5 そして数日後……
現在進行形で、やってしまっている感が否めない。
覚醒して言語の習得を始めたあの日から数えて7日目の今日。僕はクヌギにある本を読み聞かされていた。
♢♦︎♢♦︎
1日目、さっそく新しい単語を覚えようと「ちゃん」に対応する言葉を聞こうとして、彼女が僕を呼ぶ時につけている単語をクヌギの後に続けて言ってみた。
「クヌギ様〜」
「ひえっ、違いますよラン様。私の名前はクヌギですよ。どこにでもいるただのクヌギです、クヌギ」
そう顔を青くしながら返してきた。
いや何言ってたかはわからなかったんだけど、その慌てぶりやら必死さやらで十分伝わってきた。結局「ちゃん」を覚えることは出来ず、以来呼び捨てにしていたら頭の中でも呼び捨てになっている。
誰かに聞かれるのが怖かったんだろうな。あれだ、幼児に下品な言葉を聞かせてしまった時の反応と同じだった。子供ってそういう言葉に限って何回も使っちゃうしね。
それからいくつかクヌギに話しかけてみたが、流石に4単語だけでは会話から得られる情報の解析は難しい事に気がつき、取り敢えず物の名前を覚えようとクヌギを家中連れ回した。
これなーに? と僕がベッドを指差すと
「それはベッドですよー」
と返してくる。
それなーに? と僕がメイド服を指差すと
「これは服ですよー」
と返してくる。
あれマーマ? と僕が「ママ」さんを指差すと
「人を指差しちゃいけません!」
と叱ってくる。ごめんなさい。
ちなみにママの名前はセリーナだそうだ。
そんなこんなで夕食の時間まで家の探検は続いた。というかこの家広すぎである。具体的な時間はわからないし、一部屋にかける時間もそこそこあったが、まだまわりきれていない。しかもあちこちでメイド達が掃除をしている。我が家にお屋敷疑惑が浮上していた。
夕食では両親の他に少年二人と少女一人が同席していた。僕には兄と姉がいるらしい。
離乳食らしきものをクヌギに食べさせられながら、彼らの名前や食べ物の名前を聞いていると、パパ改めクシルが何やらクヌギに指示を出していた。その後部屋に戻ると彼女が絵本を読み聞かせてくれたが、日中の疲れがあったのか僕はすぐに眠ってしまった。
それからは、
2日目の昼食で「父さん」「母さん」を習得し、
3日目にとある部屋でカレンダーと数字を発見し、
4日目で屋敷内の探検は終了し、
5日目に与えられた10冊の絵本の文字をマスターし、
6日目に庭や花壇の草花の名前をクヌギに聞いていた。
その日の夕食。父さんが気紛れにクヌギに尋ねる。
「そういえば、絵本を読み始めて一週間くらいか。どうだいクヌギ、どれぐらい読み終わったんだ、ランは」
「はい、旦那様。ラン様はすでに当家にある10冊とも読み終わっておいでです」
「何、もう全部読んでしまったのかい。そうか、ランは絵本が好きなんだな。それならそろそろイ文字を勉強し始めてもいいかもしれないな」
「いえ、旦那様。ラン様はすでにイ文字を全てものにしておいでです」
「そうかそうか。イ文字を全てか……イ文字を全てだと!?」
うわびっくりした。なんだよ、急に大声出すなよ父さん。
「何をまた変な事を……クヌギが冗談を言うなんて初めてじゃないか。なぁ、セリーナ」
「ふふ、そうね。私達にも冗談が言えるくらいこの家に馴染んでくれたのね」
……ん? 今の発言のどこが冗談なんだ?
「父さん、クヌギの言ったことの何がおかしかったんだ?」
「そりゃあランがイ文字を習得したってところだよ、ラン。ランはついこの前僕をパパと呼んでくれたばかり……ん?」
「うん?」
突然話すのをやめた父さん。他の4人も食事の手を止めてこちらを見ている。
……あっ、本当だ。よくよく考えたら確かにおかしい。
「……疲れているのかな僕。今ランに話しかけられたような気がするよ」
「いいえあなた。私もはっきりと聞いていたわ。あなた父さんって呼ばれていたわよ」
そしてまた止まってしまう会話。
…………沈黙が痛い。
確かに、話し始めて一週間ちょっとでイ文字(ひらがなに相当する文字)をマスターする子供がどこにいるって話だよな。ここのところ、知識の吸収にかかりっきりで自分が転生者だって事すっかり忘れてたよ。
うっかり、クヌギとの会話の時みたいな話し方をしてしまった。
どうやって誤魔化そうかなぁ……
転生のこと、出来れば話したくないんだけどなぁ……
取り敢えず、父さんが首をかしげるのに合わせて僕も首をかしげる。
「とんでもなく頭がいいってことなのか? それにしてももう少し節度があるはずというか……まだ2歳にもなっていない子供がイ文字を……しかもなんか話し方も赤ちゃんらしくないし……」
やばいやん、めっちゃ怪しまれとるねん。どないしよ。
父さんの首振りに合わせて首を動かすことで幼さアピールをしながら、顔に出さないように必死に考えを巡らす。視線を父さんの目ではなく額に向け続けるのがミソだ。
「まぁまぁ、きっとこの子には文官の才能があるのよ。あなた、ランの学園の志望は官僚科にしたらどうかしら。今から勉強すれば、きっと首席入学できるくらいに力がつくと思うわ」
「うーん、そう……だね。うん。確かにランにとって貴族科よりも良い選択肢かもしれないね。うん」
母さんの発言に何度も頷く父さん。真似してヘドバンする僕。単純な真似じゃなく、割と激しめにやるのがポイントだ。
……どうしよう、会話の中に理解不能な単語がたくさん含まれている。「文官」とか「学園」って何なのいったい。
「そうなると、取り敢えずロ文字の教材は……うちにあるのはあれだけか。流石に僕の部屋は早いだろうし……あと算術用の銅貨をいくつか用意しておくから、クヌギ頼めるかな」
「かしこまりました、旦那様」
そして僕が頭の体操(物理)をしている間にどうやら話はまとまったらしい。ちょっと……気持ち悪い。飯の最中にやる運動じゃなかった……
果たして僕の専属メイドは何を頼まれてしまったのか……非常に不安だ。
♢♦︎♢♦︎
そして7日目の朝、僕は紙のサイズが僕よりも大きく非常に分厚い本を床に広げてクヌギに読み聞かされていた。もはやページを自分でめくることも出来ない。
もう一度言おう、やってしまっている感が否めない。
「ラン様は、たいへん頭がいいので、今日からはロ文字の勉強をしていきますよ」
「あーだー」
「……どうしたんですか急に。赤ちゃんの真似なんかして。お外に行くのはお昼を食べてからですよ。午前中はしっかり勉強しましょうね」
くっ、駄目だ。もう幼児として認識してもらえない。
まぁここ一週間、ずっと一緒にいて会話してたもんね。冗談って思われても仕方ないか。
それに勉強出来る事に変わりないんだし、結果オーライってやつだよね、うん。異論は認めぬ。
こうして天才の烙印を押された僕の新しい一日が始まるのであった。




