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君と契りて 言はで思ふ心の理  作者: はまちゃん
続編

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美しい定理

それから数年の歳月が流れた。


季節は何度も巡った。


春には桜が咲き。


夏には強い日差しが降り注ぎ。


秋には研究室の窓から赤く染まった木々が見え。


冬には静かな雪が街を包んだ。


時間は、止まることなく進んでいった。


しかし。


海斗の机の上には、今でも変わらないものがあった。


一冊の古いノート。


表紙は少し傷んでいる。


何度も開かれ。


何度も閉じられた跡がある。


その中には、二人の時間が残されていた。


交互完全数。


交互友愛数。


そして。


168と248。


海斗は研究室でその数字を眺めていた。


「先生。」


学生の声で、意識が戻る。


「またその数字を見ているんですか?」


海斗は少し笑った。


「ああ。」


「何か特別な意味があるんですか?」


学生は興味深そうにノートを見る。


海斗は少し考えた。


数学者としてなら。


これはただの数だ。


特別な性質を持つ整数。


研究対象。


しかし。


自分にとっては違う。


この数字には、一人の少女との時間が詰まっている。


「昔。」


海斗はゆっくり話し始める。


「この数字を見つけた時、一緒に喜んでくれた人がいた。」


学生は黙って聞いている。


「その人は数学者じゃなかった。」


「でも。」


「数学を誰より楽しんでくれた。」


海斗はノートを閉じた。


「だから、この数字を見ると忘れないんだ。」


「数学は、答えだけじゃないって。」


学生は少し不思議そうな顔をした。


「先生は、数学を人に例えることが多いですよね。」


海斗は窓の外を見る。


昔の自分なら。


そんな言葉を聞けば否定していたかもしれない。


数学は厳密なもの。


感情を持ち込むものではない。


そう考えていた。


けれど。


玲が教えてくれた。


数学は人間が作り出したもの。


だからそこには、人間の想いも残る。


「そうかもしれないな。」


海斗は答えた。


その日の午後。


大学では、ある発表会が行われた。


若手研究者による講演。


海斗も招待されていた。


テーマは。


「交互約数構造における新たな対称性と、その応用」


会場には多くの数学者が集まっていた。


昔の海斗なら。


この場に立つことだけを夢見ていた。


世界中の研究者の前で発表すること。


自分の名前を数学史に残すこと。


それがすべてだと思っていた。


しかし。


今は違う。


海斗は壇上へ上がる。


スクリーンには数式が映し出される。


「本日は、ある数の関係について発表します。」


会場が静まる。


「通常、数学では数そのものの性質を研究します。」


「しかし。」


海斗は少し間を置いた。


「私は、数と数の間に存在する関係にも、美しさがあると考えました。」


画面に二つの数字が表示される。


168。


248。


会場の一部から小さなどよめきが起こる。


「この二つの数は、互いを導きます。」


「一方だけでは成立しない。」


「互いが存在することで、一つの構造になる。」


海斗は説明を続ける。


定義。


証明。


性質。


数年間積み重ねてきた研究。


それらを一つずつ丁寧に伝えていく。


発表が終わる。


静寂。


そして。


拍手が起こった。


最初は小さかった。


しかし。


次第に大きくなる。


海斗は頭を下げた。


その瞬間。


胸の奥に浮かんだのは、名誉でも達成感でもなかった。


玲の笑顔だった。


「すごいじゃん!」


初めて研究について話した日の声。


「海斗君なら見つけられるよ!」


何の根拠もないのに、信じてくれた言葉。


あの言葉がなければ。


今の自分はいなかった。


発表後。


一人の教授が海斗の元へ歩いてきた。


「素晴らしい研究だった。」


「ありがとうございます。」


教授は続ける。


「しかし、一つ聞きたい。」


「なぜ、この研究を続けようと思ったのかね。」


海斗は少し黙った。


数学的な理由なら、いくらでも説明できる。


興味深い構造だった。


新しい可能性があった。


研究価値があった。


どれも正しい。


しかし。


一番大切な答えは、それではなかった。


「約束です。」


教授は首を傾げる。


「約束?」


海斗は静かに頷く。


「昔。」


「数学を一緒に楽しんでくれた人と交わした約束です。」


それ以上は語らなかった。


語る必要もなかった。


夜。


研究室へ戻った海斗は、一人で机に向かった。


窓の外には星が見える。


机の引き出しから、小さな箱を取り出す。


中には一枚の写真。


図書館で笑う玲。


その隣には、少し困った顔をした自分。


海斗は写真を見る。


「玲。」


「今日、発表したよ。」


もちろん返事はない。


けれど。


あの日と同じように。


風が静かに窓を揺らした。


机の上のノートが開く。


最後のページ。


そこには、昔書いた言葉が残っている。


「数学は、人を幸せにできる。」


海斗はその文字を見つめる。


そして。


新しいページを開いた。


ペンを持つ。


書き始める。


新しい研究。


新しい証明。


新しい未来。


人生には、証明できないことがある。


なぜ出会えたのか。


なぜ大切に思えたのか。


なぜ、失った後も心に残り続けるのか。


それらに数式で答えを出すことはできない。


しかし。


海斗は知っていた。


証明できないから価値がないのではない。


証明できないほど大切なものがある。


そのことを。


一人の少女が教えてくれた。


そして。


その教えこそが。


海斗にとって、生涯で最も美しい定理だった。


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