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房総の統一

天文二十年(1551年)五月(9歳)。


 春の息吹が房総の山々を鮮やかに彩り始めた頃、里見義堯は、己の人生で最も長く、そして屈辱的な旅路についていた。

1週間前、北条より仲裁の使者が来て、落城寸前に停戦となり、今に至る。

既にぼろぼろであった稲村城以外の城や土地はすべて千葉軍の占領下になり、里見家の取りうる道は一つしかなかったのである。


 不幸中の幸いは、千葉軍が占領下の町村で一切の略奪を行わなかった事だった。

里見側は不思議に思ったようだが、千葉の軍勢は一兵卒に至るまで略奪を一切禁じられていたからである。

もっとも、千葉領は豊かなので兵士も略奪をする必要性が全く無かった事も理由ではあったが。


 義堯らが向かう先は、上総と下総の国境に近い一千葉寺(せんじゅじ)――。

義堯は、北条氏康の仲裁でなるべく有利に運ぶことを信じていた。

古河公方の仲裁が望めぬ今、関東の覇者である北条ならば、千葉の「行き過ぎた」暴走を抑え、里見の家格に見合った講和条件を引き出してくれるはずだと。


「……幻庵殿が立ち会われるのだ。千葉の小倅も、あまり無体なことは言えまい」 そうはいっても馬上で呟く義堯の顔は、憔悴しきっていた。

背後には、敗戦を経験した里見家臣団が、葬列のような暗い顔で従っている。


 だが、寺の門を潜った義堯を待っていたのは、期待とは正反対の光景であった。

上座に座していたのは、北条幻庵ではない。

まだ十歳にしかならない、しかしその眼光に底知れぬ深淵を湛えて見える見た目は子どもの――千葉介親胤であった。

北条幻庵は、その傍らで静かに座しているに過ぎなかった。


「千葉介殿にはお初にお目にかかる。里見刑部少輔義堯にござる。これなるは我が嫡男義舜(よしきよ)にござる」

「里見義舜にござる」


「千葉介親胤でござる。此度の戦では槍大膳 正木時茂殿には苦戦しもうした。未だ存命であればまだまだいくさは続いておりましたでしょう。武士の鑑(もののふのかがみ)とも言うべき仁(じん)を亡くし、誠に口惜しきことですな。里見殿の心中をお察しいたしまする。」


「その時茂を討ち取ったのは、ほかでもない千葉介殿の軍では?……これは、いかなる趣向か。幻庵殿、我らは仲裁を頼んだはずにござるぞ」

義堯の絞り出すような声に、幻庵は薄く笑って応えた。

「刑部少輔殿。仲裁の場は用意した。だが、ここは勝者と敗者がまみえる場ですぞ。条件を語るのは、此度の勝者である千葉介殿。我ら北条は、その誓約が成るよう見守るのみにござる」


義堯の膝が、微かに震えた。これでは「里見の全面降伏」の儀式ではないか。


 俺は、目の前に置かれた巻物を小姓に渡した。

小姓はその巻物を恭しく義堯へ渡した。


「里見殿。貴方様が北条左京太夫殿を通じて和睦の好条件を探ることは分かっていた。だが、一度引かれた弓はもう戻りませぬ。これが、某が提示する最後にして唯一の条件にござる」


 義堯は震える手でその巻物を広げた。そこに記された文字を追うごとに、彼の顔から血の気が引いていく。


一、里見義堯は隠居し、家督を嫡男・義舜(よしきよ)に譲ること。

一、里見の所領は、安房郡および平群(へぐり)郡を合わせた四万石に減じること。

一、里見義舜は本佐倉城へ出仕し、千葉家の臣として奉公すること。

一、正木家、安西家、御子神家は千葉家の直臣とし、その他の家臣は去就の自由を認める。


「……な、……な……ッ!」


義堯は巻物を床に叩きつけた。


「四万石だと!? 里見家を、小身に落とせと言うのか! しかも、嫡男を人質(奉公)に出し、正木や安西、御子神といった我が手足を切り離して直臣に加えるだと!? これは……里見家を滅ぼすに等しい!」


義堯の咆哮が堂内に響く。だが、親胤の表情は微動だにしないので義堯は訝しむ。


「里見殿。貴方様は勘違いをしている。某は里見を滅ぼしたいのではない。房総を一つにまとめたうえで領内整理したいだけだ。四万石は、一族郎党を養って余りあるはずの広さだ。その他の土地は、千葉家が『新しき政』で管理し、豊かにする」


「新しき政だと……? 千葉介殿は、この長きにわたる戦国の世に何を……!」


「里見殿。貴方様が頼りにしていた稲村城の城壁は、我が軍の大筒の一撃で砕けた。

里見が誇りとした正木をはじめとする安房の精鋭は、我らが擁する銭雇いの兵の種子島に散った。

それが現実だ。古い誇りを抱いて散るか、千葉家の下で富を享受するか。選んで欲しい」


 義堯は傍らの幻庵を振り返った。だが、幻庵は目を閉じ、黙考するのみ。

とはいえ、さすがに哀れに思う心が働いたのか、里見を説得する事にしたようだ。


「……義堯殿。受け入れられよ。これは、里見家を残すための、千葉介殿の慈悲よ」


 幻庵の言葉が、義堯の最後の一線を断ち切った。

義堯は、天を仰いで瞑目し心の中で慟哭した。

ちょうどその時、正午を知らせる寺の鐘が鳴り響いた。

それは、房総統一のいくさの終わりを告げる弔鐘のようであった。


 そして天文二十年(1551年)五月。 正式に講和が成立し、里見家は新たに建てられる館山城へ移る事となり、城が完成するまでは本佐倉城にて預かりの身となる。

嫡男・義舜は、館山城の普請と新たな政の普及の基礎を整えたのち、本佐倉城に出仕する事となった。


 なお、里見家では義舜が優遇されることなど夢想だにせず、表向きは千葉家の重臣としての「出仕」であるが、実質的には人質であると思っていたようだ。

しかし、俺は義舜を冷遇などしないどころか、彼を最新の学問と軍事技術を学ぶ「特待生」として扱い、自らの側近として側に置いたのである。


 義舜は中々優秀で、教えた事は真綿が水を吸収するようにどんどん自分のものにしていった。

この待遇に感動した義舜は徐々に俺への忠誠心が芽生えたようだ。

その後の態度や言動などがそれを物語っていた。

優秀な家臣が増えるのは喜ばしい事だし、味方が増えるのも大変に有難い。

今後も相手次第だが、この路線を継続していこう。


 そうして、房総全土の支配権を確立した俺は、即座に大規模な領内整備に着手した。

「良いか。これより房総は、千葉家のもと一つの国となる」

俺は、安房、上総、下総の国人衆を集めた大広間で宣言した。

そこには、かつて日和見に徹し、揺れていたが今は、はっきりと千葉家に臣従の礼をとった上総の土気酒井氏や万喜土岐氏、そして直臣となった安房の正木家、安西家らの顔もあった。


「戦うことだけが武士の業(なりわい)であった時代は終わった。これからは、領内を富ませ、その富をもって強力な軍を維持する。そのための仕組みを、そなたたちの領地にも順次導入させる」

俺が示したのは、以下の「千葉式統治法」であった。


銭雇いの常備兵制(新兵制)

まず、親胤は「兵農分離」をさらに一歩進めた。 各領主には、土地に紐付いた「動員義務」を課す代わりに、千葉家が支給する「永楽通宝」による安定した給金(月給制)での常備兵雇用を命じた。


「土地の百姓の働き手から兵を徴するのではない。余剰の次男、三男や間者ではないと判断出来た他国の流れ者などを銭で雇い入れ、一年中訓練を施す。農繁期に帰す必要のない兵こそが、真の強軍を作る」


 常備軍兵士の命令系統の第一は千葉家である。そのほかにも各国人領主の下にも依然として領主権限で維持される治安維持のための一定数の半農半兵の軍も許可される。

だが、ひとたび防衛戦となれば「千葉家本陣」の指揮下に置かれ、武器・防具はすべて千葉家の工廠で規格化されたものが支給される。

これにより、寄せ集めの軍勢ではなく、統一された戦術行動が可能な近代軍へと変貌を遂げるのである。


産業の高度化と物流改革

「無策に米を売るな。売るなら相場の高いときに売り、安いときには買い入れよ。そして価値を付けた品を作って売れ」 親胤は、千葉領内で成功していた「石鹸」や「澄み酒(清酒)」の醸造技術を上総・安房にも公開した。 また、銚子や船橋で培った大規模な塩田開発、椎茸の栽培、そして絹織物の品質管理を各領地に導入させた。


「里見の治世では、税はただ徴収されるだけだった。だが千葉の殿様は、稼ぎ方を教えてくださる……」領主たちは驚愕した。

関所を完全に撤廃し、千葉家が整備した街道を物資が自由に流れるようになった。

さらに、千葉家の商務奉行・木内胤倫が派遣した「指導員」たちが、各地の米相場のやり方や、堺・南蛮への輸出ルートの活用法を伝授して回ったのである。


財政に基づく段階的軍備

「無理な徴兵は身を滅ぼす。財政の三割を軍備に、四割を開発に、残りを蓄えに回せ」 俺は各領主に対し、自領の正確な収支報告(簿記の初期形態)を義務付けた。 財政状況を見ながら、無理のない範囲で常備兵を増やしていく。この「持続可能な軍事力」という考え方は、常に限界まで動員を繰り返していた当時の国人たちにとって、目から鱗が落ちるような合理性であった。



「……これが、下総で出来上がった澄み酒でございますか?」

安房の直臣となった正木憲時(時茂の弟)は、目の前に置かれた透き通った液体を口にし、絶句した。 これまでの濁り酒とは比較にならない芳醇な香りと、喉を滑るようなキレ。


「これを『南蛮貿易』の品として出せば、これまでの十倍の価格で売れる。憲時、そなたの領地にある水と米なら、さらに良い酒ができるはずだ」

「某の領地で作る事をお許し頂けるのですか?」

親胤の言葉に、憲時はうっすらと敬意をおぼえた。

これが出来るようになれば領内の税収、収益は格段に上昇する。


 兄・時茂を討たれた恨みがなかったわけではない。だが、それも戦国の世のならいであると思い、気持ちを抑えていた。

だが、この九歳の少年が見せている「未来」は、恨みという矮小な感情を飲み込むほどに巨大で、眩しかった。


「兵たちも喜んでおりまする。新たに支給された胴丸は軽いが頑丈、槍は折れにくく、そして何より、戦に出ず訓練をしているだけでも毎月下賜される『銭』が、彼らの暮らし向きを豊かにしておりまする」

万喜城の土岐為頼も、深く頭を下げた。


「これまでは、厳しいやり繰りの中で戦とあらば無理をしてでも兵糧や兵を供さなければならないゆえに民百姓にかける年貢も重きものとならざるを得ませなんだ。しかし今は、商人の行き来を眺め、いかにして特産品を増やし、銭を稼ぐのかを考えるのが多くなりもうした。これがまた楽しくて仕方ありませぬ……戦を気にせず、かような政を行えるのが、真の平穏というものにございましょうな」


 領主たちは、自分たちがもはや単なる「国人領主」ではなく、主家のもと巨大な経済圏を支える「管理職」へと変わって来ていることに気づき始めていた。

そうして彼らの忠誠のみなもとは、恩賞としての土地から、成果を出した先に得られる「銭」そしてそれを支える「圧倒的な豊かさ」をもたらす千葉家へと、急速に塗り替えられていった。


天文二十年(1551年)、夏。

本佐倉城の天守閣。 俺は、手製の望遠鏡を手に、眼下に広がる城下町を眺めていた。 そこには、かつての寂れた農村の姿はない。 整然と区画された商人街、絶え間なく鳴り響く鍛冶場の槌音、そして訓練場で一糸乱れぬ動きを見せる火縄銃隊。

房総三国(下総・上総・安房)をほぼ統一、その全域に「近代」の種を蒔くことが出来たのは、重畳。


「殿、里見義堯公より文が届きました」

筆頭家老の原胤清が、一通の書状を差し出す。 隠居し、安房の片隅で余生を送る「元・房総の虎」からの文であった。

俺はそれを一瞥してニヤリと笑みを浮かべた。

そこには、ただ一行。 『殿の創る世を、あともう少しだけ見ていたくなり申した』 とだけ記されていた。

俺は文を畳み、遠く西の空を見つめた。 そこには、武田、今川、そして尾張の織田といった、のちに歴史を動かす怪物たちが蠢いている。


「胤清。房総の統一は、はじまりに過ぎぬ。我らが手にしたのは、未だ関東の一地方。70万石程度しかないが、俺が改革を進めたこの房総は時代そのものを変える『力』となるだろう。これより、我らは北関東の荒野を、塗り替えていく」


俺の頭の中には、すでに次の目標が明確になっていた。

領地を100万石以上持っている北条との同盟を軸にしつつ、関宿の梁田高助、結城の結城政勝、常陸の小田氏治、佐竹の攻略、そして古河公方。

「安房の落日」は、同時に「下総から昇る太陽」の始まりだ。 千葉介親胤の歩みは、まだまだ止まらないのだ。


お読み下さり有難うございます。

初投稿の素人ですので、稚拙な個所や至らぬ点が多々あるかと思います。

生暖かい目で見てくださると幸いでございます。

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