20 その感情は少なくとも黒色じゃなかった
「僕はあの時、確かに調子に乗っていたんだ。疲れを覚えた事で魔力の訓練が再開できると思って、眠る時に体の周りに冷気を纏っていた。正確には、ギリギリ可視化できるぐらいの、小さい水滴や氷の粒を浮かべていたんだ」
「……」
「今更何を言ってるんだって顔だね。冷たくなったドアノブについては、あの後クヌギにもちゃんと説明したし、何度も謝ったからね。確かに今更な感じがするよ……でも、あれは僕にとってはトラウマになったんだ。あの時僕は、人を、それも親しい人間を傷つけてしまった」
「……」
「僕が今引きこもってるのはさ、外に出るのが怖いからなんだ。クヌギを傷つけちゃった時は無意識だったけどね、あいつらを傷つけたのは完全に僕の意思だった……僕は感情に任せて人を傷つけてしまったんだ」
「……ですが、あの人達は罰を受けるだけの悪いことをしていました。ラン様が気に病まれる必要はありません」
「分かってるよ。塞ぎ込んでいるのは単に僕のわがままさ……そう、ただのわがままなんだ」
布団にくるまって呟く僕。クヌギの視線がどこか怖く感じられて目を合わせることができないままでいた。
山賊に襲われて返り討ちにしたあの日から数日間、僕は部屋から出ることができずにいる。どうにも心が沈んでしまって、体を動かすのが鬱屈になっているのだ。
原因はわかっているし、もう少し時間が経てば解決するのも経験上わかっている。父さん達にも少し時間を置くように言っておいたのだが……クヌギはあの日からずっとそばにいてくれている。
何も話さない僕をじっと見てくるその視線が、心配してくれているのはわかっている筈なのに、どこか責められているようにも感じてしまう。正に、鬱病患者のそれだ。
僕の気持ちが下向きになっているその理由……何度も言ってるように僕があの3人組を傷つけた事だ。
小説によくある、生き物を殺す事についての葛藤とかではない。模擬戦で人に怪我を負わせる事でそういうのは段々と薄くなっていったし、リトルボアを倒した時も特に動揺する事はなかった。
もっと、僕個人の根底にある感情が、僕自身の生きてきた意味が揺れてしまっているのだ。
前世で僕は生まれつき、他人の「何かを嫌がる感情」にとても敏感だった。
物心ついた時には親がもつそれを察知して行動する事で、物分かりのいい子供として振る舞い、同級生のそれを出来るだけ回避する事で、周りにはたくさんの友達がいた。
幼い頃はまだ自分可愛さでその状態に満足していたが、年齢を重ねて周囲を観察できるようになるにつれ、僕はある悩みを抱えるようになる。僕の友達じゃない人間のその感情さえ受信してしまうようになったのだ。
例えば、小学校に通っていた頃のある放課後。クラス内にはすでにヒエラルキーが存在していて、その底辺にいたある男子が、上位の女子数人に馬鹿にされていた。無口な彼は、いくら暴言を吐かれようともただ笑みを浮かべており、彼女たちはそれを見てキモいと嘲る。
彼女たちと仲が良かった僕は、それを見て複雑な心境だった。その場にいた全員から「嫌がる感情」を感じたのだ。
それまでの僕の行動原理は、その感情をなくす事にあった。
「親が勉強しない僕を嫌がる」のが嫌で、出された宿題はしっかりこなす。
「友達がダサい服を着る僕と一緒にいる事を嫌がる」のが嫌で、身の回りのものはその好みに合わせる。
自分とその周りが幸せである事が至上だった僕にとって、赤の他人のその感情はどうにも処分に困ったのだ。
自分を中心に回っていた世界が、その瞬間全く違うものに変わっていた。
なにも僕は計算高くその行動をしていたわけじゃない。「他人が嫌がる」事が、僕にとって耐え難いほど「嫌」だった結果として、周囲の人間関係が作られていたんだ。
その時も僕は部屋に閉じこもっていた。親たちは心配して学校に連絡をとったりしていたが、特に大きい騒動にはならなかった。数日後、いつも通りに僕が通学を再開したのだ。
そりゃあ、心に何か傷を負ったわけでもなかったからね。単純に悩んでいただけだった僕は、その問題にあっさりと答えを見つけていた。
別に僕の行動に変化を起こす必要はない、「他人の嫌がる感情」をひたすらに消していくのは続けていいのだ、その結果友人を失ったとしても仕方がない、といった感じで。
子供ながらの自分勝手さで復活したその日から、僕は関われる範囲でその感情を全て消していった。
その過程で、クラス内で起きかけていたいじめなんかも簡単に消すことができたのだ。
まあ、僕はそのヒエラルキーの頂点だったからね。鶴の一声とまではいかなくとも、子供というのは非常に柔軟だ。
真摯に向き合えばそれだけで応えてくれるし、結果としてはクラスの全員が仲のいい最高の環境を作る事に成功したんだ。
その小学校から遠く離れた私立の山中中学に行ってからまた引きこもる事があったけど、結局のところ僕の行動原理はこの感情にあった。
それは生まれ変わっても変わる事はない。相変わらず他人のその感情にはピンポイントに体が反応するし、捻くれやすそうなミリド兄さんが僕に優しくしてくれるのは、とにかく僕が気を使っているからだ。
こう言うと、なんだか僕が変な気苦労を背負ってるみたいになってるけど、別にそうじゃない。僕が勝手にやってる、いわば習性みたいなものなんだ。
だから……クヌギを傷つけてしまったのは本当にショックだった。
ラン・アザレア 6歳 男
所属:エリアス王国
力:46
魔力:412
素早さ:56
体:7
技能:10
所持スキル:魔力操作LV7 魔力感知LV1 隠蔽LV4 絵描きLV3 祈りLV3 観察LV2 剣術LV1 風魔法LV2 水魔法LV3 生活魔法LV2
これが、僕が現在観察スキルによって見ることのできるステータス情報だ。
引きこもっている間に誕生日を迎えて、晴れて6歳の魔力馬鹿になった。
魔力操作のおかげで、意識下の魔法は完全にコントロールできてはいるけど、やはり怖いものは怖い。
「他人の嫌がる感情」が嫌な僕にとって、「他人が傷つく」状況は最も忌避すべきものだ。
怪我をした人間を見ると、どうにも背中がぞわぞわする。心の中で泣いている人を見たら、涙を流さないために僕は目頭に力を込めなきゃいけない。
「傷」はその感情に密接に結びついていて、僕はその存在を許容できない。
そんな中、寝ている最中とはいえ「クヌギが傷つく」状況を自ら作ってしまった僕は、僕自身の魔法に枷を嵌めたんだ。
魔法を使う時、とにかく人を傷つけない。他人が傷つくぐらいなら僕が傷つくほうがマシ。
模擬戦でも、魔法による直接的な攻撃はしない。姿勢を崩したり、相手の攻撃を防ぐ時だけに用いるようにしている。
イノアがナンパされていた時も魔法を使うのをためらって出て行けなかったし、クヌギに戦いを任せたのも理屈では背後を調べるなんて言ってたけど、本音としては僕が彼らを傷つけたくなかったからだ。
「だけどあの瞬間、あいつらが笑っているのを見て思ったんだ……気持ち悪いって。『他人を傷つけない』事を信条にしていたのに……僕は新しく生まれた感情に従ってあいつらを傷つけたんだ」
「……」
「人の悪意は知っていたつもりだったけど……あんな汚いものは見た事なかった。他人の事を考えもしない奴らを、僕は生まれて初めて知ったんだ」
前世も含めて、僕の周りにいた全員が心からの善人だったわけじゃないけど、他人を殺してまで自分を優先する奴なんて誰一人としていなかった。
ある意味、中世的な異世界特有の人格だろう。法整備が進んで格段に治安の良くなっている日本じゃ、なかなかああいう奴らは生まれにくいだろうしね。
「……うん、やっぱり話した方が良かったかも。なんだか色々と整理できたよ。もう大丈夫だ」
「……唐突ですね」
「そりゃあね、これだけ親身に聞いてくれてるんだ。いつまでもウジウジ悩んでらんないよ」
あるいはこの瞬間、僕は生まれ変わったのかもしれない。少なくともこれからは、前世と全く違う人生を送るようになるはずだ。
布団から出て、閉じきっていたカーテンを開けた。窓から入り込んでくる光を体いっぱいに感じてから、クヌギの方へ振り返る。
全てを見通してるかのように透き通り、光を反射して宝石のように輝く彼女の大きい瞳が僕を映し出していた。
「『他人を傷つけない』なんていう事が出来る程、僕は聖人君子じゃないんだ。今回の件でよく分かったよ。『親しい人間の幸せ』が僕にとっての最優先、僕にとっての幸せさ。ありきたりだけどね」
「良いと思いますよ。むしろ今までそんなけったいな信条を持っていた事が驚きです」
「けったいな……ね。言ってくれるじゃないか。僕だってこれでも結構考えているんだぞ」
「ええ、知っていますとも。ラン様が大人顔負けなくらいにたくさん考えて、悩んでいる事は分かっています。あんなにお祈りに行ってるんですから」
いや、お祈りはメメ様に近況を報告するのが主目的なんだよ、一応。まあ、そういう面があるのも否定しないけど。
「今まで頭のいいラン様しか見た事なかったんですが……ここ数日はとても新鮮でした。ラン様も、案外子供っぽいところあるんですね」
「うっ、そうかな……いや、僕よく考えたら6歳なんだよな。十分子供だよ」
「ええ、そうです。ラン様はまだまだお子様なんですから、もっと甘えて良いんですよ」
……甘える、か。確かに今までやってきた事ないな。
才能を次々に認められて、かけられた期待全てに応えようとして……なんだか余裕がなかった気がする。朝から晩までスケジュールがびっしり詰まってる生活とか、子供が送るものじゃないよね。
メメ様効果で癒しを得ていたわけだけど、うん、負担が大きすぎるな。今度から疲れたらしっかりボイコットしよう。
サボタージュできるのなんて、ブラックなこの世界じゃ子供のうちだけだし。労働三権? なにそれ美味しいの?
クヌギは柔らかい視線をこちらに向けている。メメ様が僕たち人間に向ける慈愛のそれとはまた異なる、幼い子供を見守る温かい目だ。
彼女は、いったい何を思って僕のそばに居てくれるのだろうか。正直僕は、こんな面倒くさい奴の話なんか聞きたくもないし、出来る限り距離を置こうとするだろう。
「ねえ、クヌギ」
「はい、なんでしょうか?」
「クヌギはずっとそばに居てくれたけどさ……もし僕が落ち込んだ時はまた面倒見てくれるかな?」
「もちろんです。私は、ラン様の専属メイドなんですから。家を出た後だって、どちらかが死んでしまうまで一緒ですよ」
そう即答して、柔らかく微笑んでくるクヌギ。うう、笑顔が眩しすぎて、顔をまっすぐ見れないよ。
ついさっきまで、どんよりとした空気だったのが信じられないくらいに、空間が甘々しくなっている。なんならさっきの言葉、ほぼプロポーズみたいなもんじゃん。
今なら、どんなやましい事や隠し事をバラしたとしても許してくれそうだ。いや、四六時中一緒にいるクヌギ相手に、秘密なんか持てないんだけどね。離れているのなんて寝る時と訓練中くらいだ。
……いや、あるな。僕が秘密にしてる事。
前世から引き継ぐ僕のこの能力。前世でもソラにしか話せなかった、僕の秘密の一つ。
今なら……今のクヌギになら話しても良いかもしれない。
「じゃあクヌギ、さっそくお願いがあるんだけど……」
「ええ、是非おっしゃってください。私にできる事ならなんでもやらせていただきます」
なんでも、って言ったね今。はい、言質とりました。なんでもって言ったからには、どんな要求しても呑んでくれるんだよなあ、ぐふふ。
……ああいう言い方しないように、今度しっかり教え込もう。
「実は、僕には……その、ある秘密があるんだよ。二つくらい、とても大きいのがね。その一方を今から話そうと思うんだけど、誰にも、母さんたちにも話さないでいてほしいんだ」
「セリーナ様にも、ですか。わかりました。これからラン様がおっしゃった事は一切口外しません」
「うんうん、クヌギは約束を必ず守ってくれるからね。ただ会話中にポロっと漏らしちゃわないように気をつけてね」
「だ、大丈夫ですよ。注意すればちゃんと黙っていられます。ええ、おそらくきっと」
「あはは、まあそういうのもこれから一緒に治していけばいいさ。ずっと一緒なんだからね」
一拍おいて、唾を飲み込む。この世界における初の試みに、高鳴る動悸がなかなかおさまらない。魔法を習得した時だって、こんなにドキドキしなかったよ。
それでも意を決して、僕は口を開いた。
「僕、前世の記憶があるんだ」
「前世の記憶を持っている事」は二つの秘密には含まれません。
あくまで秘密1「他人の悪感情を読む能力がある事」を説明するために、語り出しとして前世の記憶があるという発言をしているわけです。
なぜ後書きにわざわざこんな事を書いたのかというと、秘密2にあたる内容こそ二章で書きたい作者の設定だからです。読者が先を予想するにあたって誤解が生じないようこの後書きを書きました。
この設定、伏線が次の閑話にしか出てこないのが作者的にはちょっと不安でして……設定が面白いと思ってもらえるよう努力していく所存でございます。




