の先鋒は小田原城を指呼の間に臨む地点まで進出していた。
「……雪斎か」
本佐倉城の天守閣にいる俺。 その隣には、軍師・白井浄三が静かに控えている。
「殿、いかがされます?今川はこれまでの敵とは規模が違います。兵力、練度、そして雪斎という老獪な軍師。我らの介入は、今川からの明確な敵意の対象になりますぞ」
俺は、手にした望遠鏡をゆっくりと畳んだ。
「浄三。俺は房総の安寧を皆に約束した。だが、房総の西の壁である北条が崩れれば、次は我が領地に今川が押し寄せてくる。それに……」
「我らの軍が、戦国最強の一角にどこまで通用するか・・・浄三。実はおぬしも自らが雪斎坊主とやりあってみたいと思うておるのではないか?」
「なんと、お戯れを。某ごときが駿河の黒衣宰相殿に敵うはずもなく。しかしながら、北条家との約定を守るためには、我らの力をもって北条に合力して今川を追い返さねばなりますまい」
それを聞いた俺は即座に命を発した。 「常備軍のうち一万九千、直ちに出陣。俺も出る。副将は胤吉。編成は浄三に任す。武蔵南部で北条軍と合流し、今川の腹黒坊主の横腹を喰らう!」
そして10日後、異例の速さで出兵準備を終えた千葉軍は下総を出陣して南武蔵へと向かう。
千葉領を出るまでの千葉軍の進軍は整備された街道を通るので、当時の常識を遥かに超える速度であった。
そして、兵站の概念を導入した組織的な補給部隊が、一万九千の軍勢を支える。
兵たちは、千葉家の工廠で一括生産された「規格化された漆黒の胴丸」を纏い、背中には千葉家の家紋「月星紋」をあしらった幟旗が整然となびく。
「急げ! 遅れる者は置いていくぞ!」
高城胤吉が叫ぶ。彼は「新たな軍制」の概念を俺から叩き込まれている一人だ。
天文二十年(1551年)九月二十日昼下がり。
相模川の東岸、海老名の地で、今川軍の先鋒・岡部元信の部隊三千五百と、加濃砲2門を配備している円城寺虎常率いる千葉軍先鋒、長槍足軽三千と鉄砲隊千が激突した。
岡部は、千葉軍を「東国の田舎侍の寄せ集め」と侮り、自慢の騎馬隊五百を突撃させた。
「敵の騎馬、来ます!」
望遠鏡を覗いて警戒していた最前線の歩兵大隊長が報告する。
岡部は敵が混乱しているところを突いてやろうと思っていたが、千葉軍の足軽たちは逃げ出さない。
それどころか、鉄砲隊のすぐ後方で「長槍の密集陣形」を維持したまま、じっと待ち構えている。
「さては我ら騎馬隊の吶喊に怖気づいて動けないのだろう。勝ちはもらった!者ども声を上げて突っ込めーーー!」「応!!!!」
五百の騎馬隊の疾走する重低音が響いて来る。
「良いな、しっかりと引き付けてから一斉射撃じゃ!」
虎常の命令に兵たちはごくりと唾をのみ込み狙いをつける。
距離150・・・・120・・・90!!
「放て!」
合図とともに、三百挺あまりの種子島(火縄銃)が一斉に火を噴いた。
パパパパーン !
凄まじい轟音と白煙が戦場を包む。今川の精鋭騎馬隊は、何が起きたのか理解する間もなく、鉛の弾丸に打ち抜かれ、泥の中に沈んでいった。
「……なんじゃ、これは!」
後方で陣を敷いていた岡部元信が驚愕する。
ドドーン!!
間髪入れず、千葉軍の「大筒」が火を噴いた。
それは、里見を戦慄させた青銅製の加農砲である。
巨大な鉄球が今川の隊列を直撃し、兵士たちを吹き飛ばし、陣形を木っ端微塵に砕いた。
大穴の周囲には手足しか残らない者も散見する状況。
「ひっ引くな! 立て直せい!」
岡部は顔面蒼白になるも、必死に叫ぶが、千葉軍の攻撃は止まらない。
火縄銃の三段撃ちが絶え間なく弾丸を浴びせ、混乱した今川軍を、漆黒の漆で統一された千葉の槍兵が整然と突き崩していく。
「これは……何としたことじゃ……!」
半刻後、岡部隊は半数以上を討ち取られ、退却を余儀なくされた。
この「海老名の戦い」は、瞬く間に相模全域、そして小田原城を包囲していた太原雪斎の本陣へと伝わった。
小田原城の西、石垣山に本陣を置いていた太原雪斎は、岡部元信の敗報を聞き、数珠を繰る手を止めた。
「千葉の軍勢が、わずか一刻で岡部殿の軍を壊滅させたと……?」
雪斎の細い眼が、鋭く光る。 彼は乱世を極めた男である。
この時代における兵法、外交、心理戦。そのすべてにおいて頂点に立つ彼にとって、千葉軍快進撃の報告は「意外」そのものであった。
大筒という雷鳴を放つ武器。そして、一糸乱れぬ動きを見せる足軽。……報告によれば、連中は種子島を幾重にも連射して見せたという。
雪斎は戦慄した。
これまでの戦術の常識を覆す新兵器とその未知の運用法。
まずは情報を得る事が先であると考え、雇い忍びの伊賀者に情報の収集を命じた。
主君である義元へも戦況の報告をしなくてはならない。
ここは包み隠さず伝える事で、北条・千葉侮りがたしとして、戦線の縮小と撤退を促す方向へ向かいたいと考えていた。
実は、今回の遠征に雪斎は反対の立場であった。
東海から関東の静謐には、今川、武田、北条の三国鼎立が望ましいと考えていたので、余計な遠征には反対であった。
だが、主君義元が決めた以上は、とにかく従うしかなく適当なところで戦果を得て納めるつもりでいたのである。
そして、その報が今川義元に届く。
「千葉介親胤。わずか十歳の童が、かような戦果を・・・・」。
義元は、届けられた書状を、美しい扇を握りしめたまま見つめていた。
「……下総の小倅が、岡部をたった一刻で退けただと?何かの間違いではないのか?かような事、あってはならぬ事じゃ!」
義元の顔が、怒りで真っ赤に染まる。
彼にとって、今川家は足利将軍家の血縁であり、高貴なる血筋。それに対し、千葉家は将軍家に仕えるべき地方の国人領主に過ぎないはずである。
その「格下」が、「種子島」や「大筒」などという卑怯な手段で今川家の軍を打ち倒したことは、許しがたい侮辱であった。
「おのれ!雪斎は何をしておるのか!家格の低い連中に、我が今川が膝をつくことなどあってはならぬ!そのように伝えよ!」
義元の叫びは、駿府の館に響き渡った。
いま、今川義元の心には、織田や武田への警戒以上に、千葉介親胤という存在に対する、新たな警戒心が植え付けられたのである。
お読み下さり有難うございます。
初投稿の素人ですので、稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。
生暖かい目で見てくださると幸いでございます。




